統理の説明責任
前回は指名を拒否したのに、今回の改選で神社本庁統理はすんなりと田中恆清氏を指名しました。この場合、次の3パターンが考えられます。
- 田中恆清氏に対する評価を改めた(総長に相応しい人物だと考えを改めた)
- 田中氏を総長に指名したくないが、司法が統理の指名権を認めなかったので役員会の議決に従った
- その他、田中氏を総長に指名しないといけない理由が発生した
このうち3は合理的理由が思い浮かびません。なので1か2のどちらかになるのですが、今までの経緯から1はないでしょう。そうすると可能性が高いのは2です。
つまり田中氏から地位確認訴訟を起こされた場合に勝算がないからしぶしぶ指名したものと推測します。ただ統理は裁判後も指名権はあると主張してきました。なので統理の指名権はなかったと過去の主張を訂正するか、今回も指名拒否して裁判で指名権の有無を争うかどちらかにしないと言動不一致となってしまいます。
https://jijyo.jp/page.php?id=468
など田中再任を批判する意見がありますが、統理の指名権について有耶無耶にしておいて田中氏再任を批判しても説得力に欠けます。
もし指名権などというものが存在するのであれば、統理には「なぜ田中恆清氏を総長に指名したか」を神社界に説明する責任があります。あと今回は指名書は今回発行したのでしょうか?もし発行していないのであれば、過去の主張と矛盾が生じます。
今後の神社本庁総長指名に関わる問題ですから、はっきりさせた方がよいですし、次の評議員会で統理に問いただすべきでしょう。
統理の権威
よく「統理は摂関家の出身で一流企業の要職も務められた神道の権威である」というコメントをいただきますが、出自や世俗社会での功績は神社神道の権威であることの根拠にはなりません。
次の三者のうち宗教的権威が最も高いのはどれでしょうか?
私の友人で小学校の校長を定年まで務めた後に地元住民から頼まれて宮司になった人がいます。神職になるために大きな神社で実習をしないといけないのですが、指導担当がかつての教え子でした。小学校の教え子が神職になっていたのですね。そのときに指導担当から「先生は私の恩師ですが、神職としては私が先達であり、実習中は他の20代の見習いと同様の扱いをさせていただきます」と言われたそうです。言われた友人は私に「道とはそういうものだ」とうれしそうに語ってくれました。
剣道でも茶道でも道場茶室には道場茶室のルールがあり、その中に外での立場や出身身分を持ち込むべきではありません。華族であろうが大企業のCEOだろうが、寺に入ったばかりは見習い小僧です。それを貴族様だから、社会的成功者だから特別扱いしていては本人の修行になりませんし、他の修行者に悪影響を及ぼします。
こういうコメントをする神職に言いたいのは、
ということです。そして、このような発想をする神職に対し、社家として格式だけを頼りに神社界を生きてきた人あるいは外の世界でそれなりに成功したのに神社界では思ったような評価を得られず不満を抱いている人なのかな、という感想をもっています。本気で厳しい修行をしてきたなら、それが自信になり、かつ評価基準になるからです。
これは出自や経歴を根拠に統理を権威と仰ぐ神職に対する感想であって、統理ご自身は家柄に驕らず外の経歴を持ち込まず相応の修練をされたものと私は見ています。そうでなければ神宮大宮司は務まりません。つまり見えないところで相応の修練を経て大宮司を務められた方と評すべきであって、家柄や経歴を根拠に統理を持ち上げている人々は、むしろ統理ご自身の宗教者としての修練を軽んじているのです。このように統理支持者を自認する人々には援護射撃しているつもりが足を引っ張っているという行動が散見されます。