ツッコミどころ満載
今回は神社新報3656号(令和5年10月30日)に掲載された十月定例評議員会の記事の感想を述べていきます。
まず佐野和史評議員の「この評議員会が宗教法人の評議員会であるのか、あるいは祭祀の伝統を貫くための、国史を貫いて不易であることを実現していくための評議員会として運営されるのか」という質疑はいわゆる「誤った二分法」と言われるものです。「宗教法人として祭祀の伝統を貫く」という可能性を考慮せず、「宗教法人では祭祀の伝統を貫くことができない」と決めつけて二者択一を迫っています。
しかも、この質問に「宗教法人としての評議員会」と回答すれば、「祭祀の伝統を貫くことを否定した」と回答者を攻撃する材料になりますし、「祭祀の伝統を」と回答すれば「宗教団体神社本庁を認めた」と勝利宣言することができると、どっちを選んでも回答者に不利になる落とし穴的な質問方法になっています。
論理的に議論するのであれば、佐野氏が質問に先立ち「宗教法人では祭祀の伝統を貫くことができないこと」を論証する必要があります。
統理さまは防止弁になるか
次に葦津敬之評議員の「仮に反社勢力が責任役員会に入った際、多数決の理論では反社に従ふことになってしまふが、今は統理さまの指名権で阻止できてゐる。それを崩すのはひじょうに危ないといふことを理解すべき」という主張は制度論として成立しません。
そもそも統理も責任役員(=理事)も評議員会で選出されます。そして統理になる条件は明文化されていません。近年は旧皇族や華族など皇室に近い家柄で、神宮大宮司経験者がなる傾向にありますが、それはそのような人物を評議員会が選んだ結果であって、評議員会の多数決次第で家柄的にも精神的にも皇室とは距離のある人物が統理に就任することも規則的には可能です。
そして統理になるにも責任役員になるにも評議員から一定数の支持を集めないといけません。つまり反社勢力の人間が責任役員に一人でも入り込んだ時点で、評議員の一定数が反社勢力の人間あるいは息のかかった人間になってしまっていることを意味します。反社勢力からすれば責任役員会を乗っ取るためには、先に評議員会を乗っ取らないといけない組織構造になっています。
責任役員会に息のかかった人間を送り込めるだけの評議員の票を集められる反社勢力が統理の選出に介入しないなんてことありえません。反社勢力に都合の良い人物が統理に選ばれるように画策するでしょう。
統理が評議員会と別の機関や人物から任命される役職であれば防止弁になるかもしれませんが、現行の規則的に責任役員と同じ評議員会で選出することになっているので防止弁になりません。
神社本庁に反社勢力が入り込むのを防ぎたいなら反社勢力に関わりのある人物が評議員になれないようにするしかありません。