神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

統理は指名を拒否し続けることができるのか?

判決を受けて

2023年6月14日の高裁判決は一審同様、総長は役員会の議決で決定すると判断を下しました。ここで一審判決を再確認してみましょう。

【令和4年(ワ)第19636号 代表役員の地位確認請求事件】

本件条項は、総長の選任に際し、統理による総長の指名という行為が必要であることを認めつつ、統理による当該指名について責任を負う役員会が総長を実質的に決定することを予定しており、その決定のための手続として、会議体である役員会の議決を経ることを予定している(すなわち、役員会の議決に基づいて統理が指名することが総長選任の効力発生要件になる旨を定めている)と解するのが相当である(19p)

つまり裁判所は神社本庁庁規第12条第2項「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」を「統理は役員会の議決に基づき総長を指名する」という意味だと判断したということです。この解釈は法理論だけでひねり出したものではなく、過去の総長選出の慣例・慣習にも基づいていることは本ブログで再三指摘しました。

なお「神社本庁役員その他期間に関する規程」第7条2項は庁規第12条第2項と同じ文言です。同じ文言なのですから、こちらも同じ意味だと解釈するしかありません。

拒否継続の法的根拠

この判決を「芦原氏が総長と認められなかっただけで、統理は田中氏の指名を拒否し続けることができる」と考えるのは適切ではありません。なぜならば役員会の議決(田中氏を総長に)を拒否する大義名分・法的根拠だった「統理に決定権がある」が裁判所によって否定されたからです。

加えて「議決に基づき指名する」ということは「議決に基づかずに、統理の独自判断で指名することは不可能」というだけではなく、「統理は役員会の議決に基づいて指名しないといけない」とも解釈すべきです。庁規に「統理には役員会の議決を拒否し、再議決を命じることができる」と書いてあれば指名拒否できたでしょうが、そんな文言は庁規にありません。庁規は「統理が拒否する」という状況を想定していないことは明らかです。そうなると統理は役員会の議決した人を拒否することなく指名しなくてはならない(統理には拒否権がない)と解釈しないと、今回の判決や他の条文と整合性がとれなくなります。

見方を変えますと田中氏の側に「裁判所が議決だと認めたんだから庁規と議決に基づき指名して下さい」と要請できる法的根拠・大義名分が判決によって与えられている状況です。

判決によって指名を拒否し続けるための法的根拠がなくなったので、拒否を継続するには新しい法的根拠が必要になります。しかし、庁規に拒否を認める条文がないため、それも難しいと思います。そうなると現状では上告して「裁判中につき判決まで指名しない」とするしか指名拒否を継続する方法はないと思います。

決定権がなくても権威として成り立つ

統理に決定権がないことは統理を尊重しないことではありません。

日本国憲法第6条において「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」と定められていますが、国会の多数決で決まった内閣総理大臣天皇陛下は拒否できません。それが政府見解であり、憲法学の通説です。

「天皇」について考えてみる(3) もしも天皇が国事行為を拒否したらどうなるの?|弁護士ほり

つまり天皇陛下も総理大臣の決定権を持たないのです。だからと言って天皇陛下が尊重されていないという議論にはなっていません。

実質的に国会で決定するけど象徴と尊崇する天皇陛下から任命していただく。これと同様に実質的に本庁役員会で総長を決定するけど権威として敬う統理から指名していただく。権限はなくとも権威として成立するのであり、決定権の有無と尊敬しているか否かは別次元の問題なのです。

もっと言えば、権威があるから形式的な任命・指名が成り立つのであって、権威として認めていない相手からわざわざ形式的な任命・指名をいただこうとは誰も思いません。つまり総長指名が形式的だということは統理が神社本庁の権威であることを示す証拠の1つなのです。

もし「決定権を認めない=軽んじている」と主張するのであれば、「天皇陛下に総理大臣任命拒否権を認めるべき」と運動を展開しないと一貫性がありません。そして神社本庁はそのような運動はしてきませんでした。神社本庁は敬神だけではなく、尊皇も掲げる宗教法人です。しかも関係団体である神道政治連盟憲法改正を主張しています。それなのに「天皇陛下に総理大臣の任命拒否権を認めるべき」と運動をしてこなかったということは、「権限はなくても権威として成立する」と神社本庁が考えてきたからに他なりません。したがって語義(権限をもつのは権力です)の観点から見ても、神社本庁の過去の姿勢から考えても「権威であるはず統理に決定権(権限)がないのはおかしい」という主張は成立しないということになります。

コンプライアンス重視の時代

宗教法人の運営に関する事柄ですので、指名を拒否するにも規則(庁規)上の法的根拠を必要とします。

こんなことを指摘すると「そんな小事を見ず、視野を広く持って神社本庁の改革(人事刷新)を進めるべきだ」という批判を受けるかもしれません。しかし、現在の宗教界はオウム真理教事件以来の社会的信用の危機に直面しており、すべての教団が自発的に法令遵守を強化していかねばならない状況にあります。そうした状況で「社会のなかの神社本庁」、「宗教界のなかの神社本庁」という広い視野から神社本庁の将来を考えれば、神社本庁が法規(宗教法人法、承認を受けた規則(庁規)、判決)を重んじた組織運営をしていき、社会からの孤立することなく、社会的信用を高めることに邁進していった方が社会にとっても神社本庁よいことは明らかです。「宗教法人ではなく宗教団体として」という論理を強めるのは時代に逆行しています。

むしろ神社が日本社会の精神的基盤であり続けたいのであれば、神社本庁は他の教団に先駆けて法令順守の模範となるべきではないでしょうか。