神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

藤原登コラム27号読後評

はじめに

今回は藤原登氏のコラム「『神社本庁憲章』を否定して悪あがきを継続する田中-打田体制-自壊する前に、神道人の良心で自浄への道を切り拓け!-」(月刊「レコンキスタ」令和5年4月号所収)について書評します。

『神社本庁憲章』を否定して悪あがきを継続する田中-打田体制|自浄.jp

田中氏は「神社本庁憲章」を否定したのか?

コラムには田中氏が神社本庁憲章を否定したと大々的に書かれていますが、本当にそうでしょうか?

神社本庁憲章には以下のように書かれています。

第五条 神社本庁に統理以下の役員、その他の機関を置く。

2 統理は、神社本庁を総理し、これを代表する。

3 第一項の役員、その他の機関については、規程で定める。

どこにも「総長の任命権は統理にある」とは書かれていません。

第3項は「役員の決め方とか詳細は他の規程(=神社本庁庁規)に定めるよ」という意味ですから総長選出方法は庁規に基づいて行われることになります。

第2項の「神社本庁を総理し、これを代表する」を「任命権は統理にある」と解釈するのも無理筋です。「総理」とは「事務を統一して管理すること」という意味です。この「事務」に任命権が含まれることもありますが、全ての役職の任命権が「総理」に集まるのでないことは内閣総理大臣を見れば明らかです。要するに「総理」という言葉そのものに「全権がある」という意味はないので、どこまでの権限があるかは別の法令や規程(神社本庁庁規)次第です。

つまり憲章をそのまま読めば「役員の決め方とか具体的なことは他の規程(神社本庁庁規)を読みなさい」ということになるので、今回の総長選出のトラブルを神社本庁庁規に基づいて解決するのは憲章に則っています。また憲章を合わせて読めば庁規の解釈が変わるとは考えられません。

そして庁規に基づき「総長は役員会の多数決で実質的に選出する」、「統理の指名は形式的なものだ」と主張することは神社本庁憲章の否定にはなりません。

現状において憲章を否定するような事態は発生していません。

真実相当性

誤りが正されるべきは当然のことだが、それも、ただの誤りではないのだ。既に八年が経過した神社本庁百合ヶ丘職舎売却に際しての疑惑は、最高裁に至る四年半の裁判を経て、原告側が指摘した背任の事実についての真実相当性が立証されている。きわめて犯罪性が強いのだ。その後も神社界ではスキャンダラスな事件が相次いできたが、程度の差はあれ、何れも田中-打田体制が絡んでいる。先月号で触れた東京都神社庁の横領事件はもちろん、開発予定地の大半が明治神宮の境内地である外苑開発問題に対し、神社本庁が沈黙しているのも、田中-打田体制と無縁でないと筆者はにらんでいる。

ここで藤原氏は真実相当性が認められたから疑惑が認められたと主張していますが、完全に「真実相当性」の意味を誤認しています。真実相当性とは前に説明しました「真実だと信じるに相当する事由」と同じ意味です。

神社本庁職舎売却をめぐる背任疑惑を裁判所はどう判断したか - 神道研究室

今回のケースで真実相当性とは「告発者が背任行為があったと誤認してもしかたなかった」という意味であり、「背任行為があった」と裁判所が認めたという意味ではありません。判決をきちんと読めば、裁判所が背任行為はなかったと判断したことは明記されています。

真実相当性は背任行為があったという根拠にはなりません。

http://www.mizogami.gr.jp/news/ne_back/jim2407I29.htm#:~:text=%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E7%9B%B8%E5%BD%93%E6%80%A7%E3%81%AF%EF%BC%8C%E6%91%98%E7%A4%BA,%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%80%82

誤りは正すべきですから、まず真実相当性の誤った理解から正すべきでしょう。