神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

「神社本庁総長の行方」論評

はじめに

神社本庁の自浄を願う会」HPの2023年8月5日更新神社本庁総長の行方|自浄.jpは月刊『不二』(皇紀2683年7月号)の中澤伸弘氏の寄稿の一節「神社本庁総長の行方」を転載し、「まさに的を射た指摘である」と評しています。

今回はこの寄稿の一節に対して私見を述べようと思います。

引用の仕方

その前に引用方法について一言申し上げます。雑誌に寄稿された文章を引用する場合、論文・随筆の題名を明示する必要があります。しかしながら「自浄.jp」は論文・小論の題名ではなく、そのなかの更に一部である一節のタイトルのみを引用しています。

『不二』のホームページのリンクが張られており、そこに最新号の目次があって、中澤伸弘氏は「即位儀礼に関する問題点(二)」という論考を寄稿していることがわかります。したがって「神社本庁総長の行方」は「即位儀礼に関する問題点(二)」の一部と推測できますが、私が『不二』のホームページを閲覧するのが遅く、「最新号」が7月号ではなく、8月号の可能性もありますので断定はできません。そうすると中澤氏の正確な題名を調べるには『不二』の実物を取り寄せて、自浄.jpに掲載されている写真と照合させるという作業が必要となります。

そのため今後「神社本庁の自浄を願う会」が雑誌から論文を引用する場合は、執筆者名・雑誌名・号数・出版年などの書誌情報を明示していただきたいと思います。それは執筆者に対する礼儀でもあると思います。

『不二』とは

『不二』は不二歌道会の機関紙です。同会は神道国学、歌道、吟道、武道等の伝統文化の護持継承、普及振興に寄与することを目的とする団体である一般財団法人大東会館と一体不離の関係にあります。『不二』について | 出版・書籍 | 大東会館

大東会館は学生寮を運営しており、その寮からは多くの國學院大學の卒業生を輩出してきました。戦前戦後の思想史を語る上で忘れてはならない団体の一つです。

また執筆者の中澤伸弘氏は都立高校の教員や國學院大學兼任講師をしながら研究を続け國學院大學から博士号(神道学)を授与されました。博士論文は『徳川時代後期出雲歌壇と國學』で、著述も多数発表されています。

徳川時代後期出雲歌壇と國學 | 株式会社 錦正社

総長辞任

前述の通り今回は『不二』7月号がないので、自浄.jpに転載された「神社本庁総長の行方」の一節にかぎって論評したいと思います。指摘したい点は3つです。

第1に「裁判に敗けた時点できちんとして幕引きができたはずなのに、そこを見誤ったのではないかと思はれる」という考察は、田中恆清氏の名誉の問題を見落としています。この点は本ブログで再三指摘して来ましたが、証拠もないのに他者を犯罪者扱いして社会的地位を奪うことに大義はありません。

また総長をふくめ役員は3年ごとに改選選挙を行います。田中氏を総長の座から降ろしたいなら選挙で勝てばいいだけの話です。

御聴許

第2に「大切なことは来年、陛下の御聴許を賜り、神宮の遷宮諸儀が始まります」と御聴許が正式になされてもいないにもかかわらず、「始まります」と決定事項のように述べることは僭越ではないでしょうか?

前回が2013年の「第62回」でしたので、次は2033年の「第63回」ということは誰でも予想できますが、御聴許までは「第63回神宮式年遷宮」といった表現は使用せずに「次の遷宮」などとあいまいな表現を使用した方がよいのではないでしょうか。

祭祀大権

第3に「また、どのやうな小さな神社の祭祀、極言すれば家庭祭祀も陛下の祭祀の一端なのです」には学問的疑義があります。天皇陛下は神祇祭祀に対して慣習的な権限あるいは影響力を有します。これを戦前の憲法学では「祭祀大権」と呼びました。

この祭祀大権にもとづき国家が神職を任免し、公的祭祀を行わせていたのですが、神棚などの家庭祭祀や個人の家内安全や厄除け祈願などは私祭とされて国家の管理の外にありました。そのため祭祀大権が及ぶ範囲は公的祭祀のみであるというのが通説です。

各神社においても天皇の権限が及ばない、その神社を奉斎する氏族の祭祀がありましたので、すべての祭祀が天皇陛下の祭祀大権に集約されるという考え方は神道史的にも首肯しかねるものです。

また宮中三殿、神宮、神社、神棚は天皇陛下との距離が異なります。宮中祭祀は家庭祭祀よりも天皇陛下に近く、より尊貴であることはすべての神道人にとって異論はないはずです。だから天皇陛下との距離の近さによって、宮中祭祀と神宮祭祀の間には一線を画し、神宮祭祀と神社祭祀の間には一線を画し、神社祭祀と家庭祭祀の間には一線を画すのが適切です。

そのため中澤氏も「極言」と前置きされたのだと推測しますが、「極言」だとしても神棚まで祭祀大権の範囲に含めることには疑義があります。「神宮大麻を奉斎する神棚」という条件つきであれば祭祀大権との関係性は認められると考えますが、神宮大麻を祀っていない神棚を祭祀大権に含めるのは理論的に難しいと思います。

祭祀大権と統理

花菖蒲ノ會は会報第3号において以下のように主張しました。

統理様は御聴許を受けて大神宮にご就任になられてをります。「おほみこころ」のまにまに神宮祭祀をおつとめになられました。統理様を仰ぐといふことは、この「おほみこころ」を仰ぐことに他なりません

この主張は「統理は祭祀大権の代官である」と言っているようなものです。

祭祀大権というのは敬神尊皇の根幹をなす概念であり、神社本庁の教学も祭祀大権を前提に考えなければ本質を理解することはできないでしょう。統理の指名権の問題も祭祀大権を前提に議論した方が論点を整理しやすいと思います。

そのため中澤伸弘氏には「総長の行方」ではなく、祭祀大権と統理の関係をどう考えるかについて是非ともご高見を賜りたいと思います。