玉川徹氏のコメント
明治神宮外苑の再開発「羽鳥慎一のモーニングショー」において玉川徹氏がコメントをしました。今回はそのコメントに対して論評していきたいと思います。
玉川徹氏 神宮外苑再開発、伐採→植樹に「100年ごとに新しく生えればいいという場所じゃない」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
内苑と外苑は同じ設計コンセプトではない
玉川氏は内苑と同じ思いで外苑がつくられていると主張しますが、設計した上原敬二、本郷高徳らの著述を読むと、内苑と外苑は全く異なるコンセプトで設計されていることは明らかです。例えば上原敬二は、境内の森林を以下のように分類し、それぞれ管理方法が違うと述べています。
- 「神社境内林」直接神社の風致に関係ある部分
- 「神社風致林」境内林に加ふるに直接ではないが間接には神社の風致に関係ある部分
- 「社有林」神社の所有する経済林
- 「外苑」境内にある場合には外域林の考を敷衍して設計すれば大過はないが、全然境外に在る場合には公園的設備、公園林施業等の必要なこともある
- 「神體林」境内林の一部又は風致林の一部を以て神座を安置する本殿に代はらしめるもの
(「神社風致林の造成に就て」)
このように設計した技師は内苑と外苑ではコンセプトも造成・管理の方法もまったく異なると明言しています。
思想
玉川氏は「思想」という表現をつかっていますが、明治神宮の外苑は「自然保護」という思想の場所ではなく、明治天皇と昭憲皇太后を尊崇する「尊皇」思想の場所であることは、外苑設立の趣意書にも明記されています。
樹木のリスクとコスト
一連の議論において樹木を管理するリスクとコストが無視されています。玉川氏は「その木が倒れると、そこに落葉樹が生えたりというのが最終形なんです」とコメントしていますが、木が倒れた先に人がいて大けがをしたらどうするのでしょうか?
各地の神社には相当な樹齢の木々があります。倒れてきたら社殿がぺちゃんこになるような大木もありますし、台風などのあとには木刀よりも太い枝が落ちていることもあります。樹木があるということは、そういうリスクもあるということを忘れてはいけません。
そして事故を防ぐ責任は所有者にあります。だから枝打ちや間伐は安全のために不可欠ですし、それは無料ではありません。そのコストがかかるのであり、そのコストは所有者の負担です。樹木は放置していれば勝手に森が維持されるものではなく、適切な管理・施業が必要なのです。
外苑の樹木だって、放置していれば倒木や太い枝が落ちてくるかもしれません。そういう事故が起こる前に安全対策をするのは所有者の義務であり、権利です。外苑の樹木を守れという主張は、樹木にによるリスクとコストに対する責任と一体不離であるべきです。
外苑は都民の「コモンズ」ではない
「東京にふさわしい緑、森って何だろうと考えた」と玉川氏は述べます。しかし、「東京にふさわしい森」の管理は東京都が都民の税金で行うべきであって、一宗教法人が管理しているのはおかしいのではないでしょうか?
明治神宮の森は「東京にふさわしい森」として造成されたのではなく、明治天皇と昭憲皇太后を尊崇する人々が寄進した「明治神宮にふさわしい森」であり、明治神宮の崇敬者によって維持管理されてきたのです。
権利と義務はセットです。だから外苑の管理方法について発言権があるのは、明治天皇と昭憲皇太后を尊崇し、明治神宮の維持に尽力してきた、あるいは維持する義務を負う崇敬会の人々だけです。だから意向を尋ねるべきは、都知事ではなく、崇敬会です。
外苑は都民のコモンズではなく、明治神宮を崇敬し、その維持に義務を負う人々のコモンズです。もし外苑をコモンズとして議論したいのであれば、外苑を東京都が買い取って税金で維持するようにしてから議論をはじめるべきでしょう。
明治神宮の境内林管理
明治神宮を創建したときに、農学、林学、造園学の一流の技師が参加しました。その当時の設計計画で施業がなされています。全国の神社のうち伊勢の神宮と明治神宮ほど境内の森林に人手とお金をかけているお宮はないでしょう。
創建時から継承されている明確な施業方針に基づき森林を大事にしている明治神宮において、外苑の再開発(伐採)は神域の風致を損なうものではないと判断しました。その判断は設計者である上原敬二や本郷高徳らの理論から逸脱していませんし、内苑・外苑の維持に責任を負う明治神宮崇敬会も支持している。このことは再開発の議論において重く受け止めるべきものでしょう。
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明治神宮は財政難だから外苑を切り売りするのか? - 神道研究室