神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

総長指名をめぐる地裁判決について

事件の概要

神社本庁の役職(統理、総長)や組織については過去のブログを参照してください。

神社本庁総長はどうやって決めるのか(花菖蒲ノ会の理論への疑義) - 神道研究室

神社本庁の総長は17名の理事が集まる「役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」(神社本庁庁規12条2文)ということになっています。

令和4年の改選期にあたり、臨時役員会を開催したところ、出席15名の役員中、9名が田中氏の再任に賛成、6名が反対を表明しました。田中氏を総長に押す意見が多数だったのですが、統理は田中氏を指名せず、別の人物を指名したいと主張しました。

ここで、

  • 統理は役員会が議決した人物を総長を指名する
  • 役員会で議論するけど、統理は自由に総長を指名できる

と規定の解釈がわかれて裁判になりました。

判決と報道

その裁判の判決が令和4年12月22日に言い渡されました。

【令和4年(ワ)第19636号 代表役員の地位確認請求事件】

結論から言えば、統理が指名した「原告が被告の代表役員の地位にあることを確認する」という請求は地裁によって「棄却」されました。

判決の重要ポイント

本件条項は、総長の選任に際し、統理による総長の指名という行為が必要であることを認めつつ、統理による当該指名について責任を負う役員会が総長を実質的に決定することを予定しており、その決定のための手続として、会議体である役員会の議決を経ることを予定している(すなわち、役員会の議決に基づいて統理が指名することが総長選任の効力発生要件になる旨を定めている)と解するのが相当である(19p)

(判決は東京地裁令和4年12月22日判決-統理の指名は無効と判断!|自浄.jp からダウンロードできます)

裁判では神社本庁の他の規定との整合性や一般的な用語の解釈を検討しました。その結果、「議を経て」とは「議決」の意味であり、役員会の議決に基づいて総長が指名されると解釈すべきと裁判所は判断しました。

報道

この判決はニュースになりました。

神社本庁の総長ポストめぐり判決 「統理」だけの指名、認められず(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

神社本庁がポストめぐり内紛 誰が総長にふさわしい? 判決は(FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース

なお本件は総長指名の手続きに関する訴訟であり、誰が総長に相応しいか決める裁判ではないので、後者のタイトルは適切とはいえません。

判決に対する花菖蒲ノ會のコメント

東京地裁判決に対するコメント】
 ① 裁判所が当方の主張を理解できなかったことは遺憾この上ない。不当と考える。判決理由を精査せねばならぬが、控訴の必要があろう。
② 争点である統理の総長に対する優位性の問題は、神社本庁の体制の根幹に関わる重大な争点であり、明確に決着をつけねばならない。本案訴訟によることはもちろん、神社本庁評議員会その他の場において、一層の議論喚起と、明確な意思決定を目指す活動を展開したい。
③ 暫定的に在任する総長のもとで、不透明にして、恣意的・独断的な運営が進んでいる。これを解消すべく、神社界の自浄作用が起動するための行動を当会としても継続せねばならない。
このコメントの他に「本件紛争に対する基本姿勢」も表明しています。長いので全文は掲載しませんが、興味のある方は上記「自浄.jp」で閲覧下さい。

花菖蒲ノ會のコメント・基本姿勢に対する批評

花菖蒲ノ會のコメントと基本姿勢には、①事実誤認、②根拠不十分な批判、③混乱の種になる方針、がありますので指摘しておきます。

①事実誤認

 神社本庁草創期よりの慣例であり、「神社本庁憲章」制定に際しても確保されたこの方針は、今後も厳守されるべきである。

花菖蒲ノ會は「基本姿勢④」で慣例だと主張しますが、神社新報で過去の事例を確認するかぎり理事会の推挙に基づき統理が形式的に指名していたと言わざるを得ません。

過去の統理による総長指名はどうだったのか - 神道研究室

②根拠不十分な批判

本庁の現執行部の行動には、透明性に欠け、恣意的独断が多分にみられるので、この状況の早期改善を目指す。

花菖蒲ノ會は「基本姿勢②」、「コメント②」で現執行部や暫定的に在任する総長の恣意独断的な組織運営が行われていると批判しています。暫定在任の期間というと、令和4年7月から12月までの間になりますが、具体的に令和4年7月から12月にかけて田中氏がどのような恣意独断な運営を行ったかについては説明がありません。

また花菖蒲ノ會は下記の「基本姿勢③」で「単なる多数派による専断」という表現を用いています。「専断」は「自分だけの意見できめること」という意味ですので、「多数派による専断」という表現には違和感があります。「専断」の使い方に違和感があるので、花菖蒲ノ會が主張する「専断」や「恣意的独断」が具体的に何のことを言っているのか疑問が生じます。

そもそも他者を批判する以上、相手の何が批判されるべき問題なのかを具体的に説明する責任が花菖蒲ノ會にはあります。

③混乱の種になる方針

花菖蒲ノ會は「基本姿勢③」において、「統理による総長の指名は、社会的信頼性のある人材であることを確保するために担保された制度」と主張しています。

しかし、東京地方裁判所は、その人物が総長に相応しいかどうかを判断する基準が規定されておらず、「不確定な基準により総長選任の効力が左右されるとすれば、被告の組織運営に無用な混乱を招きかねないことは明らか」(21p)であると否定しています。

また総長選任に関する権限を統理が持つということは任命責任も伴います。権限と責任は一体のものですので、総長を決める権限はあるけど任命責任は負わないというのは一般社会において通用しません。したがって統理に総長選任に関する権限を認めようという動きは、統理を紛争の矢面に立たせるリスクを伴うことになります。

さらに「基本姿勢⑧」で「神社本庁が行う世俗的事項につき統理の無答責を明記したもの」と述べていますが、それならば「宗教的事項」、つまり

  • 戦前の「国家神道」を肯定するのか?
  • 賽銭のキャッシュレス化は神道神学的に許されるのか?
  • なぜ「二拝二拍手一拝」を神職の拝礼作法として採用したのか?

こうした神学的・教学的な論争については、統理が責任者として矢面に立つということでしょうか?

東京大学名誉教授の島薗進先生の本庁批判は、神社本庁の世俗部分だけではなく教学面にも及ぶものです。高森明勅先生の皇位継承に対する考え方は本庁の過去の見解と立場を異にします。このように本庁の「聖」の部分に対する批判や論争は存在します。ただ今までは、葦津珍彦が弁護してくれていたから、本庁が論争の矢面に立つことがなかっただけです。

その葦津珍彦はすでにおらず、キャッシュレスなど本庁が教学的見解を示さないといけない新しい問題が次々と発生していますので、神社本庁の教学面の最高責任者が矢面に立つ場面はこれから増えていくことが予想されます。

このように花菖蒲ノ會が目指している方向性(統理に総長選任権限がある、世俗的事項のみ無答責である)は、統理を紛争の矢面に立たせるリスクがあります。

それは信頼回復の道なのか

花菖蒲ノ會は「基本姿勢①」で「神社本庁の自浄正常化と、それによる神社神道の信頼性の回復・確保が当方の主眼とする目標である」と述べています。

しかし、社会的な信頼回復が目標であるならば、裁判の泥沼化は避けるべきでしょう。あと、裁判で決することを「自浄」とは呼べません。

神社本庁に限らず全国組織のトップ候補になる人材は、口では「自分なんて」と言いながら、内心では「自分こそ」と思い、見えないところで努力してきた人です。そういう気概のある人材が同世代に1人だけとは限りません。むしろ複数人いるような団体の方が活力があると評価できます。そして、候補者が2人以上いれば多数決や選挙で勝負を決することになります。したがって総長の座をめぐる競争があること自体は悪いことではありません。しかし、その競争は役員会の中で堂々と決するべきものであって、役員会の外の人間を巻き込むものではありません。

また花菖蒲ノ會は、田中氏は総長として不適格と批判する基本姿勢を示していますが、そこは拘るべきところでしょうか?職舎売却について裁判所は背任行為は認められないと判断しました。

神社本庁職舎売却をめぐる背任疑惑を裁判所はどう判断したか - 神道研究室

裁判所が背任行為は認められないと判断しても、なお田中氏が総長として不適格だったと主張することにどんなメリットがあるのでしょうか?

そのため花菖蒲ノ會の基本姿勢は、神社本庁の改革(執行部の世代交代や組織の刷新)と社会的信頼の回復を最優先しているとは言い難い印象を受けます。

このように花菖蒲ノ會の基本姿勢は統理を紛争の矢面に立たせるリスクがあり、神社神道にとって有益な方向性ではないと思います。