神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

花菖蒲ノ會会報10号11号読後評

宗教界の数十年の努力を無にする行為

オウム真理教事件をうけて宗教法人法が厳しく改正されました。同時に日本の宗教界は宗教そのものの社会的信用を取り戻すべく努力してきました。神社本庁でも創設以来、宗教法人法を遵守し、各種手続きに遺漏がないように指導してきました。承認事務などはその最たるものでしょう。

昨今の「旧統一教会」問題をうけて、宗教界はさらにコンプライアンス重視の姿勢を社会に示さなければならなくなりました。

そんな矢先に花菖蒲ノ會は真逆の主張をしています。

マッカーサー憲法の下に米国の宗教事情を勘案して制定されたともいへる宗教法人制度にこびへつらい、この包括法人としての立場と多数決理論(原始的で幼稚な民主主義)にすがって、どうして正しい神国日本が護持できようか

(花菖蒲ノ會会報10号)

『花菖蒲ノ會』会報第10号|自浄.jp

ちなみに「へつらい」は歴史的仮名遣いなら「へつらひ」です。この他にも歴史的仮名遣いの間違いが多い。古言から古意、古意から古道があきらかになるのであり、言葉が乱れた状態で神国の道が明らかになるはずがありません。

話がそれましたが、このような宗教法人法そのものを否定するような主張は、オウム真理教事件のあと健全な宗教法人制度のために努力してきたすべての宗教者の努力を台無しにする行為です。もちろん過去の神社本庁の基本姿勢ともまったく異なります。

上記記事は宗教法人法を軽視した重大な問題発言です。

他の宗教団体・宗教法人や社会に対する責任として、神社本庁統理には宗教法人法に対する基本姿勢をきちんと説明する必要があります。統理を支持する花菖蒲ノ會が勝手に主張していることであるならば、統理は花菖蒲ノ會に対し厳重注意をすべきでしょう。

評議員会においても統理に対して質問してはっきりさせるべきです。全国7万9千の神社の宗教的トップを支持する団体が宗教法人法を軽視するような発言を繰り返しているのですから、これを放置することは宗教法人「神社本庁」の社会的信用にかかわります。

あと、多数決を否定していますが、神社本庁憲章も議論を積み重ねて最終的に評議員会で多数決した結果ですし、統理も「満場一致」とはいえ議決機関である評議員会で選任されています。神託や勅任ではないのです。そのため多数決を否定しては憲章も成り立ちません。将来的には神道人の多数決によって神社本庁憲章を改正することだってあり得るのです。

マッカーサー憲法

神社界では独自憲法の制定にむけて取り組んできました。しかし、それは現行憲法のルールを守って改正するということであって、現行憲法や諸法令を否定するものではありません。この記事の執筆者は葦津珍彦をはじめとする神社本庁の取り組みを基本から誤認しています。

「悪法もまた法である」。どんなに気に食わないルールであろうとも、それがルールであるかぎり守る。異議があればルールに従って改正するように努力する。それが法治国家です。花菖蒲ノ會の主張は、気に入らない法律に従う必要はないと社会に受け止められないものであり、コンプライアンスの観点から大いに問題があります。

また宗教法人として税法上の恩典を受けているという自覚が不足しているように見受けられます。宗教法人法の保護を受けながら、宗教法人法を否定するのは社会の理解が得られないでしょう。

法理論としての瑕疵

花菖蒲ノ會は第10号で(A)宗教団体としての神社本庁の総長、(B)宗教法人としての神社本庁としての代表役員は異なるという主張をし、(B)は総長の「あて職」だと論じています。その上で「宗教団体」としての役員に関する根本規範は「神社本庁役員その他の機関に関する規程」であると第11号で紹介しています。

『花菖蒲ノ會』会報第11号|自浄.jp

しかしながら、「神社本庁役員その他の機関に関する規程」には「第八条 理事及び監事は、在任中それぞれ宗教法人「神社本庁」の理事及び監事に当る」と書いてあって、ここには総長・副総長・常務理事が抜けています。つまり宗教団体の総長がそのまま宗教法人の代表役員としての総長になるとは書いてないのです。

仮に花菖蒲ノ會の主張通りだったとしても、宗教団体の理事・監事は規程により宗教法人の理事・監事になれますが、宗教団体の正副総長・常務理事が宗教法人の正副総長になるとは限らないのです。

加えて、「神社本庁役員その他の機関に関する規程」にも「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」とありますので、「宗教団体としての総長」も統理が役員会の議決を無視して指名できません。

どちらにせよ。統理が役員会の議決を無視して総長を指名できるという根拠にはなりません。

宗教団体としての総長

宗教法人ではなく宗教団体としての総長指名だ、というのが花菖蒲ノ會の主張です。団体理事・監事が法人理事・監事になるという規定はありますが、「宗教団体の総長が宗教法人の代表役員・総長になる」という規定が存在しない以上、

 (法人)宗教法人法ー神社本庁庁規ー役員会の議決ー総長A

 (団体)神社本庁憲章ー役員会に拘束されない統理の指名ー総長B

という2人の総長が生まれることになります。

このように宗教団体と宗教法人を無理に分解して規程を解釈するとさらなる混乱しか生みません。

代表は絶対君主ではない

神社本庁憲章に統理が「代表」とあるから総長を指名する権限があるのだと考えている節が見受けられますが、「代表」だからといってすべてを決められるわけではありません。会社の代表取締役も取締役会や株主総会の議決に基づいて業務を執行していますので、「代表」というのは「何でも決められる絶対権力者」ではないのです。

指名が形式的な行為で問題ありますか?

花菖蒲ノ會会報第11号の「感想文コーナー」で形式的な指名が敬神尊皇の教学に反すると述べられていますが、天皇陛下による内閣総理大臣の任命も形式的な行為です。

神道の遵法精神

教法を世俗法より優先した時に宗教の暴走がはじまります。宗教者だからこそ一般人以上に遵法精神を大切にしなければならないのであり、日本の宗教界はオウム真理教事件以降、宗教法人法に基づいて健全な運営を心掛けてきました。神社本庁が宗教法人法に基づく健全な法人運営を目指してきたことは各種通達が証明しています。

第10号に掲載された宗教法人法を軽視するような花菖蒲ノ會の主張は、宗教そのものの社会的信頼を損ないかねないものであり、まことに残念に思います。