神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

小林弘幸氏の「産穢」論を検証する

Twitterでの投稿

「小林弘幸」氏が初宮詣に関して以下のようなTwitter投稿をしました。

ちなみに小林氏はTwitter上で「神社本庁傘下の神社の正統派神職です」と名乗っています。

今回はこの投稿内容が正しいのか検証したいと思います。

延喜式と服忌令

小林氏は「生後三十日の場合、産後のケガレがある」と述べていますが、この30日が何を根拠にしているか疑問です。

朝廷が定めた「延喜式」(巻3臨時祭)の規定は「産七日」です。この「延喜式」には斎戒や祝詞など神祇に関する朝廷のしきたりが多く書かれており、神社本庁でも古事記日本書紀に準じた神道の重要古典と位置付けています。30日ではなく7日なのです。

延喜式」以外ですと貞享3年(1686)に徳川綱吉が定めた「服忌令」において「産穢」は父が7日で母が35日と定められています。この服忌令は武家がメインの対象でしたが、庶民にも普及しました。さらに、この服忌令は明治7年に明治政府に採用され、今でも神職の「忌引き」の判断基準として参照されることがあります。しかし、採用されたのは親類縁者の死去に伴う「忌引き」の部分だけで「産穢」は採用されていません。もし小林氏が「30日では綱吉の服忌令の35日に達していないから忌明けしていない」という意味で30日という数字を出してきたのであれば、明治時代に失効したルールを根拠にしていることになります。

このように小林氏が何を根拠に30日を主張しているのか疑問です。

あと重要なことですが産穢は母親だけではなく父親も対象です。

産穢は何のためにあるのか?

そもそも「産穢」とは何なのでしょうか?

中世の人が「産穢」の期間に家で何をやっていたかを調べると、生まれた赤ちゃんが無事に育つように儀式をしていた記録がみつかります。

【参照文献】片岡耕平(2015).「日本中世の穢観念とオヤコ関係」.『比較家族史研究』29号.

この記録から「産穢」とは神社に参拝しなければ何をしてもよい期間ではなく、出生直後で不安定な状態の赤子(と母親)を疫病神などから守り、健康を祈るための「忌み籠もり」を行う期間なのです。現代は医学が発達し、産声をあげた時点で「無事に生まれた」と安堵しますが、昔は「七歳までは神の子」という言葉があるように乳幼児の死亡率が高く、出生したからといって油断できませんでした。そのため出生直後に祈りを捧げる期間があるのは不思議ではありません。

また昔は石鹸も消毒液もありません。トイレの後に石鹸で手を洗う習慣もなければ、消毒という発想すらない時代なのです。そうした状況で出産直後の母子に第三者接触するのは衛生的・健康的によいものではありません。かつ医療技術も未発達で、医療設備が整っていない時代の出産は母親の負担も大きく、体力が回復するまで安静にする必要がありました。

綱吉の「服忌令」で父親は「延喜式」を踏襲した7日なのに対し、母親は35日に延長されているのは女性差別ではなく、出産直後の女性の健康面を配慮したものと考えるべきでしょう。

つまり「産穢」とは生まれたばかりの子供が現世に定着するように祈る期間であり、また「出産直後の大事な時期だから安静にして出歩かないように」、「周囲の人もそっとしてあげるように」という配慮の期間であると考えるべきでしょう。

憚るに及ばず

小林氏が主張する「生後三十日の場合、産後のケガレがある」は、日数の根拠が不明です。「延喜式」にも「服忌令」にも合致しません。

仮に小林氏の主張する日数が35日や7日だったとしても産穢は明治5年に失効しています。明治4年以降、神職を任免していたのは国家ですから、国家が明治5年に産穢を憚る必要はないとした布告を戦前の神職は尊重せねばなりません。そして戦前の神祇院・大日本神祇会神宮奉斎会皇典講究所を継承しているのが神社本庁なのですから、戦前の布告は「神社本庁傘下の正統派神職」にとっても尊重すべきものであるはずであり、実際に神社本庁の「神職服忌心得に関する件」には「産穢」はありません。

したがって明治5年以降の神社・神職の公式見解は「産穢は憚るに及ばず」です。