神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

柳田国男を利用した大嘗祭批判

東京新聞社

平成の御代替のときは大規模な反対運動や放火事件などもあり、大きなニュースになりました。これに対し、令和の御代替のときはマスコミもおおむね好意的に報じ、何の問題もなかったように思っている国民も多いことだと思います。

しかし、報道されないだけで大嘗祭憲法違反だという裁判や反対運動は発生していました。令和と改元されて6年目になる2024年1月31日に、東京地裁大嘗祭などに公費を支出したことが政教分離違反や信教の自由の侵害にあたると主張した市民の訴えを退ける判決を下しました。即位礼や大嘗祭は国事行為や皇室の行事として行われ、特定の信仰を禁止したり、強制していないというのが棄却の理由です。

この判決に対し東京新聞は2024年2月6日<社説>大嘗祭判決 憲法との調和考えねば:東京新聞 TOKYO Webで「宗教色が濃い皇室行事であり、巨額の公費支出には慎重な配慮が必要だ。憲法との調和が何より求められる」と批判しました。その際に、柳田国男も莫大な経費をかけることに反対であったと以下の通り主張します。

民俗学者柳田国男大嘗祭を批判した一文がある。貴族院書記官長として、大正天皇の代に京都で行われた大嘗祭を見聞した。「今回ノ大嘗祭ノ如(ごと)ク莫大(ばくだい)ノ経費ト労力ヲ給与セラレシコトハ全ク前代未聞」とし、心ある者は眉をひそめたとも記した。莫大な経費だけでなく、徹底的に古式を保存し、一切の装飾を除去すべきだとも苦言を呈した。

この文章を柳田国男が読んだら激怒するでしょう。柳田の意図とは全く違う形で引用されているからです。そこで今回はこの一文について検討したいと思います。

出典は?

この一文の出典は「大嘗祭ニ関スル所感」です。ちなみに東京新聞は出典元を明記していませんが、論拠として引用するのであれば出典を明記するのが作法でしょう。

この文章は筑摩書房の『定本 柳田国男集』ですと第31巻に所収されています。わずか6ページほどの短い文章です。

この文章を読むと、まるで役人が政治家に意見具申するために記した印象を受ける文体ですが、生前に公開されたものではありません。この点は取り扱い上、非常に重要です。発表した作品であれば、それは柳田国男本人が納得して世に出した訳ですから、それを引用して「柳田国男は〇〇と言っている」と書いても問題ありません。しかしながら、発表しなかった作品の場合は、柳田国男が文章の出来栄えに満足できなくてボツにした可能性もあります。そういう可能性のある文章を引用する際は、なぜ発表しなかったのか、発表しなかったけど他の論文との一貫性があるかなどを確認して慎重に引用しないといけません。

柳田の主張は何か

大嘗祭ニ関スル所感」を要約すると「即位礼は国際的に国威を宣揚する儀式であるから盛大にやるべきだ。大嘗祭は即位礼よりも重要な祭典だが、性質が異なるので予算と人員を増やして派手にやることを目指すのではなく、稲作農耕儀礼としての古式を守り、厳重な物忌みをして神聖さや幽玄さを追求すべきだ」となります。

柳田国男が「大嘗祭ニ関スル所感」で批判しているのは、①旧暦11月の大嘗祭新暦11月に行おうとすると稲作との関係で季節的な無理が生じること、②即位礼と大嘗祭が連続して執り行われたことにより充分な物忌みが出来なかったこと、③これらは担当者が大嘗祭の精神について不勉強だったことが原因だから反省してほしい、以上の3つが要点であって、大嘗祭の費用について批判することが所感の本旨ではありません。

物忌み

柳田が大嘗祭で重要視したのは「物忌み」、つまり精進潔斎です。そして物忌みをするのは役人だけではなく、市民も対象に含んでいることは「大嘗祭ノ前一夜京都ノ市民ハ電灯昼ノ如ク種々ノ仮装ヲ為シテ市街ヲ練行ク者アリ処々ノ酒楼ハ絃歌ノ声ヲ絶タス(中略)果シテ大嘗祭ノ前夜ナルカヲ疑ハシムルモノアリタリ」という一文から明らかです。

柳田が最も言いたかったことを現代風に言うと「大嘗祭のときは国民全員が精進潔斎するのが当たり前だ。前夜から電気を消して真っ暗で静かな夜を過ごし、祭典が無事に終わるのを自宅で祈りながら待つのが国民の務めですよ。昔はそうだったはずだ」ということになります。

東京新聞と原文との乖離

東京新聞の引用の仕方だと莫大な費用に眉をひそめた人もいたと柳田が述べているように読み取れますが、きちんと全文を読めば「心アル者」が密かに眉をひそめた原因が、農耕儀礼としての季節の不一致、物忌みの不徹底などであったことは明らかです。

この社説の引用方法は柳田国男の「大嘗祭ニ関スル所感」を誤読しているか、あるいは自己の主張に都合の良い部分だけを切り取りしているのであって、どちらにせよ引用方法としては不適切です。

そもそも大嘗祭の宗教色を批判している社説で、さらに宗教色の強い(国民に物忌みを要請している)柳田の論文を引用するのは大いに矛盾しています。

加えて、「天皇即位では「即位灌頂(かんじょう)」という仏教色の儀式もあったが、これは明治になって廃された」と述べた後に「大嘗祭は伝統儀式ではあるが、神道式祭祀(さいし)の大規模化は明治以降で、天皇神格化にも深くかかわった」と主張しますが、即位灌頂の方が明治以降よりも宗教性や神聖化が強いので、この部分の記述も矛盾しています。

いずれにせよ、柳田国男大嘗祭を国家で最重要の式典であると考え、実際に「奉仕」した身として農耕儀礼の古式を守り、物忌みを徹底する必要性を感じたから「所感」をしたためたのであって、東京新聞の引用の仕方は柳田の本意に反するものであると言わざるを得ません。