神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

質問回答(神宮・靖國神社)

神社本庁は神宮を本宗と仰いでいる。それなのに神社本庁が神宮を包括するのはおかしいのではないか?

この疑問に対する神社本庁の見解は『神社本庁憲章の解説』で示されています。

私なりの解釈を加えて平たく説明しますと、「本宗」とは神宮が他の神社の頂点に君臨しているという意味ではなく、全国の神社が「神社神道」としてまとまっていくための中心的な存在であるという意味です。

「本宗」たる神宮の指揮のもと全国の神職神宮大麻頒布や遷宮募財に従事しており、神宮の下部組織として全国の神社があるのが歴史的に正しい神社界の姿である。神社本庁をそうした組織にしなかったのはなぜか?

これも「本宗」という意味を誤解しています。また歴史的に見ても神宮が頂点で神社が下部組織だった訳ではありません。

古い時代から話をしますと、吉田神道を大成した吉田兼倶は戦乱のため神宮の御神体吉田神社まで避難されたと主張し、神宮から敵視されました。同様の伝承は各地にあり、「飛び神明」と呼ばれます。この吉田兼倶の後継者である吉田家が明治維新まで神社の監督者として君臨したのは周知の通りです。そして吉田家は自身こそ神道の頂点だと思っていたことは「神祇管領長上」などの名称や著書などからもわかります。吉田神道の見解としては神宮の下に吉田家があるのではなかったのであり、江戸時代の神職の大半はその吉田家から神職資格(神道裁許状)を発給されていたのです。

端的に言えば、江戸時代の神職伊勢神道ではなく、吉田神道の資格をもらっていたのです。

つぎに全国の神職神宮大麻を頒布するようになったのは昭和に入ってからです。それまでは神宮教院(神宮奉斎会)と神宮神部署が頒布していましたが、人員が少なく、それに比例して頒布数も伸びなかったので全国神職会が我々にお任せしてほしいと願い出ました。それを神社本庁が継承して今日に至りますが、本庁設立時に改めて頒布を任せてほしいと神宮に願い出ていいます。

つまり神宮大麻頒布は神職の側から願い出て神宮のお手伝いをさせていただいているのであって、全国の神職に対する指揮権が神宮にある訳でも、神宮の下部組織として頒布している訳でもありません。遷宮も同様です。

また法制度的に見ても神宮の下に官国幣社以下神社がおかれたのではなく、神宮と神社では命令系統が別でした。

以上のように歴史的に見て、全国の神社は神宮の下部組織ではありません。

靖國神社が神社本庁に包括されない説明として「国家護持」という表現をつかうが、これは神宮を含めた他の神社は「国家護持」ではないという意味か?

その説明を理解するには時代背景を考えねばなりません。GHQは靖國神社を軍国主義的であると危険視して廃止することを望みました。人々の努力によって廃止は辛うじて免れて宗教法人として存続することができましたが、そのあとも廃止を望む人々、反対に国家が管理すべきだという人々の間で議論がありました。これは論壇での議論に留まらず、政治的な運動ともなり、再び国家管理に戻す靖國神社法案が国会で審議されています(成立はしませんでした)。

このように靖國神社は政治的な争点になってきたのであり、靖國神社が神社本庁に包括されないことによって、①靖國神社をめぐる政治的な争いに他の神社を巻き込まない、②靖國神社のみ国家管理に戻す独自路線の可能性を残す、という意味がありました。

したがって靖國神社が単立神社であることを説明する際の「国家護持のため」という表現は、そういう時代背景を示したものであって「靖國神社だけが国家護持の特別な神社だから単立なんだ」という意味ではありません。