神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

外苑再開発は誰のため?

公園は誰のものか

想像してみて下さい。あなたの地区には公園がありません。自分たちの子どもが遊ぶ場所がないのは不憫だと自治会で話し合って、公民館の隣に遊具、花壇、生垣などを設置して小さな公園をつくりました。設立時に一軒あたり2万円を拠出し、さらに公園を維持するために修繕費積立金として自治会費に年間3000円の上乗せ、さらに輪番制の公園掃除や自治会全員での大掃除などの負担がありましたが、自分たちの子どもが喜ぶためと思って負担してきました。

しかし、年月が経過して、あなたの子どもは成長して都市部に引っ越しました。周りを見渡せば老夫婦の世帯ばかりで、公園を維持していくのはしんどいという声が多くなり、とうとう自治会の総会で公園の廃止を決定しました。

そうしたら隣の自治会から「公園はみんなのものだ。我々もA地区公園の遊具で遊んだことがあり、公園に愛着をもっているし、花壇は地域の貴重な自然だ。そんな貴重な空間を破壊するな」とクレームを入れてきました。

このクレームに対して、あなたはどう思いますか?

この公園はうちの自治会の住民がお金も労力も出して維持してきたものであって、お金の労力も負担しない隣の自治会にとやかく言われる筋合いはない。そう思うのが当然ではありませんか?

この構図は明治神宮外苑再開発とそれに対する反対運動にそっくりそのまま当てはまります。

神宮外苑の自然と歴史・文化を守る国会議員連盟

維持してほしいというのであれば、維持のためのコスト(お金と労力)を負担するのが当然でしょう。ところが超党派の議連である神宮外苑の自然と歴史・文化を守る国会議員連盟」(発起人代表・船田元 衆議院議員)は、外苑維持について公金支出は憲法第89条により「できません」と断言しました。

自民・船田元氏、明治神宮外苑再開発は「内苑を守るため外苑で稼ぐ構図」クラファン活用の私案も(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

公金支出を否定した上でクラウドファンディング明治神宮にやってもらって、それに対して「我々が積極的に協力するということも1つので道ではないか」と私案を述べたそうですが、それって結局のところ「明治神宮で何とかしろ」と言っているのであって無策に等しいですし、「我々が積極的に協力する」という言い方にも本気度を感じられません。本気なら「まず私が1000万円を寄付しますので、皆さんもよろしくお願いします」と呼びかけるか、「私が寄付金を集めて見せます」と責任を負うことを表明するものです。

私はこれまで神社の神職や総代が、伊勢神宮式年遷宮や各地の神社の修繕のために寄付金を集める苦労を見てきました。寄付金集め・奉賛活動のリーダーはまず自分が身銭を切る、そして頭を下げて協力をお願いする。それでなければ寄付は集まりません。船田議員の私案は寄付金集めを甘く考えすぎです。

誰のための再開発か

船田議員の会見で最も重要な点は、再開発に反対している国会議員の方々は公金を支出する意志がないということが確認できたということです。公金が支出できないのであれば、明治神宮外苑は「公共財」あるいは「コモンズ」ではなく、宗教法人の私有地だということです。

最初の公園の話といっしょで、そのものを維持のための負担をしている人に、そのものをどうするかという議論に参加する権利が与えられます。税金で維持される公園なら納税者に参加する権利がありますが、外苑は税金で維持されていません。外苑を維持しているのは宗教法人明治神宮です。だから外苑は都民の共有物ではなく、明治神宮崇敬者の共有物です。外苑をどうするかという議論に参加できるのは明治神宮の崇敬者だけです。明治神宮崇敬会に入会していない都民に議論に参加する権利はありません。

再開発?神宮外苑 イチョウ並木で有名な都民の憩いの場に起きようとしている変化とは?【風をよむ】サンデーモーニング(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

上記記事の最後で誰のための再開発か…その是非が今、改めて問われています」と問われていますが、そんなの明治神宮を崇敬する人々のための再開発に決まっています

この記事では静岡文化芸術大学松田達准教授が「関係者の人が納得する説明が必要。(中略)住民不在で議論もないまま進んでしまっているという感じが否めない」ともコメントしていますが、この問題の「関係者」とは「住民」ではなく「明治神宮の崇敬者」です。

この根本的な誤解は「サンデーモーニング」や松田達准教授だけではなく、広くマスコミに浸透しております。その誤解に基づいた社会正義が市民運動という大きな波になっているのが現状です。アーティストなどで再開発反対を表明している人もいますが、彼らは事業者という権力に立ち向かう「ロック」(反骨精神)の持主ではなく、市民運動の波に乗っているだけだと私には見えます。むしろ「外苑は公共財じゃないよ」と主張している人間の方が、誤った社会正義という大きな波に立ち向かう「ロック」な精神の持ち主だと思いますね。

イコモスは歴史問題について見解を示すべき

船田議員とともに会見した、イコモスの石川幹子氏は「内苑のために外苑(の再開発)ということは久しくいわれてきたが、内苑のために外苑を壊していいということになると(創建時の)理想が失われる」と意見を述べたそうですが、外苑が創出された目的は自然保護でもレクレーションでもなく、明治天皇昭憲皇太后を記念し、明治神宮を崇敬する心を深め、国体精神を発揚することにあることは「外苑将来の希望」に明記されています。言い換えれば、外苑とは皇室と神道を敬愛する人々がその精神を広めるためにつくった空間なのです。

この国体精神というのは、葦津珍彦氏らが主張するように純粋に皇室・神道を愛する事であって軍国主義とは別物ですが、村上重良氏や島薗進氏らのように軍国主義の源流と批判する人もいます。最近でも立命館大学の権学俊教授が総力戦体制における精神的(ナショナリズム)拠点として外苑を論じています。

神宮外苑はかつて帝国の中心だった 結びついたスポーツと天皇制:朝日新聞デジタル

明治神宮軍国主義の精神的拠点とみなす考え方に対して、イコモスはどのような見解をお持ちなのでしょうか?この点について石川氏ははっきりさせるべきでしょう。外苑は軍国主義とは関係がないので保存すべきと考えているのか、軍国主義の拠点とみなしつつ保存すべきと考えているのか、曖昧にして良い点ではないはずです(同じことは権学俊教授の主張を掲載した朝日新聞にも言えます)。

署名と政治的解決

反対運動に20万人以上の署名が集まったとのことですが、その20万人はなぜ明治神宮崇敬会に入会して内部から「今のままで維持していきましょう。我々はそのためのコストとリスクを負う覚悟です」と主張しないのでしょうか?

明治神宮とその崇敬者は外苑の維持についてコストとリスクを背負っています。それを共有してはじめて交渉のテーブルに座ることが許されるのであって、コストとリスクを負わない人間が何百万人の署名を集めようと交渉する必要はありません。反対派の主張は「我々が今のままの外苑を楽しむために、明治神宮とその崇敬者はお金と労力を出し続けろ」と言っているのと同じであって、明治神宮とその崇敬者の負担について配慮がまったくない、非常に利己的な要求です。

外苑を「コモンズ」として議論していくためには、明治神宮がコストとリスクを負っている状況を解消するしかありません。そうなると公費補助や政府や東京都が買い取るなどの方法がありますが、公費補助は議連によって否定されてしまいました。買取りについて「外苑は内苑を維持するための財源だから明治神宮が譲ってくれない」と政治家は言い訳をするでしょうが、明治時代に公園用地が不足した時に東京府は社寺の土地を買い取って公園にしています。このときも社寺は「この土地の借地料収入で社殿・本堂の維持費を賄っているので売りたくない」と嫌がったのですが、当時の東京府知事は購入したい土地の1年間の借地料収入を計算し、その同額が利息で賄えるだけの金額を買い取り価格として提示することで問題を解決しました。このように現代の政治家は少し前までチョンマゲをしていたような政治家に発想の柔軟性で負けているのです。

今回のケースなら外苑から内苑維持費のために繰り入れている金額を明治神宮から教えてもらって、それを利息なり配当なりで保証する現金・株式を用意すれば財政的な問題は解決します。「そんな大金をどうやって用意するんだ」とか「そんな大金を公費から支出したら憲法89条にひっかかる」と言うのであれば、それこそ反対派の市民がクラウドファンディングして集めればいいのです。反対派の市民が寄付を集めて購入し、自分たちで財団でもつくって公共財として管理するか、国や都に寄付をして公共財として管理する。自然保護・環境保護といった人類が平等に負担する問題を明治神宮だけに押し付けるような活動よりは、明治神宮から買い取る募金活動をした方がよっぽど現実的ですし、自然保護の負担の公平を保つことができます。

まあ外苑が支えている内苑維持費の問題を解決しても、「明治天皇」あるいは「明治神宮」という名称を残すなどの条件を明治神宮は出してくるでしょうが、反対派は創建の趣旨を重んじろと主張している訳ですから「我々が購入した土地だから我々が新しい名称をつける」などとは言わないでしょう。あくまで明治天皇昭憲皇太后の顕彰が外苑の創建の趣旨です。

この問題は①明治神宮をはじめとする土地所有者がコストとリスクを負うものであるなら所有者の自由にさせる、②外苑を買い取るなりして公共財にする、のどちらかしかありません。少なくとも明治神宮をはじめとする土地所有者だけに負担を背負わせて「みんなの公園だ」と主張することに大義はありません。