典故考究
お祭りの準備をしていて「去年どうだったかな?」と思ったことのある神職・総代は少なくないと思います。神社の祭祀においては前例・故実を重んじます。そして祭典を慣例通りに間違えなく執り行うためには、前の年はどういう風におまつりをしていたか詳細な記録を残す必要があります。
祭典の記録を残すことに力を注いでいたのが外宮の渡会氏であり、この膨大な記録と知識の蓄積がベースとなって伊勢神道が唱えられました。このように「慣例通りにきちんとお祭りを行うために記録を残そう、昔の記録を調べよう」という姿勢が神主の学問の出発点です。
「昔の祭祀はどうだったのか」、「この作法はいつからはじめられたのか」といったことを調べることを典故考究(てんここうきゅう)といいます。
慣例の典拠を尋ねるのは失礼か
宮司が「うちの神社の慣例では〇〇となっています」と説明したことに対し、「いつからなの?」とか「それはどの古文書に書いてあるの?」と質問するのは失礼なことなのでしょうか?
歴史的に見ると、神主が慣例だと主張した内容に対し朝廷や藩が典拠を問いただすことは珍しくありません。神社と同様に前例が重んじられる公家社会や武家社会でも同じことです。
Aが「前例に従い○○にすべきだ」と主張し、Bさんが「その前例はいつのものですか?」と質問する。Aさんは「△のときの前例だ」と回答する。それに対しCさんから「△のときは特例であって□の時の例に準拠すべきだ」と対案を出す。
慣例・前例・故実を重んじる社会では、こういう「前例VS前例」の議論が行われることになります。だから議論で負けないように、不要な議論がおきないように『西宮記』などの有職故実の書物を作成するのです。
言い換えると、慣例・前例・故実・伝統を主張する人にはそれが慣例・前例・故実・伝統であることを他に証明することが求められるのです。
だから慣例・故実を重んじる神職たるもの「それが本当に慣例ですか?」と問われても怒ることなく、「これが典拠です」と証明できなければなりません。そして皇典講究所の設立目的にも典故を講究(考究)することが掲げられており、典故の説明をすることも神職の重要な職務の一つなのです。
統理の指名権という慣例はあるのか?
神社本庁の総長は役員会の決議内容に関係なく統理が指名する、統理に決定権があるのが慣例だという主張が評議員会で出されましたが、私が調べた限り「統理の指名権」が慣例であることを証明する記録は見つからず、反対に役員会で議決して統理が形式的に指名すると解釈せざるを得ない証拠ばかり見つかります。
そのため今後の評議員会等で「統理の指名権という慣例がある」と主張されるのであれば、併せて典拠も提示いただければと思います。そうしないと議論が成り立ちません。
2023年6月14日、東京高裁は神社本庁の代表役員の地位を確認する訴訟において控訴を棄却しました。二審もトップ指名「総長」認めず 神社本庁側が勝訴 東京高裁(時事通信) - Yahoo!ニュース
二審の判決は未読ですので、一審判決について述べますと、神社本庁という宗教団体の慣例を重んじなかったと裁判所を批判するのは筋違いです。なぜならば一審判決において裁判所は過去の総長選出の臨時総会のやり取りを確認した上で、総長は役員会の「議決」で決定すると判断しているのです。言い換えれば、神社本庁側は「総長は役員会で議決する」ことが慣例である典拠を示して一審で勝訴しているのです。