神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

外苑再開発に関する東京新聞の論調に対する論評

東京新聞亀井静香氏を取材

東京新聞明治神宮外苑再開発に関して元衆議院議員亀井静香氏に取材し、亀井静香氏「明治神宮を見下ろす」外苑再開発に反対 「国民が寄進してできた。神宮の一存では許されない」:東京新聞 TOKYO Webと報じました。

亀井静香氏は警察官僚として「あさま山荘事件」などの重大事件に関わり、政界に転じてからは衆議院議員13期、運輸大臣建設大臣内閣府特命担当大臣自民党政調会長国民新党代表などを歴任した保守の大物政治家です。

今回の取材で亀井氏は「神宮は明治大帝が祭られている。そこを見下ろすような開発を外苑の開発としてやるべきではない」と主張しています。明治神宮を見下ろしてはならないというのは尊皇家としては正論ですが、だったらマスコミが皇族・皇居・明治神宮をはじめとする皇族を祀る神社・御陵を空撮・高い位置から撮影することもダメだということになります。この点に関して東京新聞としてはどのように考えているのでしょうか?東京新聞は皇族・皇居・神社を高い位置から撮影し続けるけど、外苑再開発反対にとって有利な発言は掲載するというダブルスタンダードはいけません。

それは詭弁である

再開発反対論の中心となっている「国民が寄進してできた。神宮の一存で再開発することは許されない」という主張は一見すると正しい理屈のように思えてしまいますが、実は詭弁です。なぜならば「国民が寄進してできた」という前提が誤りだからです。たしかに外苑は明治天皇を慕う多くの国民が奉賛・奉仕してつくられました。しかし、外苑創建に協力しなかった国民もいたのも事実です。

したがって厳密にいうならば「明治神宮奉賛会が寄進してできた」であり、さらにその後の復興や護持のために明治神宮復興奉賛会や明治神宮崇敬会が設立されたことから考えるならば、外苑の在り方について意見を述べる権利があるのは明治神宮奉賛会・明治神宮復興奉賛会・明治神宮崇敬会です。

前2団体はすでに解散していますので、現時点で再開発に対して反対意見を述べることができるのは明治神宮崇敬会のみであり、これは信徒の総意によって法人運営されることを規定する宗教法人法の趣旨にも適っています。

言い替えれば、明治神宮を維持するための奉賛をしてこなかった人間に発言権はありません。奉賛をせずに発言権だけを要求するのはフリーライダーですし、奉賛した人々の善意を冒涜する行為です。

法的根拠はあるの?

また「お金が必要だから再開発するというなら、経理の状況を公開しなければおかしい」という主張については、経理の状況を公開する法的・制度的根拠の記述がありません。

明治神宮経理状況の公開を迫る権利があるのであれば、それは誰が有する権利なのか、どういう法的な根拠があるのか、などの解説を付して報じるのが社会の公器としての務めです。この記事の中核になる点なのですから、取材した記者はその点をより深掘りすべきでしょう。対象の発言の裏付けを取って記事にするのも、読者にわかりやすく解説を付すのも新聞報道の基本のはずです

伊達巽宮司

記事で「伊達巽・元宮司」の名前が挙がっていますが、この伊達巽宮司こそ外苑の収益事業を進めた人物であり、伊達巽宮司が今回の再開発を反対するはずがありません。

一般の人は「明治神宮は参拝者も多く、賽銭も多いだろうから経済状況は良いはずだ」と思うでしょうが、明治神宮は収入も多いけど支出も多い神社です。あれほど立派な社殿を維持し、境内林を整備し続けるためには莫大な維持費がかかります。つまり明治神宮は「社殿・境内の維持管理費>社頭収入」という経営課題を抱える神社なのです。

これは戦前からの課題であって、賽銭などの社頭収入では不足する維持費をカバーするために戦前は修理の際の国庫補助や「国庫供進金」という公的補助が手厚くなされていました。しかも「国庫供進金」は官国幣社に対して神社維持費の不足状況に応じて支給されていましたが、明治神宮の受給額は上位でした。それだけ維持費が不足していたということです。しかし、維持費を支えていた公費補助も敗戦時の神道指令で廃止されました。

企業などであれば収入が減ったならコストを削減すればいいじゃないかという経営判断を下すこともできますが、明治天皇をお祀りする明治神宮の祭祀・社殿・境内を縮小させることはできないというのが当時の明治神宮の崇敬者の総意でした。明治天皇をお祀りする以上、祭祀も社殿も境内も最高級のものでなくてはならないというのが、計画段階から一貫した理念です。そうすると内苑・外苑の維持のために公費補助に代わる収入を創出せねばなりません。その課題を解決するために権宮司として招聘された人材が伊達巽氏です。

伊達権宮司神宮球場プロ野球の誘致、明治記念館の直営化など収益事業を推進しました。現在に続く、外苑の収益で内苑を維持するという仕組みを本格化させたのは伊達巽氏なのです。収益事業を推進したと聞くと商業主義的な俗人という印象を持たれるかもしれませんが、伊達巽氏は官国幣社宮司を歴任した神職であり、明治神宮では御祭神の神徳を宣揚する出版物の刊行にも力を注ぎ、復興奉賛会においても募金をお願いしに自ら全国を行脚しました。むしろ記録や事績からは地道な教化活動を重んじる硬骨な神主が想像されますし、実際に多くの崇敬者から信頼されて宮司に昇進しています。伊達宮司が外苑守成の功労者の一人であることは間違いありません。

世代的に伊達巽宮司と親交のあった人は少なくなってきています。私が取材するなら亀井氏から伊達巽氏の名前が出た時点でその人柄、収益事業に関する考え方などを詳しく聞いて記事にします。現在の外苑の仕組みをつくった人物に関する情報は再開発問題を考える上で有益な判断材料となりますから、記事で伊達巽宮司に関して深掘りされていないのは残念でなりません。

賛成派・反対派両方に取材し、法制度や歴史的経緯をリサーチして、国民の判断材料としての情報を提供するのが社会の公器としてあるべき姿勢であると私は考えます。東京新聞のこれまでの再開発に関する記事はどちらかといえば反対派に重点を置いた感があり、法制度や歴史的経緯の解説も充分とは言えません。

外苑における収益事業

明治神宮の歴史をひもとけば、外苑における収益事業は金儲けのためにやっているのではなく、内苑・外苑を維持していくために必要不可欠だからやっていることは明らかです。賽銭などの社頭収入だけで内苑・外苑を維持できれば理想であるが、社頭収入だけでは維持管理費を賄うことはできない。再び明治神宮を公法人に復帰させて公費補助を受けることは戦後の政教関係では難しい。だからといって、明治天皇を奉斎する社殿を縮小させ、祭祀を簡略化し、維持できない境内を売却することは敬神尊皇の精神からできるはずもない。ならば収益事業をはじめて維持費を捻出するしかない。こういう事情を無視して外苑の在り方を論じるのは、伊達巽宮司をはじめとする先人の内苑・外苑を維持するための苦労や苦悩を軽んじる行為です。そのため今回の再開発問題を含め内苑・外苑の将来の在り方については、創建・守成の理念を継承し、明治神宮を崇敬し維持するための奉賛をしている明治神宮崇敬会の意向を最大限に尊重すべきであることは言うまでもないはずなのですが、なぜか東京新聞に限らずマスコミは崇敬会の意向を重く扱ってはいません。

外苑の収益事業が止まれば、内苑・外苑の維持が難しくなります。反対するなら維持費の負担について考えてほしいですし、政治家なら公費補助の方途を考えてほしいものです。宗教法人だからできないというのは思考停止です。宗教法人の所有する重要文化財の修理保全には公費補助がなされます。宗教法人の布教に対する支援ではなく、公的に支援してでも保全すべき文化財の所有者がたまたま宗教法人だったからなので、こうした補助は政教分離に抵触するものではありません。イコモスを含め再開発反対派の人々は外苑に保護すべき価値があると主張しています。コモンだと主張する人もいます。外苑が公共財ならば重要文化財に準じて公費補助を支出することは問題ないはずです。その実現方法を考えるのが政治家の仕事ではないでしょうか。

今の外苑は最高級でしょうか?現代社会に明治天皇の偉大さ伝えるための空間として最適化されているでしょうか?失礼ながら私は昭和の時代(明治でも大正でもない)で時が止まっていて素人目にも老朽化して耐震性が気になる箇所もあります。このような感想を抱かせることは創建に携わった人々の本意ではなく、角南隆が存命であれば「ああ、いつ来ても清浄で快適で無比の神苑であるな、と万人が感動するような空間であらねばならない。さっさと修理しなさい。」と叱咤激励するでしょう。

収益事業として考えても老朽化した設備では集客は低下し、スポーツには流行りすたりがあります。伊達巽宮司なら「収益を上げ続けるために不採算施設を閉鎖し、収益のあがる新施設に切り替えろ」と経営判断を下すでしょう。

外苑が最高級の神苑であり続けるためには放置ではなく、絶えざるメンテと定期的なアップデートが必要です。そのために創建時から長期的な施業計画をつくり、優れた技術者を育成してきたのです。今がアップデートの時期だと崇敬者が賛同している計画を止める権利が誰にあるというのでしょうか?