神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

外苑再開発に反対する人に考えてもらいたいこと

坂本龍一は反対していたけれども

明治神宮外苑の再開発に対し反対していた故・坂本龍一氏の遺志を継ぐ形で反対集会が行われました。

神宮外苑の伐採、アーティストら反対集会「坂本龍一さんの遺志を」 | 毎日新聞

坂本龍一氏が生前に都知事などに送っていた手紙には次のように記されていたようです。

目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません

私は「坂本龍一氏は外苑を守ってきた先人の遺志を誤解している」と思います。

今回は坂本龍一氏をはじめ外苑再開発に反対している人々が根本的に誤解している点について指摘したいと思います。

①外苑創設の趣旨

そもそも外苑は民間有志によって造営されて明治神宮に寄贈されたものです。外苑が寄贈されたときの「外苑将来の希望」には次のように書かれています。

外苑は明治天皇昭憲皇太后を記念し、明治神宮崇敬の信念を深厚ならしめ、自然に国体上の精神を自覚せしむるの理念を基礎とし、一定の方針を以て設計造営せられたるものなるを以て(中略)今後、外苑内には明治神宮に関係なき建物の造営を遠慮すべきは勿論、広場を博覧会場等一時的使用するが如き事も無之様御注意あり度候

            越沢明(2001)『東京都市計画物語』,pp.379.参照

ここには外苑は明治神宮を崇敬する心を深めるために造られたとはっきり書かれています。そのため外苑の維持管理では「自然保護」よりも「明治天皇昭憲皇太后を顕彰するためになるのか?」、「明治神宮及びその崇敬者にとってよいことか?」が優先されます。それが創設者の遺志です。

今回、明治神宮が施設の修理が必要と判断し、維持費・管理費がかかり過ぎていて負担が大きいので改善を図りたいと主張しているのですから、再開発は外苑を創設した先人(明治神宮奉賛会)の遺志に反していません。

もし「再開発は創設者の遺志に反する」と主張するのであれば、再開発計画のどの部分が明治天皇昭憲皇太后の顕彰のためにならないのかを具体的に指摘すべきです。

②外苑を守ってきたのは誰か?

戦前の神社は公法人だったので、行政からの補助金がありましたが、補助金だけで維持できた神社はありません。明治神宮も同様です。したがって外苑の維持管理費の大半は明治神宮を崇敬する人々が納めた賽銭や初穂料が原資です。

戦後は完全に民間の宗教法人であり、外苑を維持してきたのは宗教法人「明治神宮」と明治神宮崇敬会です。

今回の再開発は外苑を守ってきた両団体が施設の修理や再開発が必要だと判断しているのであり、外苑を守ってきた団体は再開発を支持しているということは念頭におかないといけません。

根本的に勘違いしていただきたくないのは、外苑は行政が管理する緑地公園ではなく、宗教法人が管理する土地だという点です。

このように坂本龍一氏の主張は、外苑創設者の遺志にも、守ってきた団体の意思にも反しています。

外苑はだれのものか

外苑は明治神宮明治神宮の崇敬者のものです。税金で管理している市民の公園ではなく、宗教団体が宗教団体の会計で維持している土地なのです。

明治神宮がその会計で管理している土地を再開発しようが、明治神宮の勝手ではないでしょうか?

「市民の外苑だ」と主張するのであれば、外苑を明治神宮から東京都が買い取って税金で管理すべきでしょう。

例えば、個人の庭に桜が植えてあったとしましょう。古くて倒木の危険性があり、また落ち葉の始末も大変だから伐採することを決めた。それを聞いた近所の人々が「花見を楽しみにしているのだから伐るな」、「自然破壊をするな」と抗議してきた。この抗議に正当性はありますか?

桜の所有者は「だったら落ち葉の始末を一緒にやってくれ」、「木が倒れた時の責任を持ってくれ」、「花見という利益だけ享受して、負担・責任を負わないのは不公平じゃないか」と思うでしょう。

これと同じで外苑維持の負担・リスクを負わないのに、自分たちの理想の姿を要望するのは不公平です。外苑は「コモンズ」ではない。

あと反対を表明している政治家もいますが、宗教団体の運営に政治家が過度に介入するのは憲法第20条の趣旨から見て問題があるのではないでしょうか?

このように明治神宮明治神宮崇敬会の意向を無視・軽視した反対論は「先人の想い」でも「創設の趣旨」でもありませんし、客観的に考えても税金で管理している緑地公園と同じ感覚で市民としての権利を主張できる案件ではないことは明らかです。

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