総長を決めるのは役員会という東京地裁の判決
【令和4年(ワ)第19636号 代表役員の地位確認請求事件】
本件条項は、総長の選任に際し、統理による総長の指名という行為が必要であることを認めつつ、統理による当該指名について責任を負う役員会が総長を実質的に決定することを予定しており、その決定のための手続として、会議体である役員会の議決を経ることを予定している(すなわち、役員会の議決に基づいて統理が指名することが総長選任の効力発生要件になる旨を定めている)と解するのが相当である(19p)
(判決は東京地裁令和4年12月22日判決-統理の指名は無効と判断!|自浄.jp からダウンロードできます)
このように東京地裁は神社本庁総長を決めるのは役員会で、統理による指名は形式的なものという判断を下しました。
これに対し、花菖蒲ノ會は「基本姿勢」で次のように反論しています。
⑦ 「総長は役員会の議を経て、理事の中から統理が指名する」(庁規第12条2項)は、統理が自らの補佐役に相応しい理事を総長に指名することができると解するのが自然である。相手方の主張のように「統理の総長指名権も総長の補佐を得て行われるものとし、その責任は役員会が負うことから、役員会の決議に拘束される」こととなると、宗教法人法第18条2項の「別段の定め」として庁規第12条2項の定めをしたことの意味が無くなる。従って、庁規齋12条2項の統理の総長指名権は、庁規第40条5項の「統理のすべての行為」の中には含まれない。相手方の主張は、この統理の総長に対する優越的地位を否定し、総長が統理より優位的地位にあることを主張するもので、到底承認できるものではない。
花菖蒲ノ會の「基本姿勢⑦」を要約すると
- 役員会で決定するなら庁規第12条2項の意味がない
- 統理より総長が優位と言っているような判決・主張は承認できない
の2つです。今回はこの2点について検討していきます。
庁規第12条2項は何のため?
まず宗教法人法第18条第2項には「代表役員は、規則に別段の定がなければ、責任役員の互選によつて定める」と定められています。神社本庁の代表役員は総長なので、わざわざ庁規第12条2項「総長は役員会の議を経て、理事の中から統理が指名する」という規則をつくらなくても、宗教法人法により理事の多数決で総長を選出することが可能です。
そうすると「なぜ第12条第2項をつくったの?互選だったら第12条第2項はいらないよね」という疑問が生じます。だから花菖蒲ノ會は、第12条第2項をわざわざつくったのは、役員の互選ではなく、統理が総長を指名(=決定)するからだと反論している訳です。
しかし、庁規第12条第2項がないと役員会で総長が選出されて終わってしまいますので、役員会で総長を実質的に互選したあとに、神社本庁にとっての「権威」である統理から形式的な指名をいただくことを定める場合にも庁規第12条第2項は必要となります。したがって、第12条第2項の存在は互選ではないという決定的な論拠にはなりません。
形式的な指名には意味がないのか?
そうすると、統理の総長指名について
- 統理には役員会の議決を拒否する権限はなく、役員会が議決した人物をそのまま総長に指名するしかないけど、その形式的な指名には価値がある(神社本庁)
- 形式的な指名では総長の方が優位となってしまうので、統理には自由に総長を指名する権限を認めるべきだ(花菖蒲ノ會)
と考え方が2つにわかれてしまっている訳です。
総長指名と同じ「形式的な」任命の例として、日本国憲法に定められた内閣総理大臣任命があります。
この任命について天皇に拒否権はない、というのが法律学の常識です。拒否権がないから内閣総理大臣の任命責任を負うことがありません。国民の象徴としての形式的な任命です。
「形式的」だからといって「国会の指名に対して拒否することができないから天皇より総理大臣・国会の方が優位だ」なんて主張する人はいません。
実質的に国会で総理大臣を決めるけど、国民の象徴である天皇陛下から形式的に任命していただくことに意味がある。
天皇陛下だからこそ、国会で総理大臣に指名された政治家は任命していただきたいと思い、国民もそうあるべきと考えます。このように形式的な任命・指名というのは、広く尊敬される権威的存在だからこそ成り立つものです。
この考え方を神社本庁に当てはめてみれば、今回の判決は統理の優位性を否定しているという花菖蒲ノ會の理屈が成り立たないことがよくわかります。天皇陛下は国会の指名に基づいて総理大臣を任命しますが、総理大臣や国会の方が天皇陛下より上位だなんて言う人はいません。それと同じ理屈です。
つまり神社本庁も裁判所も統理より総長が偉いなんて言っていません。総長は役員会で決めるのがルールだよと主張しているだけです。そして、総長は役員会で互選するけど、統理を「権威」として尊重するから庁規第12条第2項によって権威による形式的な指名を追加した。要するに、
神社本庁や判決は「統理より総長の方が偉い」と言っているのではなくして、総長は「役員の互選+権威である統理による形式的な指名」で決まると主張しているのであって、統理が総長より上位の権威であることは否定していないのです。
統理は中立な権威である
統理に総長の「指名権」(総長の人事を実質的に決定する権限)を認めると、統理は「権威」ではなく「権力」になってしまいます。
人事権というのは組織において特に大きな権力だということを忘れてはいけません。
したがって花菖蒲ノ會の主張は、統理に総長人事に関する権力を認めるべき、と言っているのと同じです。
統理に人事権があるとなると、統理の中立性が失われます。今まで統理は評議員会で「満場一致」で決定していましたが、統理が総長を決定するとなれば、評議員は自分が総長になってほしい人物を指名するであろう人物に統理になってもらいたいと思い行動することになりますので、「満場一致」で統理が決まることはなくなるでしょう。
統理に対する猟官運動がはじまる可能性もあります。
このように統理に総長を実際に決める権限を認めてしまうと、統理は中立ではいられなくなります。
神社本庁の最大の目的は全ての神社が団結することです。そのために特定の教学をあえて持たない。このことは葦津珍彦の著述を見ればよくわかります。
そうした神社本庁の最高権威たる統理には強い中立性が求められることは申すまでもありません。だからこそ、総長を実質的に決定する権限は統理ではなく、役員会にあるべきなのです。天皇陛下が特定の政党を支持なさることがなく、国会の指名に基づき総理大臣を任命なさるように。
つまり花菖蒲ノ會が主張するような統理が総長を決定するという組織の在り方は、庁規の解釈がどうこう以前の問題として神社本庁が全ての神社を団結させていく組織であるために目指すべき方向ではないのです。