神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

5月定例評議員会評

神社新報を資料に

今回は「神社新報」3637号(令和5年6月5日)の記事をもとに神社本庁5月定例評議員会の議事を考察していきます。

統理の指名が重要なこと

まず「統理の指名が本庁にといふ組織にとって重要なものであることを確認する」という動議ですが、総長選出をめぐる議論で「統理の指名」の重要性を否定するような意見は出されていません。「総長は役員会で議決し統理が形式的に指名する」という論理は、統理を権威として認めているからこそ「形式的な指名」にも意味があるという論理なのであり、統理の指名に権威がないという論理ではありません。

むしろ「実質的な決定権を伴わない指名に意味はない」という考えている人がいるのであれば、そちらの方が統理の権威を否定しているといえますし、「拒否権がないのは統理を軽んじている」と考えている人がいるのであれば「天皇陛下内閣総理大臣任命はどうなの?」と問いたいところです。

争点は「統理の指名は形式的なものか否か」なのであって「統理の指名権が重要である」という点について疑義は生じていないのですから、この確認を議論する必要はありません。

御前会議

つぎに総長選任の臨時役員会は「御前会議のやうなもの」で「統理の指名に異議を唱へてはならない」という意見は御前会議の歴史を誤認しています。御前会議とは戦前において天皇陛下内閣総理大臣国務大臣・元老・内大臣・枢密院議長・枢密顧問官・陸軍参謀総長・陸軍参謀次長・海軍軍令部総長・海軍軍令部次長によって構成される会議ですが、天皇陛下に責任が及ぶおそれがあるので天皇陛下は意思表示をしないというのが原則であり、また法律的な根拠がないため御前会議で決まった内容を改めて閣議決定するなどの手続きを踏んでいました。

そのため臨時役員会が御前会議であるならば統理も責任が及ばないように意思の表明はなさるべきではないと考えるのが妥当ですし、そもそも「一君万民」の我が国において一宗教法人の役員会を御前会議に見立てることは不遜であり、尊皇の精神に反します。

宗教団体か宗教法人か

評議員会で議案審査特別委員会委員長に対し、評議員会が宗教法人か宗教団体かという質問がなされましたが、「宗教法人と宗教団体」の使い分け自体が宗教法人制度を骨抜き化しかねないものであり、宗教法人として認証されて恩典を享受している以上は宗教法人に徹するのが公益に適うものと思います。

また評議員の定義、招集方法、議事の方法、議案審査特別委員会などは「神社本庁憲章」に規定がなく、庁規とその下位規程に基づくものですから、この評議員会は宗教法人として開催されたものと解するしかありません。宗教団体として評議員会を開催するための「宗教団体としての規則」が不足していると言わざるを得ないのが現状です。

宗教団体として宗教機能に関して議決するにしても、どこまで宗教上の権限が及ぶのか明確なルールがありません。評議員会は神社界の最高議決機関なのだから、信仰上の問題ついて何でも決定できると考えている人もいるかもしれませんが、かつて吉田家や白川伯家などを介し朝廷として定めていた事項や戦前に勅令をもって定められていた事項まで評議員会で決定・変更できるのでしょうか?

統理指名は慣習か?

神社本庁の総長選任にあっては、統理の指名をもって決定することが設立以来の重要な慣習・伝統である」という意見について、本ブログで何度も指摘してきました通り神社本庁の記録を調べても「統理の指名をもって決定」という慣習・伝統は確認できません。慣習だと先人から聞いているという証言ばかりで、「〇〇総長選出のときに役員会の議に関係なく、統理の指名をもって決定した」とか「統理の指名をもって決定するのが慣例である」という記録は提示されていませんし、探しても見つかりません。むしろ調べれば調べるほど役員会で議決していたと考えざるを得ない史料が出てきます。

立証責任は「慣習がある」と主張する側にあるので、今後の評議員会などにおいて「統理の指名をもって決定するのが慣習だ」と主張するのであれば、そのような慣習があったことの証拠・記録を提示してほしいですし、また他の評議員からも慣習があったという証拠を求めてほしいと思います。

総長は統理の命を受けているのか

現在の田中氏は統理の命を受けて総長としての任に従事しているのか、命を受けてないとすれば神社本庁憲章違反ではないか、という意見も出ました。

この意見に対し、指名を受けずに留任する田中氏に対し鋭い指摘をしたと思った人もいるかもしれませんが、この発言は統理と全国の神社に対しブーメランのように帰ってきます。なぜならば田中氏が令和4年7月以降、統理の命を受けていない総長として欠格状態であるならば、統理も令和4年7月から総長の補佐を得ていないことになりますので、田中氏の憲章違反と同時に統理の行為の有効性に疑義が生じます。

「統理は芦原氏を指名しているので、芦原氏の補佐を受けているから問題ない」という考えの人もいるかもしれませんが、代表役員の登記が完了していないので「芦原総長の補佐により」と主張したところで行政・司法は採用しないと思います。

これは神社界内部で完結する問題ではなく、一般社会や行政・司法に認められないと意味がないのです。もし統理名でなされた行為がすべて無効だと行政・司法に判断されたら、全国の神社が令和4年7月以降の承認を受けて行った社殿の建て替えや土地の売買も規則違反となる可能性があります。

そんなことになったら社会を巻き込んだ大混乱になりますから、そういう事態に陥らないように総長を留任させる規定がつくられたのであり、現状は令和元年の改選時の統理が下した田中氏の指名と命が延長された状態だと言わざるを得ないのです。

職舎売却問題の総括

統理の行動は職舎売却問題の総括ができていないことから「今の本庁に透明性・公平性がないと判断した上での苦肉の策だと思ってゐる」という意見も出されました。

「総括」って具体的に何をしたらいいんですか?もしかして田中氏を罰することでしょうか?だとしたら、その総括に大義はありません。内部調査をやって決定的な証拠を見つけられず、下記裁判でも「背任行為は認められないこと」と判断され、東京地方検察庁も不起訴処分にしたのに、どういう理由で田中氏を罰するのでしょうか?理由もなく人を罰することは法律的にも、道徳的にも、神道的にも正しいことではありません。

【事件番号】平成29年(ワ)第35106号

【事件名】地位確認等請求事件

【裁判年月日】令和3年3月18日

【裁判所名】東京地方裁判所

むしろ「総括」としてなされていないことがあるとしたら、背任疑惑によって傷つけられた田中氏および関係者の名誉回復でしょう。過去には疑いをもたれたら辞任するのが神職の在り方という意見もありましたが、スサノオ武内宿禰は濡れ衣を晴らす行動をしていますので「濡れ衣をかけられたまま引き下がるな」という考え方こそが神習う姿勢です。

判決をめぐる公開討論会

判決の内容が正しく周知されていないことは過去のブログでも指摘していましたが、これこそが問題を長期化させている最大の原因だと思います。神社本庁において判決文の解説講座を開いた方がよいのではないかと思うのですが、神社本庁側の講師だけでは「田中派に都合の良い牽強付会の解説」と納得しない人もいると思います。

そこで【事件番号】平成29年(ワ)第35106号の判決をめぐる公開討論会を開催してはどうかと思います。やり方は以下の通りです。

  1. 「【事件番号】平成29年(ワ)第35106号の判決において裁判所は背任行為はなかったことという判断を下していない」と主張する本庁役員・本庁評議員を公募する。応募者がなかった場合、裁判所が田中氏の背任行為はなかったと判断したと役員・評議員の全員も認めたものとする。
  2. 応募者があった場合、田中恆清氏側より弁護士1名、応募者側より弁護士1名を代理として立てる。
  3. 両陣営の弁護士が協議して審判を立てる。審判は現職の弁護士とする。
  4. 両陣営は「【事件番号】平成29年(ワ)第35106号の判決文において「背任行為は認められない」と裁判所は判断しているかどうか」について討論し、判決文の解読としてどちらが正しかったかを審判が判断する。
  5. この公開討論は録音し、議事録を起こして広く周知する。

あくまで判決の誤読を払拭し、内容の周知徹底を図るのが目的であるので議題を判決文の解説に限定します。もし弁護士が判決文を誤読したり、自分の陣営を勝たせるために判決文を曲解して解説したら、弁護士としての信用問題にかかわることなので討論者も審判も正しい判決解説に徹するしかありません。討論者と審判を現任の弁護士に限定するのはそのためです。

これくらいのことをしないと問題は解決しないと思います。

田中擁護の根底

神社新報」を一読すると田中氏擁護の意見が多いように思えるかもしれません。しかし、客観的にそれらの意見を見ていくと、裁判所の判断を重んじよう、宗教法人法を重んじよう、多数決を重んじよう、といったコンプライアンス重視の考えから発せられた意見ばかりで、田中氏を擁護するための強弁ではないことがわかります。

また典拠を明示せずに統理の指名で決定するのが慣例だと主張する意見より、『神社本庁史稿』の「統理の権限も形式的人事権は持つものの」という典拠を伴う意見の方が説得力があります。また一つ「統理の指名権」に疑義を呈する証拠が積み重ねられてしまいました。

今回の評議員会は紛糾したと言わざるを得ない内容ですが、それにもかかわらず「神社新報」は議事の流れをわかりやすく、丁寧にまとめていると思います。「田中派」とか「花菖蒲ノ會」といった立場を離れて、コンプライアンスに適っているか、典拠や論理がしっかりしているかという視点で記事を確認すれば自ずとどちらに理があるか見えてくると思います。