神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

外苑の樹木は御神木ではないですよ

鵜飼秀徳氏の主張に駁す

真言宗僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏が都内最大級の再開発事業で大揺れ…明治神宮外苑で年月を経て"神々"になった大樹を易々と伐採していいのか 坂本龍一氏や村上春樹氏も再開発に反対…3m超の樹木700本以上を伐採予定 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)において以下のように主張しました。

しかも神宮外苑の緑は、ただの林ではない。いわゆる、神社における「鎮守の杜」である。鎮守の杜に育った大木は、自然崇拝の対象となる。樹木そのものが神の依代よりしろ(神霊が寄り付く対象物)となるのだ。したがって、各地の神社境内の巨木にはしめ縄が張られ、崇められている。都市開発だからといって、おいそれと伐採できる性質のものではない。

この主張は「神木」の性質としても、明治神宮外苑の設計意図からも誤りだと言わざるを得ません。

御神木とは何か?

「御神木」という言葉を「神社の木」という広い意味で使うこともありますが、厳密にいえば「神の依代としての木」です。「神の依代」としての木が単体であれば「御神木」、依代となる木が複数で林になっている場合は「神体林」、山全体が依代であれば「神体山」と呼びます。ちなみに「神体林」という名称は後述する上原敬二が名付けた名称であり、「神体山」は上知令に際して大神神社が提唱し、戦後に岡田米夫が広めた名称です。数ある樹木から御祭神に選ばれた樹木のみが御神木なり、神体林なり、神体山になるのであって、神社境内の樹木すべてが神の依代ではありません。

つぎに「神の依代」というのは御祭神一座につき一つです。明治神宮の場合、「霊代」(みたましろ)が本殿のなかに奉安されていますから、それ以外に「神の依代」は存在しません。換言すれば「神の依代としての御神木」というのは、霊代が存在しない場合あるいは過去に霊代が存在せず樹木を霊代として祭祀を行っていた場合にのみ成立するものです。したがって明治神宮において「神さびた木」という意味での御神木はあっても神の依代としての御神木は存在しません。

また「神社の巨木=神木」ではありません。若くて細い樹木でも、それが「神の依代」なら神木ですし、巨木でも「神の依代」にならないこともあります。どこを依代とするのか最終的に決めるのは御祭神です。だから樹齢100年以上の樹木だからといって御神木になるとは限りません。そもそも樹齢100年の木を伐採して作った家屋や家具が流通販売されています。もし100年が経った樹木は「神の依代」になり、伐採できなくなるというのであれば、付喪(九十九)神のように、99年で伐採する文化が生まれるはずです。そんな文化は存在しませんので、一定期間を経た樹木がすべて御神木になるということもありません。

このように境内のすべてが神木ではなく、また一定の条件を満たせば神木になる訳でもないので、どの樹木が神の依代なの見極めるということが非常に重要になります。だからこそ樹木伐採や山開きに関する独自の儀礼や信仰が生まれたのです。

原敬二の理論

林学博士の上原敬二は近代日本の造園学のパイオニアであり、本多静六や本郷高徳らとともに明治神宮の造園を主導した一人です。彼は明治神宮という一大プロジェクトに参加するにあたり、全国の神社の山林を調査しました。そのなかには神体山である三輪山も含まれます。その調査の結果、神社の樹木のなかには神の依代となる「神体林」もあれば、社殿造営のための材木や資金を得るために植樹された「経済林」もあり、神体林ではないけど景観を守るために保護すべき「風致林」といったように、神社の林は均一ではなく、神聖の度合いによって分類し、それぞれ管理方法も変えるべきということに気が付きました。

この考え方は他の技師にも共有され、明治神宮の林はいくつかの区域(ゾーン)にわけて設計されています。神体林がない明治神宮において、神聖さの度合いが最も高いのが本殿の後ろの「後背林」であり、反対に最も俗っぽい区域が外苑です。明治神宮において一般の神社における「鎮守の杜」に相当する区域は内苑であり、外苑は神社付属の公園的設備として設計されています。

このような設計意図について上原敬二は多くの著述残していますし、明治神宮は他の神社の追随を許さないほどの多額の予算を投じて設計者の理論に基づく樹木の管理・施業を実践してきました。営林に関して明治神宮を上回るのは伊勢の神宮くらいでしょう。しかも明治神宮は上原敬二らの残した資料の研究を進め、その成果の発表にも力を注いできました。だから明治神宮の造園に関する理論は調べようと思えば、研究論文がいくつも発表されています。

今泉宜子 『明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト―』 | 新潮社

明治神宮以前・以後|鹿島出版会

外苑の再開発について議論をするのであれば、上原敬二がどういう理想と理論で設計したかについてを踏まえるべきです。設計者が書き残した設計コンセプトを読まずに「本来あるべき外苑の姿」が議論できるはずがありません。