神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神社本庁憲章は規則か?

庁規は契約である

そもそも宗教団体が国家(所轄庁)に規則を提出し、その認証を受けることで宗教法人になります。そのため「宗教法人「神社本庁」庁規」は宗教団体神社本庁と国家と取り交わした一種の契約であり、神社本庁はこの契約に基づき宗教法人としての権利を許されているのです。

当たり前ですが、神社本庁が庁規を勝手に変更することはできません。変更するのであれば、評議員会の議決(庁規33条によれば3分の2以上の賛成を必要とする)を経たあとに所轄庁から改正認証を受ける必要があります。

また国家と神社本庁の間の契約なので、神社本庁(神社関係者)だけがわかる表現や「Aという言葉は一般社会では〇〇という意味だが、神社界では××という特殊な意味なんです」という主張は通用しません。庁規解釈は神社界の独自ルールではなく、一般行政の法理が適用されます。

同様に「庁規」の解釈が変わるような規則をつくることもできません。契約は双方の合意で成り立っていますので、一方が契約内容や解釈を相手に無断で変更できるようになってしまうと契約の意味がなくなるからです。そのため庁規の内容や解釈に変更が生じるような規則をつくるのであれば、庁規との整合性を保つか、庁規改正の認証をするか、どちらかの手続きが必要となります。

庁規との整合性

そのため神社本庁憲章を制定する過程で最も重要なのは庁規や宗教法人法との整合性を保てるかであり、それができないのであれば庁規改正認証の手続きをする必要がありました。

この点について神社本庁憲章の議決は昭和55年5月21日であり、その前後の神社本庁庁規の改正認証は昭和51年と昭和62年ですから、憲章制定に伴う庁規の改正認証をやっていません。だから神社本庁憲章の制定によって庁規の内容・解釈の変更は生じていないということになります。

だから「神社本庁憲章は庁規との整合性を図って制定された」ということになるはずなのですが、条文を読むと宗教団体(憲章)と宗教法人(庁規)で命令系統が2つになってしまっている感があります。実際に総長指名について宗教法人ではなく宗教団体としての総長を指名し、それがそのまま宗教法人の総長になるのだという説が出され、それを判断する裁判が行われているので、憲章と庁規の整合性に不完全な面があったことはもはや誰もが認めざるを得ません。

この命令系統が2つになるという危惧は憲章制定の初期に役員からも指摘されていた点であり、庁規と重複する事務的な点は省き宗教機能だけに絞るべきとの提言もなされていました。

また憲章には「神社本庁の宗教法人法による規則を「庁規」といふ」、「庁規及び規程等は、この憲章に準拠しなければならない」、「この憲章施行の際、庁規及び従前の規程等は、この憲章に基いて定めたものとみなす」といった条文があるにはありますが、整合性とはこうした一文を添えておけば調整できるというものではなく、憲章の一言一句が庁規にどのような影響を及ぼすのかを詳しく検討しないといけません。そのため整合性の議論に最も時間を割くべきことになるはずですが、『神社本庁憲章制定の経緯』を読むと整合性の議論が少ないように感じます。そのため憲章の文言について庁規との整合性を充分に検討したかについては疑義が残ります。

憲章による庁規解釈の変更は不可

神社本庁憲章を評議員会で議決してつくった。これにより改正認証を受けてないけど、庁規の意味は変更されたんだ」という考え方は、国家との契約を一方的かつ無断で変更するという信義にもとる方法ですし、宗教法人制度に対する重大な裏切り行為です。

宗教団体の規則として

「宗教団体としての規則」として憲章を制定するのであれば、何らかの理由で神社本庁が宗教団体になったとしても宗教活動が継続できるようにルールを定めておかねばなりません。「宗教団体 神社本庁」の財産をどうするのか、事務所をどうするのか憲章には明文がありませんので、宗教団体の規則としては不完全です。また統理や評議員の選出方法も庁規に依拠するなど憲章単独では団体運営ができないことが多過ぎます。

憲章とは何か?

神社本庁憲章の根幹は「宗教法人法や庁規には定めていないけど、神社として故実や由緒は大切にしましょう」というものです。こういった信仰者として当たり前のことを明文化して確認するのが目的です。

憲章で謳っているような祭祀や境内地の管理の重要性などは神道として真っ当な内容であり、信仰上の「訓示」としては充分すぎる内容です。しかしながら、憲章を「宗教団体の規則」として見た場合、庁規との不整合、宗教団体運営のためのルールの不足などが目立ちます。憲章を故実や由緒といった宗教機能に関する面だけに絞り、訓示に留めれば問題はなかったのですが、宗教法人から宗教団体を分離させるような条文が組み込まれてしまいました。その結果、初期に指摘されていた命令系統の分離が発生してしまい、それが約40年を経て裁判で議論されている訳です。

そのため神社本庁では「神社本庁憲章をどのように位置づけるのか」、「宗教法人法から見て規則なのか訓示なのか」「規則ならば庁規との整合性がとれているのか」といった点について法律の専門家を交えて徹底的に議論した方がよいでしょう。今回の総長選出のように条文の解釈がわかれて裁判になるような状況は望ましくありません。

最後に神社本庁は宗教法人としての権利を行使し、その制度的な恩典を享受しています。宗教法人制度は恩典と制約がセットになっています。恩典を享受するならば宗教法人法や認証を受けた規則を遵守しなければなりません。ところが「宗教法人と宗教団体」の使い分けを認めてしまうと、宗教法人としての恩典だけ享受し、都合の悪いところは宗教団体として回避することもできてしまいます。それは社会的に認めらえるものではありません。宗教法人として認められている以上、法人と団体の使い分けをするのではなく、宗教法人に徹するのが公益に適う姿勢だと私は考えます。