神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

花菖蒲ノ會会報18号読後評

そういえば

17号は自浄.jpで公開されてませんけど、どうしたのでしょうね?

とりあえず会報18号が発行されたので書評します。https://jijyo.jp/page.php?id=400

裁判所に持ち込んだのは芦原氏サイド

虫歯になったら歯医者に行きます。虫歯で接骨院に行く人はいません。それと同じことで、法律的に解決する問題だから裁判所に訴えるのであって、法律的に解決できないトラブルを裁判所に持ち込んでも無意味です。

神社本庁総長選出は責任役員会の議決と統理の指名のどちらで決まるかというトラブルを芦原氏は裁判所に持ち込みました。芦原氏は法律的に判断されるべき問題と認識していたから裁判所に訴えたということです。

裁判所の判断を仰いでおきながら、裁判所が判断するのは宗教団体に対する違法な干渉だ(宗教法人法85条違反)と主張するのは矛盾します。「ならどうして裁判所に持ち込んだ?」と裁判官も思うでしょうし、すでに高裁判決でも指摘されています。

そんな規程ないです

会報には次のような主張があります。

「庁規」は「別段の定め」を設けて、宗教団体「神社本庁」の「総長」をあてると定めてゐます

はて?何条のことでしょうか?

「宗教団体」の総長をそのまま代表役員にするという解釈はこの裁判で出されましたが、根拠となる明文化された規定は存在しませんし、その解釈も高裁で不採用になりました。

葦津珍彦の理論との不一致

会報の中で、各神社の代表役員も統理に任命された宮司が就任する(のだから総長も同じだ)というロジックが唱えられています。

しかし、葦津珍彦は各神社の代表役員(=宮司)の任命方法と総長選任方法は異なると明言しています(この点は神社連盟案で解説しましたし、他にも端的に明言した著述があります)。従って花菖蒲ノ會の主張は葦津珍彦の本庁構想と合致しません。

葦津珍彦が神社本庁の理論的中心人物であることは万人が認めるところですから、創立時の神社本庁に立ち返るのであれば葦津珍彦の理論に合致しないといけません。

また統理の指名が「慣習・伝統」だと主張するのであれば、根拠として統理が役員会の議決をひっくり返して総長を指名した前例を示すべきでしょう。