神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

宗教団体神社本庁という論法

「宗教団体神社本庁」という論法

花菖蒲ノ會は会報10号において以下のように主張しています。

「統理が指名するのは「宗教団体神社本庁の総長(A)」であって、「宗教法人神社本庁の代表役員(総長のあて職/B)」ではありません

要するに、宗教団体として(=宗教法人法・神社本庁庁規の外で)統理が宗教的トップとして総長を指名する。そして宗教団体の総長が宗教法人の総長にそのまま就任するのだから、役員会の多数意見に関係なく統理の指名する人物が総長になるのだ、と言いたいのだと思いますが、以下の点から考えて無理筋な理論だと思います。

  1. 宗教団体の理事・監事が宗教法人の理事・監事に就任するという規定は「神社本庁役員その他の機関に関する規程」に存在するが、宗教団体の総長がそのまま宗教法人の総長になるという規定は神社本庁憲章、「神社本庁役員その他の機関に関する規程」、神社本庁庁規をはじめ存在しない。
  2. 代表役員という役職は宗教法人法上の役職なのだから、宗教法人法とそれに準拠した神社本庁庁規に基づいて選出されるのが当然の法理である。
  3. 仮に花菖蒲ノ會の理論が正しいとしたら、神社本庁庁規に「宗教団体の総長が代表役員になる」という一文がないのはおかしい。
  4. そもそも「神社本庁役員その他の機関に関する規程」第7条第2項にも「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」と定めているので、神社本庁憲章に基づいたとしても統理の独断で指名できるものではない。

このように神社本庁憲章と「神社本庁役員その他の機関に関する規程」を基に考えても、役員会の議決に基づいて総長が指名されるのが妥当です。

また宗教法人から宗教団体を分離させるという理論は、コンプライアンスや経営倫理の観点から考えて問題があると思います。

宗教法人から宗教団体を分離させるのは

もし「宗教法人じゃなくて宗教団体として〇〇をするんだ」という論法が認められるのであれば、以下のようなトラブルの発生が想定されます。

(例1)

責任役員会や総代会が猛反対している事業を、宮司が「これは宗教法人ではなく、宗教団体として宮司の宗教者としての権限で行う」と強行した。

(例2)

ある神社の就業規則では一カ月に8日の休みを定めていたが、宮司が「宗教法人として8日の休みを認めているけど、宗教団体としては神職の休みは4日で充分だから差分の4日は宗教者として自主的に掃除と祈祷当番をしなさい」と指示した。

このように「宗教法人ではなく、宗教団体として〇〇する」という論法はコンプライアンスの軽視につながってしまう危険性を孕んでいます。

宗教法人をめぐる状況

統一教会問題で宗教そのものに対する社会的信頼が揺らいでいます。

宗教界にとっての最優先課題は、宗教全般の社会的信用を回復することです。

もし「旧統一教会の問題であって、神社は関係ない」と思っている神職がいるのであれば、それは危機感がなさすぎると言わざるを得ないでしょう。

そういう状況下において、神社本庁は社会に対しコンプライアンス重視の姿勢を示すことが求められています。宗教法人法を軽視する姿勢は社会からの孤立を招くだけであり、時代に逆行していると言わざるを得ません。

そもそも宗教法人として固定資産税などの恩典を受けていながら、宗教法人法を否定していては社会から信用されるはずがないのであり、宗教法人である以上は宗教法人法を遵守すべきです。もし宗教法人法に納得できないのであれば法律に則って改正を陳情するか、すべての恩典を手放して宗教団体になるべきでしょう。

現在は各教団のトップが「宗教法人法を守りましょう。コンプライアンスを重視しましょう」と呼びかけ、実践していくべき時期です。花菖蒲ノ會が今回提示した理論はコンプライアンス重視につながるものではなく、神社本庁のみならず宗教界のために再考すべきでしょう。