神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

高森明勅氏の皇室典範論に駁す

国連の勧告

10月29日、国連の女性差別撤廃委員会は、皇位継承資格を男系男子に限定する皇室典範の改正を含めた勧告を日本政府に突き付けました。この件について神道学者の高森明勅氏は

国際機関から勧告を受けるまでもなく、「主権の存する日本国民」自身の主体的な意思に基づいて、政府・国会は女性天皇を可能にする皇室典範の改正に速やかに踏み出すべきだ。

と述べられています。高森氏は現在、最も精力的に皇室の研究発表をされている第一人者です。

しかし、皇室典範の本質を考えると私は高森氏の主張に賛同しかねます。また女性差別撤廃委員会の勧告は国連の基本方針に反するものであるとも思います。今回はその理由について述べていきます。

民族自決

冠婚葬祭で親戚をどこまで呼ぶか?誰を家の跡取りにするか?このような家族の問題は家族内で決めたいと誰しも思うことであって、外部が干渉したり、強要することは相手の心情を無視した行為です。

一家には一家の、一族には一族の、民族には民族の自治を認めるのが人道的在り方であり、国際法においても「民族自決」は基本的原則として尊重されています。

さて畏れ多いことながら天皇日本民族の御本家の家長ともいうべきご存在です。そのため皇位継承の在り方については皇室・日本民族で決定し、それに対して他所から干渉を受けないのが民族自決の原則です。そのため今回の国連勧告は民族自決の原則に反するものであると言わざるを得ません。

ただ民族自決の原則と言っても万能ではなく、ある民族が長く守ってきた伝統だったとしても、それが他者の人権を侵害し、公序良俗に反する風習であったなら是正を求められるのはしかたありません。しかしながら日本民族の皇室という家系がその継承者を男子に限定していることが他者の人権を侵害するでしょうか?公序良俗に反するでしょうか?葛城奈海氏がローマ教皇ダライ・ラマ法王を引き合いに出した趣旨はそこにあったのであり、バチカン市国チベット亡命政府は国連に加盟していないから日本政府と同列に扱うべきではないという高森氏の批判は的外れです。そして、この批判から高森氏が日本民族ではなく、日本政府の問題として皇位継承を論じようとしていることは明らかです。

治天の君

足利尊氏南朝に対抗して光明天皇を擁立しましたが、北朝側は武力をもって勝手に「この方が天皇陛下だ」と主張したのではなく、「治天の君」である光厳上皇の承認があって成立しました。治天の君とは、庶民でいうところの一族の長老的ご存在です。このことから誰が天皇になるのかという問題は、皇族内で決定されるものであって権力をもって強制することはできないということです。

ちなみに足利尊氏の側近が天皇の木像をつくって本物は流してしまえと暴言を吐いたくらい、当時は武家勢力が朝廷を圧倒していた時代です。そんな時代でも皇位継承については外部が勝手に決められなかったこと、皇統が途絶えなかったことは皇室の歴史を語る上で軽視すべきではないでしょう。

皇室典範も元々は皇室の家法としてスタートしました。高森明勅氏は井上毅が男系男子のルールをつくったかのように主張しますが、最終的に御裁可されたのは明治天皇であり、旧皇室典範の前文には次のように記されています。

天佑ヲ享有シタル我カ日本帝國ノ寳祚ハ萬世一系歷代繼承シ以テ朕カ躬ニ至ル惟フニ宗肇國ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ今ノ時ニ當リ宜ク遺訓ヲ明徵ニシ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ茲ニ樞密顧問ノ諮詢ヲ經皇室典範ヲ裁定シ朕カ後嗣及子孫ヲシテ遵守スル所アラシム

井上毅が起草したが、皇室典範を最終的に採用なされたのは明治天皇であったという点は看過すべきではありません。私はこの時点での皇室典範が本来の形であったと思います。

皇室の自治

誰が皇位を継承するのかを決めるのは皇室の人々であるべきで、皇位継承の在り方を決める権限が「主権の存する日本国民」にあると考えるのは、皇室の自治、皇族の心情を軽視していると言わざるを得ません。儒教的な「君臣の別」の観点から考えても「皇位継承を決めるのは国民だ」という考え方を尊皇と評することは不可能です。

皇室典範を皇室の家法とした当初の皇室典範は、皇室自治の観点から考えて適切だったと思います。しかしながら明治時代には「家法というのは国法より格下の気がなんとなくする」という法律に無理解な人々も少なくなく、また明治44年に国民の権利に関わる規定を盛り込むことになったことから国法と改めて位置付けられるようになりました。法律に詳しくない人々は家法から国法に昇格したと喜んだでしょうが、これは皇室の自治を守る上で大きな失敗だったと思います。

そして敗戦のあと、日本国憲法とともに現・皇室典範は国会によって定められました。そのため上皇陛下の御退位について国会で議論されましたが、そもそも国会で議論するのが正しいのか?日本の伝統的な君臣の別の観点から考えて「臣民が君について議決するとは不敬不忠である」としか思えません。少なくとも皇位継承について決める権利が主権の存する国民にあるという考え方を尊皇とは思えませんし、人道的観点から考えても皇室の自治を認めるべきではないでしょうか。

少なくとも戦前は大日本国憲法最高法規として帝国議会で制定する「国務法」と、皇室典範最高法規とする「宮務法」の二つの法体系が存在しました。これを「典憲二元主義」といいます。「宮務法」には登極令、皇室祭祀令、皇室喪儀令、皇室財産令などの一連の皇室令が含まれます。完璧とは言い難いですが、皇室財産など皇室の自治が認められていたのです。こうした天皇の皇室の家長としての権限を、憲法学者美濃部達吉は「皇室大権」と呼称しました。真の尊皇、真の保守なら皇室大権を復活させ、皇室典範を皇室の家法に戻し、皇室の自治を確保すべきではないでしょうか?

このようなことを述べると保守陣営のなかには「皇位継承権をお持ちの方すべてが即位を拒否されたらどうする?」とか「天皇陛下が女系を認められたらどうする?」と主張される方もおられるでしょうが、皇室と日本国民の関係は高天原から続く信頼によって成り立っているのであり、かかる疑問を呈するのは尊皇ではありません。もし天皇陛下が女系をお認めになられたのであれば、それは御聖断として受け入れるしかない。忠臣にできるのは「それは明治天皇のご遺訓に背くことになりませんでしょうか?」と諫言することだけです。

プロセスは重要

将来、女系天皇が御即位になられるとしても、国連の勧告を受け国民が決定するのと、皇室の御自らの御聖断として女系を容認なされるのでは、結果は同じでも意味が異なってきます。前者では日本民族民族自決、皇室の自治が守られないことになってしまいます。

高森明勅氏が皇統の永続を願って女系容認の論陣を張っているのは理解しますが、「「主権の存する日本国民」自身の主体的な意思に基づいて」というプロセスは民が君を決めるようなものであり、民族自決の原則、皇室の自治を守る観点から賛同することはできません。女系天皇女性天皇の御即位を願うのであれば、いったん皇室大権を返上し、御聖断を仰ぐプロセスこそ尊皇であると私は考えます。

無論、尊皇としては明治天皇のご遺訓である男系男子で未来永劫続いていくことが最上であるということは言うまでもありません。