東京都神社庁でのパワハラ疑惑
本件は東京都神社庁の主事補であったN氏(原告)が東京都神社庁長であった小野貴嗣氏(被告)からパワーハラスメントを受けたとして訴えた事案です。ちょうど東京都神社庁の役員改選の時期でもあり、この裁判は都神社庁の役員人事に大きな影響を及ぼしました。
原告の主張
まず原告の主張を判決書から見ていきましょう。事件の発端は都神社庁のM元主事による横領にさかのぼります。M元主事は令和2年から令和4年にかけて神社庁の預金口座から個人口座に合計2580万円を送金して横領を行いました。ちなみにM主事は発覚後、令和4年12月までに全額を神社庁に弁済し、令和5年4月19日に懲戒解雇されています。この横領に気付いたのがN氏であり、令和4年12月16日に小野前庁長に報告しました。そのときの庁長の反応から「横領について適切な処分、対応がされないおそれ」を抱いたN氏は横領の証拠となる通帳のコピーを議員秘書3名に送付しました。通帳のコピーを部外者に開示したことを知った小野庁長は「大きな声で激しく叱責し、自身の手で机を何度も強く叩いた」上で、N氏に対し始末書を書くことを求めました。この「被告による威圧的態様による叱責及び始末書の作成の強要」により精神的ショックを受けたN氏は「日常生活に支障を来し、一日のほとんどを寝込むようになった」。令和4年12月27日には適応障害であると診断され、「最終的には、都神社庁を退職せざるを得ないところまで精神的に追い詰められた」というのが原告のN氏の主張であり、この精神的苦痛に対する慰謝料として400万円、治療費等で79,570円の合計4,079,570円を小野氏個人に請求しました。
以上はあくまで原告の主張であり、これを裁判所がどう判断したかをみていきましょう。
隠蔽はあったか?
この判決を東京新聞(令和8年3月29日付朝刊)は「元幹部の不正を前庁長に報告した後、事態の隠蔽を懸念して、友人関係にある国会議員秘書ら3人に通帳のコピーを送付した」と報じました。この記事を普通に読めば「小野元庁長が横領を隠蔽しようとしたからやむを得ずN氏が通帳のコピーを送付した」と考えてしまいますが、裁判所は小野氏の隠蔽を明確に否定しています。
裁判所が認定した実際の経緯は以下の通りです。原告のN氏は令和4年12月16日にM氏の横領を小野元庁長と参事に報告しました。このときN氏は懲戒免職・刑事告訴が相当だと考えていました。ところが小野元庁長と参事との会話のなかで、早々にM元主事の親が全額を返済し謝罪していること、人手不足、過去の前例などを考慮して停職や減給という意見も出されました。この意見を聞いたN氏は知人に対し「LINEのメッセージで、親が返済するからと、停職・減給1か月という処分で事実上不問に付し、隠蔽しようとするのは納得できない、早々に脱出したいなどと述べていた」(裁判所判断、判決書13p)。
ここで注意せねばならないのは、M氏の処分には役員会の承認が必要で、庁長と参事だけで決定することはできないということです。小野元庁長と参事は都神社庁の規則や過去の前例などから停職または減給という可能性を口にしただけで、役員会の承認を得ずに独断でM氏を軽い処分にしようとしていた訳でも、M氏を庇って甘い処分にしようと画策しようとしていた訳でもありません。このときの状況を裁判所は「都神社庁内部では厳正な処分がなされないとの懸念が客観的にみて高まっていたとは認め難く」(判決書16p)と評価しています。つまり客観的に証拠を見て、小野氏は厳正な処分をしようとしていたように見えると裁判官は判断しているのです。
つまり「隠蔽」とはN氏の主観的な感想に過ぎません。そもそも原告のN氏はLINEのメッセージで友人に対し「隠蔽」という表現を用いましたが、裁判所へは軽い処分がなされるおそれと主張しています。このように裁判所が明確に否定し、ましてや原告も主張していない「隠蔽」という表現を東京新聞が判決後の記事で使用することは、報道機関として公平性、正確性、新聞記事が社会に与える影響への配慮を著しく欠いています。なぜならば上述の通り記事だけを読んだ人は小野氏が横領を隠蔽しようとしていたと誤解するからです。文法的に考えても軽い処分を検討していたことを「隠蔽」とは言いません。不適切な表現を指摘された時によく「文字数が足りなかったので〇〇と約した」という言い訳が用いられますが、今回のケースでは「処分方針に不満を抱き」など隠蔽に代わる表現はいくらでもあります。東京新聞には判決から逸脱し、かつ被告の名誉を毀損する「隠蔽」という表現を用いた理由について、報道機関として説明責任があると私は考えています。
小野氏が叱責したのは横領を隠蔽するためではありません。叱責したのは通帳のコピーを外部に流出させたことに対してです。
通帳開示は公益通報にあたるか
N氏は国会議員の秘書2名、元秘書1名に対して横領の証拠となる通帳のコピー(PDFファイル)をマスキング(黒塗り)せずにLINEで添付して送付しました。そうすると受け取った3名はM氏の横領の証拠(個人口座への振込の事実)だけではなく、他の出入金記録も見ることができます。しかもPDFにしてデータを渡してしまったので、3名から更に他へと流出するリスクもあります。常識的に考えて組織の通帳のコピーが部外者の手に渡ったら、組織の長として事実を確認し、それを行った職員を指導するのは当然のことです。
これに対し原告のN氏は「公益的な動機に基づくものであった」また「事務的な入出金の履歴があるだけで氏子などの個人情報が記載されているものではなく、内部情報ではあるものの、その情報の要保護性は高くない」と公益通報であり、違法性は阻却されると主張しました。平たく言えば、公益通報だから叱責される筋合いがないと主張したのです。
これに対し裁判所は「原告と秘書らは友人関係と呼べる関係にあると認められ、原告が本件通帳のコピーをLINEで添付してメッセージを送信した意図は、国会議員への通報を期待していたというよりは、友人に対して、被告が口にした処分が軽すぎることへの不満や都神社庁を辞めることを考えていることなどを吐露することが主眼であったと推認されるところである」(裁判所判断、判決書15p)と原告の主張を完全に斥けています。小野氏が横領を隠蔽しようとしたからではなく、不満を吐露するためにコピーを渡したのだと裁判所は明確に指摘している訳です。「隠蔽を懸念して」という東京新聞の表現が判決に即していないことは明らかです。
通帳のコピーを送付するという「原告の行為は公益通報者保護法に定める公益通報に準ずるものと評価すべきものとは認め難い」のであり、「原告の行為は、都神社庁の就業規則に定める服務規律に違反する行為(業務上知り得た秘密を、他に漏らすこと)に当たるというべきである」(判決書16p)ということから小野元庁長には指導の必要性があったと裁判所は判断しました。
パワハラはあったか?
指導の必要性があったことが確認できたら、次はその指導内容が許容される範囲内だったかを確認せねばなりません。指導の必要があっても、そのやり方が業務上必要な範囲を逸脱したらパワハラになってしまいます。小野氏がN氏にとった指導方法は叱責と始末書でした。
小野氏の叱責について、裁判所は「感情的でやや行き過ぎた指導であったことは否定できない」としつつも、参事も臨席させて単発的な事象であり、「客観的にみて相当な範囲を超えるとまでは認めがたい」と判断しました。始末書も「懲罰的、制裁的な目的で作成させたものとまでは認められず」とし、強要されたとする原告の主張に対しても「採用できない」と斥けています。「本件始末書の作成、提出についても、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な指導の範疇と評価すべきである」(判決書18p)というのが裁判所の見解です。
以上を踏まえた上で、パワハラについて「原告の主張はいずれも採用できず、被告に不法行為(パワーハラスメント)が成立するとは認められない」と裁判所は小野氏のパワハラを完全に否定しています。
名誉棄損は成立するか
都神社庁の協議員会において小野元庁長が「元主事補であった原告が内部情報を漏洩したため、都神社庁の庁長であった被告において、叱責し、反省してもらうために始末書を書いてもらった」(判決書19p)という趣旨の発言をしたことについて、N氏は名誉棄損による損害賠償請求をしていました。これに対し裁判所は「当該行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合には、適示された事実が真実であることが証明されたときは、同行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当」という法理を述べた上で、
- 当該発言は協議員会で原告の行為とそれに対する庁長の対応を説明するなかでなされた発言であり、公共の利害に関するものと認められる。
- 被告において不当な目的があったとは認められない
- 「原告が内部情報を漏洩した」とする点は真実である
- 「飛行が原告を叱責し、反省してもらうために始末書を書いてもらった」とする点も真実である。
として違法性阻却事由が認められるとして、「本件発言にかかる不法行為は成立しない」とN氏の請求を斥けました。
東京都神社庁の和解
このように裁判所は原告の請求を棄却し、小野貴嗣氏のパワハラと名誉棄損を否定しました。この間、特に東京都神社庁の役員改選に際し、小野氏がパワハラをした、あるいは横領を隠蔽しようとしたとして「口撃」した人は事実に基づかない誹謗中傷をしたのであり、大いに反省すべきでしょう。
さて小野氏が退任し、松山文彦氏が新たに庁長に就任しました。都神社庁の新執行部は早々にN氏に対し金80万円を支払って和解しています。しかし、小野氏が裁判に勝訴したのですから、都神社庁も裁判していれば勝訴した可能性は高いです。そうすると80万円も支払って和解するという判断は妥当だったのでしょうか?
和解金80万円は言うまでもなく神社庁の資金であり、神社庁の資金は都内の神社が拠出したものです。松山庁長には和解の妥当性について都神社庁関係者に説明する責任があります。特に松山氏は神社本庁の百合丘職舎売却について責任追及しておきながら、自らの判断について説明責任を果たさないのはダブルスタンダードになってしまいます。
正義マン
小野氏はパワハラも横領の隠蔽もしなかった。これが裁判所が認定した事実です。神社関係者のなかで、小野氏がパワハラをした、あるいは横領を隠蔽しようとしたと思い込んでSNSや都神社庁の会議において誹謗中傷をした過去がある人は、早々に謝罪すべきでしょう。少なくとも神職としての矜持があるなら謝るべきです。自らの過ちを認めて謝罪できない者に他者を善導するなど不可能だからです。
人間の脳みそは「正義を執行し悪を制裁している」と認識すると快楽物質を分泌します。近世までの村八分とか、犯罪者に村中で暴力を振るって私的制裁を加えるなどといった野蛮な習俗は、そうした脳みその構造による現象です。しかし、文明が発達するにつれて本能ではなく法と理性によって人を裁くべきだと人類は考えるようになりました。そうして成立したのが近代法治国家です。法治国家では村八分などの野蛮な習俗は否定され、罪の有無と制裁は司法機関に委ねられます。ただ近代法治国家を樹立するまでの道のりは簡単ではありませんでした。政府が法治主義を唱えても、人々が国家の法律よりも自身の感情を優先していたら法治国家は成り立ちません。人々の意識を変革せねばならなかったのです。実は、日本においてその大事業の一翼を担ったのが神職や僧侶といった教導職でした。教導職の三条教則には「朝旨遵守」が明記されています。日本が近代的な法治国家になれたのは、国民が法律を遵守し理性的な対応ができるようになったからであり、国民の遵法意識を高めたのは神職をはじめとする教導職の功績が大きいのです。
それから100年以上が経過し、残念なことにSNSが普及したことによって過剰な正義を振りかざし、他者を攻撃することを楽しむ人が増えてしまいました。そうした人々をネットスラングでは、「正義中毒」とか「正義マン」と呼びます。歴史的に考えて、正義マンに対し冷静な対応を求めるのが社会の師表たる神職や僧侶の社会的な役割なのですが、その方面で活躍できていないのが実状ですし、むしろ一部の宗教者が正義マンになってキャンセル・カルチャーを引き起こすという事例が散見されます。非常に残念なことです。
判決が下る前、小野氏のご家族に匿名の書状を送った人がいるという風聞を耳にしました。聞くところによると内容は勇気ある告発をした原告を小野氏がパワハラで適応障害に追いやったとご家族を責めるものだそうです。なぜ本人ではなく、ご家族に送るのか?ご家族宛に送付する合理的理由および大義は一切ありません。実際に小野氏のご家族にそうした書状が本当に送付されたのかは確認のしようがありませんが、事実ならば許しがたい卑劣な行為です。