神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

本庁問題とキャンセルカルチャー

最初から違和感

百合丘職舎売却をめぐる背任疑惑が報道された時に私は強い違和感を覚えました。

職舎を意図的に安く売ったのであれば、その損失額を弁償しろという話になるのが普通です。それなのに百合丘職舎では弁償よりも総長辞任が叫ばれていたので、「お金はいいのかな?」という疑問が浮かびました。

同時に背任行為は犯罪なので証拠をもって警察に相談するのが自然な対応です。しかし、警察・検察の捜査を求めるのではなく、役員会や評議員会で追及していることにも違和感を禁じ得ませんでした。この点については「神社本庁から逮捕者を出したくないので本人が反省して弁償するのであれば示談で許してあげるつもり」なのかなとも思いましたが、本人が容疑を否認し、マスコミが大々的に報道してからも公訴しようという動きにならなかったのが不思議でした。

真実相当性は事実の証明ではない

神社本庁の内部調査でも決定的な証拠が出ず、懲戒処分をめぐる裁判で背任行為は認められないと判断され、東京地方検察庁でも不起訴処分となりました。このように田中恆清氏が背任行為をしたという事実は確認できなかったのです。このことは判決を読めばよくわかります。

【事件番号】平成29年(ワ)第35106号

【事件名】地位確認等請求事件

【裁判年月日】令和3年3月18日

【裁判所名】東京地方裁判所

神社本庁職舎売却をめぐる背任疑惑を裁判所はどう判断したか - 神道研究室

神社本庁から犯罪者が出ないことが一番なのですから、背任行為がなくてよかったで終わるのが普通だと思いますが、判決にある「真実だと信じるに相当する理由」を根拠に田中氏に辞任を求める動きは続きました。

しかし、「真実だと信じるに相当する理由」というのは「背任行為が有った」という意味ではなく、「背任行為があったと信じたのはしかたなかった」という意味なので、田中氏の有罪を認定する表現ではありません。「真実相当性」も同様です。

たしかに「真実だと信じるに相当する理由」や「真実相当性」は専門用語です。日常的に使う表現や用語ではありません。でも意味を調べなかったのか、意味を知る人がいなかったのか、この点も疑問です。ネット検索すれば、詳しく解説してくれているページがいくつも出てきます。

決定的な証拠を提示しない

田中氏を引き続き追及するのであれば、「真実だと信じるに相当する理由」ではなく、田中恆清氏が背任行為をやったという決定的な証拠を出す必要がありました。しかし、「真実だと信じるに相当する理由」を繰り返すだけで、新しい証拠が出されないまま今日に至っています。

疑惑を追及するのであれば決定的な証拠をつきつけて罪を認めさせるのが手っ取り早いはずですが、それをしないのはなぜでしょうか?

もし決定的な証拠を持っていないのに、「そうに違いない」という想いだけで田中氏を犯罪者扱いしつづけるのは人権侵害です。「背任行為」というのは犯罪です。背任疑惑をかけるという行為は相手を犯罪者扱いするということであり、証拠なしにやってよいものではないですし、証拠があるならば警察・検察に委ねるべき問題です。

そして田中恆清氏が背任行為をしたという決定的な証拠は出ていない。これが事実です。

冤罪をかけられたまま終われない

裁判で背任は認められないという結果になっても、検察で不起訴処分になったとしても、犯罪者扱いされる田中氏にしてみれば、自身と関係者の名誉を守る方法は名誉ある地位に居つづけることしかありません。

だから田中恆清氏は5期も神社本庁総長に君臨し続ける権力者ではなく、引くに引けない状況に追い込まれている冤罪被害者だというのが私の見方です。田中氏を支持する評議員・理事は権力のおこぼれがほしいのではなく、「冤罪をかけられたまま終われない」という田中氏の無念に対し人道的観点から冤罪を晴らす協力をしているのが動機だと私は推測しています。もし「田中派は利権で結びついている」と主張したい人がいるならば、具体的にどのような利権があり、田中氏を支持している人々が便宜を受けている具体的な証拠を示すべきでしょう。

冤罪を晴らしたいというのが田中氏の行動の原動力ですから、田中氏の名誉を回復させていれば総長の座をめぐる問題はなかったと思います。

それまで疑惑を追及していた人たちとしては今さら謝罪と撤回できないのかもしれませんが、決定的な証拠を提示できない状態で、これ以上の追及には大義はありませんし、神社本庁の世代交代を遅らせるだけです。

統理による仲裁

令和4年の役員改選時の評議員会で統理が「百合丘職舎売却をめぐる背任疑惑について、司法は田中恆清氏をはじめとする関係者の背任行為は認められないと判断した」と田中氏の名誉を回復させた上で、「田中恆清氏は永年役員として神社本庁のために働いてくれた功労者である。しかし、世代交代の時期に来ているとも思うので、後進に譲り、その指導にあたってほしい」と宣言していれば、田中氏に連投の意思があっても勇退せざるを得なくなりますし、支持者も支持できなくなります。

このように統理の仲裁により田中恆清氏に勇退してもらい、総長交代を実現するチャンスはありました。追及していた人々が「冤罪だった」と認めて、仕切り直しの役員改選の選挙をすれば本庁問題は解決していたのです。

時間と人材を活かすべき

神社界には様々な課題が山積しています。証拠の出てこない背任疑惑に取り組む余裕があるのであれば地方小規模神社の嘆きに耳を傾けてもらいたい。他にも式年遷宮にむけた準備、賽銭のキャッシュレスをどうするのか、など優先してやらないといけないことはたくさんあります。

そうした問題について解決の意欲と能力のある人材もいます。統理が正副総長に指名したい芦原高穂氏、西高辻信良氏も一流の神道人であり、彼らの手腕が神社本庁の事業に活かされたら全国の神社はもっとよくなるでしょう。彼らが優れた神道人であることは奉仕神社の隆盛が証明しています。そんな優れた人材は神社神道の発展のために能力を発揮すべきです。

現状は何年たっても決定的な証拠の出ない背任疑惑にこだわっていて神社界の問題は後回しにされています。神社界をよりよくしていくためには、田中氏の冤罪を晴らし勇退してもらった上で、選挙によって選ばれた新たなリーダーのもと神社神道の未来を切り開いていくべきだと私は思います。

職員にプライドとやりがいを

話は変わりますが、これだけ神社本庁が何か悪い組織のように批判されていれば、職員の士気の低下も気になります。

神社神道は社頭奉仕がメインです。そのため現任神職の中に神社本庁職員に対し「現場をわかっていない」という不満が生じるのはある程度はしかたのないことなのかもしれません。しかしながら神社本庁の事務があるから、現場の神職は社頭奉仕に専念できているのも事実なのです。神社本庁神社庁がなかったら現場の神職の事務手続きが増えて、社頭奉仕の時間が削られます。神社界としても神社本庁神社庁の職員の労をねぎらい、プライドとやりがいを持てるような雰囲気を醸成しないと、事務が停滞して社頭の負担が増えるばかりです。

5月評議員会が近づいていますが、そのような意識改革も神社本庁役員には期待したいと思います。

キャンセルカルチャーの暴走を止めよう

SNSなどで特定の人物を糾弾し、辞職や謝罪会見などの社会的制裁に追い込む「キャンセルカルチャー」が社会現象となっています。

ストレス発散のはけ口、悪を正すという正義感、社会をよくするという満足感、ルサンチマン、承認欲求など様々な要因がありますが、基本的に人間には有名人や権力者の悪事を暴き、社会的制裁を加えることを痛快と感じる部分があります。

そして社会的制裁がSNSを利用すれば、本人と直接対決することなく、手軽にできるようになりました。だからキャンセルカルチャーはどんどん活性化しています。

キャンセルカルチャーには、悪事を暴く、悪事がやりにくい社会になる、という良い面もあるでしょうが、誰かに常に監視されている社会、世間に嫌われるような振る舞いがあればでネットリンチに遭う危険性など負の面もあります。

そうした負の面の一つに一度動き出したキャンセルカルチャーは止められないという面があります。キャンセルカルチャーは特定の人物の行動ではなく、ネットなどで共有された大衆としての排斥運動なので、一般の個人が止められるものではないのです。

本庁問題は最初からキャンセルカルチャーの要素がありました。そして、過熱化したキャンセルカルチャーが止められなくなってしまっている。背任疑惑が報じられたとき、神社本庁の幹部が糾弾され、辞任という社会的制裁を受ける結末を人々は予想したはずです。しかし、内部調査や裁判でも背任行為の決定的な証拠が出てこない、検察も不起訴処分にした、と当初の予想とはまったく異なる結果になってしまった。ここで冷静になって冤罪だったのだと止まらないといけなかったんです。それなのに排斥運動が止められないでいる。

キャンセルカルチャーとか暴露系Youtuberが成立するのは、決定的な証拠があるからです。背任行為について決定的な証拠があるなら神社本庁という組織の負の部分を出し切るために徹底的に追及すべきです。しかし、決定的な証拠は今日まで提示されていません。証拠がないのに犯罪者扱いするのは人権的に問題であり、そこに大義はありません。

キャンセルカルチャーは止められないと言いましたが、一般人には止められないキャンセルカルチャーを止めてみせるのが宗教的指導者の権威ではないでしょうか。今の神社界の指導者に求められているのは、冤罪を冤罪と認めて、神社本庁の仕切り直しをするリーダーシップです。