神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

宗教法人依存神道と統理の承認事項

はじめに

神社穂の長5月評議員会において、田中恆清氏が国の認証を受けた「庁規」を基準として神社本庁を運営すべきと主張したことに対して、花菖蒲ノ會会報第16号は以下のように批判しています。

「宗教法人依存神道」とでも名付けたらいいのかもしれませんが、宗教法人であることを権威の背景にしようとしてゐます。

「評議員会」と「高裁判決」の報告|自浄.jp

今回は「宗教法人依存神道」について検証してみましょう。

神社神道とは

神社本庁は「神社神道」を奉じると「庁規」第3条に定めています。「神社神道」という名称は昭和10年頃から使用されはじめた用語であり、「内務省神社局が所管する神社の神道」を意味します。

内務省というのは神社だけではなく、警察、土木、衛生など幅広い分野を担当した役所です。戦後、内務省が解体されたときに旧自治省建設省警察庁、厚生省などに業務が分散したことからも職務範囲が広いことがわかります。そのなかの一部局が神社局であり、神社局が昭和15年に外局の神祇院に改編されました。内務省神社局・神祇院は神社や神職を監督する役所なのですが、スタッフは神職ではなく、国家公務員です。一度も祭典奉仕したことのない官僚が神職の任免や神社の創建の承認の審査をしていたのです。このように宗教者が神社を管理するのではなく、世俗的な官僚が神社に関する行政を行っていたのが内務省神社局・神祇院です。

戦前の神社神道は世俗的な官庁に「依存」どころか「所管」され、神社は公法人、神職は待遇官吏として扱われました。そして祭式作法も、恒例祭祀の祝詞例文も法律や通達に基づいて行われていました。そうした戦前の歴史について神社本庁憲章の前文では肯定的に書いています。そうしたことから神社神道において世俗の法律を守ることは善であり、法律に異議がある場合は法律に定められた手順に従って陳情や嘆願をすることを基本姿勢としてきました。

このように国家の法律(宗教法人法)を運営の基準することは、神社神道あるいは神社本庁にとって批判されるべきものではありません。

延喜式

近代だけではなく、古代から一貫して神社は国家の法律を基準にしてきました。現代でも「式内社」であったことは名誉と考えられていますが、この「式内社」は「延喜式」の巻9と巻10に掲載され、国家的祭祀(官祭)の対象として幣帛が供進される神社のことです。また「延喜式」に掲載された祝詞は現代でも神職祝詞の勉強をする際の基本とされています。

そんな「延喜式」は律令という法律の施行細則(格式)として編纂されたものです。50巻のうち10巻が神祇祭祀に関する規程で、他は太政官八省などに関するものです。

国家が定めた神祇祭祀に関する法律と施行細則を守り、さらには法律と施行細則をテキストに神道の勉強をしてきたのが神職の歴史だといえます。

御成敗式目

延喜式」は朝廷(天皇陛下)が定めたものだから神聖なものであり、宗教法人法などの世俗的な法律と同列にすべきではないという反論もあるかもしれません。

では、御成敗式目はどうでしょうか?

第1条の「神者依人之敬增威、人者依神之德添運」は「神社を崇敬することは大切ですよ」、「神社を修理することは大切ですよ」と神職が説くときに現代でもよく引用されます。しかし、御成敗式目承久の乱で朝廷と戦った北条泰時が定めたものです。

また「延喜式」同様に、御成敗式目も最初に神仏を敬うことの重要性を述べているものの、後半は強奪を禁止するなど世俗的なルールを定めた武士の法律です。

鎌倉幕府が定めた法規範を「中世日本人の神祇崇敬の精神を象徴したもの」ともてはやしてきたのも神職の歴史なのです。

統理の承認事項

このように神社本庁延喜式御成敗式目、戦前の神社制度といった法令を尊んできたのですから、戦後の宗教法人法だけを否定するのは矛盾します。神社神道」は遵法を基本とするのであって「宗教法人依存」は神社神道の伝統から逸脱しないばかりか、神社神道の伝統から見れば推奨されるべき姿勢です。

なかには「天皇陛下が統治されていた戦前の法律と戦後の法律は違う」と反論する人もいるかもしれませんが、御成敗式目武家法ですし、戦前も戦後も万世一系天皇陛下がしろしめす国柄に変更はないというのが神社本庁の基本理解だったはずです。

さて、神社本庁「庁規」第93条には神社の創建や境内の模様替など重要事項は統理の承認を必要とすると定めています。戦前期において神社の創建や御祭神の増祀、境内地の移転(遷座)について承認権限をもっていたのは内務大臣です。近頃、統理の承認事務を天皇の祭祀大権と結びつけるような学説や言説が散見されますが、統理の承認事項は戦前に上奏裁可を必要とする事項ではなく、内務大臣の承認事項だったのですから妥当ではありません。

宗教法人法の

宗教法人というのは「公益法人等」に分類され、固定資産税などの面で優遇をされています。そうした優遇の代わりに宗教法人法を徹底して遵守するのは当然の義務です。宗教法人法に基づいて運営するのが嫌ならば、特権を手放して宗教団体に戻ればいい。宗教法人の恩典は享受し続けるが、制約は受けたくないというのは社会的に認められるものではありません。ましてや現在はオウム真理教事件以来の宗教法人制度の危機です。宗教界はこれでもかというくらい、コンプライアンス重視に切り替えないと、世論は「宗教法人不要論」に流れていくでしょう。

裁判所が「役員会の議を経て」を「議決」と判断したことは不当であり、統理の指名だけで総長を決定すべきだと主張するのであれば、庁規から「役員会の議を経て」を削除する規則(庁規)変更するのが1番確実な方法であり、また将来同様の問題をなくすことにもなります。規則変更するためには評議員会に議案提出し、3分の2の賛成を集める必要があります。その賛同者が得られないのであれば、役員会の議決で総長を決定すべきというのが神社界の総意だったということです。争点が単純明快で、1回の評議員会で決着がつく、しかも神社本庁の在り方を自分たちで決するので「自浄」です。

どうして規則変更の提出議案が出ないのか、第三者目線だと不思議でなりません。