神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

週刊現代(2024年4月13日号)所感

はじめに

週刊現代』(2024年4月13号)に「「日本の神社」が揺れているーこれじゃ、心安らかに参拝できないよ」という記事が掲載されました。なかなかにショッキングな見出しですが、事実誤認も数多くみられます。そこで今回は事実確認をしつつ所感を述べていきます。

三大八幡宮

まず鶴岡八幡宮を三大八幡宮の一つと紹介していますが、三大八幡宮のうち八幡信仰の発祥である宇佐神宮、京都の守護として崇敬された石清水八幡宮は固定メンバーですが、残り一社を鶴岡八幡宮とする説もあれば、福岡県の筥崎宮とする説もあります。そもそも「三大八幡宮」というのは朝廷などによって正式に認められているものではありません。自然に醸成される社会通念もあれば、「日本三大〇〇はこれだ」とテレビ局などの情報発信者がつくるものもあります。

鶴岡八幡宮神社本庁を離脱することの重みを示す表現としては「旧国幣中社が離脱」が最も適切でしょう。しかし、この表現の意味するところは一般になじみのない社格制度を理解していないとわからないので、記者は一般人向けに「三大八幡宮」という表現を用いたのでしょう。

誤読を招く文章

記事は鶴岡八幡宮の離脱の大きな原因として百合丘職舎売却問題を挙げ、以下のように述べます。

神社本庁トップによる背任行為が疑われた以上、本来であれば調査のうえで、辞任や降格などの措置が取られるべきだ。

この文章において「背任行為が疑われた」と書いています。なぜ「背任行為が行われた」と書かないのでしょうか?

その理由は簡単で、本ブログでも再三解説してきたように田中恆清氏による背任行為を裁判所は認めなかったからです。

記事の中の「売却価格は相当低かった。田中氏や打田氏が背任を行ったと信じる相当の理由があった」という文章は、田中氏や打田氏が背任をしたことを意味しません。

この裁判を理解する上で必須となるフレーズが「信じる相当の理由があった」あるいは真実相当性です。真実相当性とは何かというと、例えば社長室から貴重品が盗まれる事件が発生した。犯人探しが行われるなかで社員Aが「その日に社長室に入ったのはBしかいなかったからBが盗んだに違いない」と発言した。しかし、調査したところ真犯人はCで、Bは無実だった。真犯人が見つかるまでの間、Bは同僚から犯人扱いされ、子どもも学校で「泥棒の子」といじめられた。そこでBはAを名誉毀損で訴えた。しかし裁判所は「AがBが盗んだと信じるに相当する理由があった」とAを勝訴とした。このケースにおいて「信じるに相当する理由がある」とは「AがBが犯人だと勘違いしてもしかたのない状況だった」という意味です。誰にでも勘違いはあります。その勘違いによる告発・通報が有責となってしまうと、勇気を出して通報や告発をする人が減ってしまいます。そのため相手を陥れるつもりで犯人だと言ったのではなく、勘違いから通報・告発した人は許してあげましょうというのが日本の法律です(「公益通報者保護法」など)。

しかし、上記の例え話だとBは犯人扱いされて不利益を被ったのに救済されません。ひょっとしたら真犯人がCだという情報を知らずに、Bが犯人だと誤解し続ける人もいるかもしれません。このように誤って犯人扱いされた人の人権保護に関して日本の法律は遅れています。

真実相当性の意味を踏まえて『週刊現代』の「背任行為が疑われた以上~(中略)辞任や降格などの措置が取られるべきだ」という文章を改めて読むと、当事者や法理用語に詳しくない人への配慮に欠けています。「背任したと信じるに相当する理由があった」なんて書かれていたら、法律に詳しくない人は「背任した」と誤解してしまいます。そうしたことがないように「背任はなかった」と補足するのが読者に読みやすい文章を提供することであり、当事者(田中氏と打田氏)の人権や名誉に対する配慮です。

また改めて申すまでもないですが、冤罪人道的に許されるものではなく、疑惑で人を裁くべきでもありません。人を裁くときは疑惑が事実であることを確認し、相手にも抗弁の機会を与え、法律に基づいて裁かねばなりません。田中氏や打田氏については背任の疑惑をかけられましたが、裁判所は両者が背任を行ったという認定はしませんでしたし、警察に逮捕されることもありませんでした。神社本庁が敗訴したのは田中氏と打田氏が背任行為をしたからではなく、公益通報者保護によるものです。2人に対する背任は疑惑に過ぎなかったのであり、疑惑で辞任や降格を求めるのは道理に反します。

神宮大麻

神社神道の立場から見た場合に、この記事で最も問題なのが神宮大麻に対する記述です。

神祇院の頃は、税金で組織を維持していたが、神社本庁となってからは国からの支援は受けられない。そのため、神社本庁は、組織維持のために収入を得る必要に迫られた。そこでつくられたのが、伊勢神宮のお札「神宮大麻」だ

ここの記述は史実に反しています。伊勢の御師が配っていた「御祓大麻」が明治天皇の思し召しにより「神宮大麻」として頒布されるようになったのは1872年(明治5年)です。神社本庁ができる前から「神宮大麻」は存在していた訳です。

何より全国の神職明治天皇の思し召しだからこそ神宮大麻頒布に従事しているのであって、神社本庁の資金源のために頒布している訳ではありません。もし『週刊現代』の記事が田中恆清氏を叩いているからと喝采している神道人がいたならば、その人は神宮大麻の尊厳よりも田中恆清氏に対する攻撃を優先していることになります。神社神道において田中恆清氏をキャンセルすることが神宮大麻の尊厳より重要事項だとは思えません。

また宗教学者島田裕巳氏の解説として「宮司などの神職は公務員として扱われ、国が給料を出していたのです」という記述もありますが、厳密にいえば、神職の給料が税金から支払われていた時期は官国幣社明治20年まで、府県社以下では明治7年までです。

ほかにも

この他にも憶測や事実誤認、不自然な論理展開が散見されます。いくつか指摘しますと、まず田中氏は報酬のために総長の座に執着しているのではないかという神社本庁関係者の推測が記されていますが、この推論はよその神社も経済状況が苦しいから石清水八幡宮も経済状況は苦しいだろう、神社の経済状況が苦しいから田中氏は総長として神社本庁から支払われる報酬を欲しているのだろう、という推測に推測を重ねたものであり、憶測の域を脱しません。

次に神社本庁関係者の証言として、神社本庁の役員は本庁組織内部のことは素人であり、本庁OBである打田氏が役員と職員の仲介役として「本庁全体の運営をさばいていた」と述べられていますが、これは不自然な話です。内部事情に精通した人間を助言者にしないと本庁を運営できないのであれば、田中氏以前の総長にも打田氏と同様の役割を担った人物がいたことになります。しかしながらそういった人物について過去に問題視された記録はありません。

他にも平安神宮権禰宜を「宮司の補佐役」と記していますが、平安神宮などの別表神社宮司権宮司禰宜(数人)、権禰宜(多数)です。権禰宜は企業でいうなら平社員であって、社長(宮司)の補佐役ではありません。

総長の氏名をめぐる裁判で田中氏側が勝訴したにもかかわらず、「田中氏は総長の椅子に座り続けている」とか「神社本庁田中派支配」と不当に総長として在任し続けているかのような印象を与えかねない表現を用いるのは適切ではないと思います。