神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

葦津珍彦の論文をもとに本庁問題を考える

40年前の論文

葦津珍彦の著作に「神祇制度思想史につき管見」という論文があります。1983年(昭和58年)だからちょうど40年前の論文ですね。この論文は葦津珍彦が神社本庁講師・教学委員を勇退するに際して、近代から昭和58年までの神祇制度と思想の大綱を論評したものであって、彼の思想(特に神社本庁に対する考え)を知る上では非常に重要な史料です。

今回はこの論文をベースに本庁問題について考えてみましょう。

統理の指名権

現在の総長の座をめぐる議論は次の①と②で議論になっています。

神社本庁総長は責任役員の多数決で決定し統理が形式的に指名する

②責任役員の多数決の結果に関わらず統理の指名によって総長は決定する

この問題について私は過去のブログにおいて多数決の結果をひっくり返して統理の指名によって総長が決定した「先例」がないこと、実質的に「選挙」という認識が関係者に見られること、神社本庁の原案である「神社連盟」案においてトップ(会長)の選出方法は「下からの選出」と構想されていたこと等を理由に①と考えるのが妥当と論じてきました。

そして神社連盟案の構想を練ったのが葦津珍彦であり、彼が創設時から神社本庁の理論的・思想的指導者であったことは万人が認めるところです。

さて②(統理の指名権)の論者のなかには「葦津珍彦は神社連盟案の段階では下からの選出を是としていたが、神社本庁となっていく過程でトップダウン、つまり統理による指名へと考えを改めたのではないか」と主張する人もでてくるかもしれませんので、神社本庁がつくられた後に葦津珍彦の見解を当該論文から見てみたいと思います。

私は神道指令によって神社が公法人たることを禁ぜられた時にも、諸宗教との本質の異なることを明らかにすべく、神社は宗教法人にならないで、民法の祭祀を目的とする法人となり、本庁はその財団の連合としての社団となることを欲した。

ここで神道指令が発令された時に葦津は神社は財団的運営、本庁は社団的運営が望ましいと主張したと回想しています。社団法人の運営は「社員総会」の多数決で決定するものですから、神社連盟案と同じ下からの選出です。その考えは神社本庁はできてからも変わらず、将来的に財団法人制度が整理されたら「国家ノ宗祀」という自負のある神宮・神社は宗教法人をやめるべきだと主張しています。

宗教法人を脱して「祭祀目的の財団法人」になったがよいと思ふし、本庁は社団となるべきだ

このように葦津珍彦は昭和58年の時点でも神社本庁は社団的運営が望ましいと考えていたのです。葦津珍彦の考えに基づくのであれば神社本庁の総長選出方法は①(責任役員の多数決)ということになります。換言すれば、統理の指名権は葦津珍彦の考えと相反します。

神社は宗教法人であるべきではない

宗教法人よりも財団法人の方が神社に適していると葦津が考えた理由はいくつかありますが、一番大きいのは責任役員の多数決で御祭神すら変更できる宗教法人よりも、設立当初の目的が重視される財団法人の方がよいという点にあります。

このように述べると「葦津珍彦も宗教法人法に不服を言っているじゃないか」と考える人がいるかもしれませんが、宗教法人としての特権を享受しながら宗教法人法には抵抗すべきだなんて葦津珍彦は言っていません。神社は宗教法人をやめて財団法人になるべきだと言っているのです。だから「宗教法人ではなく、宗教団体として」というロジックを主張したいのであれば、さっさと宗教法人としての特権を手放して宗教団体か財団法人になればいいのです。何より宗教法人の特権を手放さないまま、宗教法人法に従いたくないと主張することを容認するほど社会は甘くありません。

宗教法人に対する税制上の恩典に対して不満をもつ国民も少なくありませんし、昨今の宗教に対する社会的信用の低下から宗教法人のコンプライアンスはより厳正化を迫られています。神社本庁の総長の座をめぐる議論で私が気になるのは、宗教界全体が直面している社会的信用の急落に対する危機意識に乏しいという点です。

神社神道が日本社会において歴史と伝統のある宗教であり、神社が日本社会の精神的基盤であるという自負があるのであれば、宗教法人法を厳正化して社会の信用を取り戻しましょうと他の宗教法人や宗教団体に対して呼びかけるべきではないでしょうか?少なくとも今の社会風潮のなかで宗教法人法は気に入らないと主張するのは、宗教法人・宗教団体にとって悪手でしかありません。

創設時への回帰

葦津珍彦にとって創設時の神社本庁神道指令を乗り越えるための「暫定制度」でした。葦津は日本が主権を回復した時点で神社制度の抜本的な建て直しを構想していました。しかし、そのためには全ての神社・神職が大きな代償を支払う必要があり、さらに様々な逆風により実現しませんでした。

したがって「創設時の神社本庁が理想であり、そこに戻るべきだ」と主張する時点で葦津の理想とは異なります。葦津の志を継承するのであれば、宗教法人法という枠組みのなかで神社の「国家ノ宗祀」としての性質を発揮する方法を模索するか、宗教法人を脱し財団法人になって「国家ノ宗祀」たることを目指すか、いずれにせよ創設時と現状の否定から始めないといけません。

加えて言うならば、神道指令が発令された時代と令和の時代は状況が異なるのですから、過去に回帰すれば神社界が再びかつての栄光を取り戻すなんてことはありません。過去を継承しながら、少しでも良い神社界になるように令和の時代に即した神社・神社本庁の在り方を提示する。それがこれからの神社界の指導者に求められることです。

神社界にも神社本庁が「暫定制度」であることを理解している人も少なからずいますが、内部からストレートに創設時を否定することにためらいがあるのか、神社新報などでは「創設時の理念」(創設時の状態に戻すのではなく、暫定制度から次の段階へ進もうとしていた昭和30年代の先人の熱情を取り戻そうという意味)などと回りくどい表現を使うことが多いように見受けられます。神職らしい奥ゆかしさからくる行間を読んでくれということなのでしょうが、ストレートな表現を用いないと大きな運動は起こせません。

葦津珍彦の再評価を

葦津珍彦を知らない神職も増えています。神社本庁としても「神社本庁にとって葦津珍彦とは如何なる存在か」についてきちんと整理し、周知すべき時期に来ているのではないでしょうか?