神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

西荻窪の三峯神社

西荻窪ケヤキ

西荻窪2丁目にある大きなケヤキがマンション建設により伐採されることになり、地元住民を中心に反対運動がおこっています。

東京・西荻窪「もう一つのトトロの樹」が伐採へ スーパーゼネコンvs住民「反対運動」が広がる(亀松太郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

伐採の対象となっているケヤキの樹齢は少なくとも100年以上、200年と推測する人もいある大木です。しかも美しい景観を有しており、その樹齢および景観は近隣の「坂の上のけやき公園」のケヤキ(通称「トトロの樹」)に匹敵するものです。

さらに明治時代に、この木の根元から三峯神社の紋(菖蒲菱紋)が入った徳利が出土したため、ご神木と仰がれ、祠が建立されています。

このように自然保護、地域の景観保護、信仰保護の観点からケヤキは保護されるべき価値を有すると考える近隣住民有志は署名活動を展開するとともに、樹医による診断を事業者に申し入れました。事業者は伐採の理由としてケヤキの老化をあげていたからです。しかしながら事業者からは断られてしまいました。

【署名運動のサイト】

キャンペーン · 伐採間近!西荻北2丁目・樹齢数百年のご神木けやきを切らないで!SAVE THIS SACRED TREE IN NISHIOGIKUBO! · Change.org

ケヤキはだれのものか?

ここまでの情報だけだと、非情な事業者が地元住民の反対を押し切って神聖な樹木を切る事件のように思ってしまいますが、地主視点で見ると違った事情が見えてきます。

そもそもケヤキのある土地は個人の宅地の一部です。祠も宗教法人になっていません。地主から見た神社の歴史は以下の通りです。

  1. 個人の敷地の片隅に大きなケヤキが生えていた
  2. その根元から三峯神社の徳利が出土した
  3. 地主は三峯神社を熱心に信仰するようになって祠を建てた
  4. 近所の人も参拝できるようにケヤキのある場所は自由に出入りできるようにした
  5. 三峯神社の本社の例祭が4月なので、地主がおまつりを行い、来てくれた人には甘酒などを振る舞った

以上のように、西荻窪2丁目の三峯神社は宗教法人でもなければ、地域が共同が管理する祠でもなく、あくまで個人の敷地に鎮座し、地主が個人的に祀る「屋敷神」です。ケヤキも同様に個人の所有物になります。

地主の負担

個人の祠といっても決して小さなものではなく、普通の神社と間違えるくらいの大きさと広さを持っています。現場の様子は都内の神社を巡拝されている「NO6」さんが2018年5月のブログで詳しく紹介してくれています。

第五九七回 三峯神社(西荻北) | 江戸御府内千社参詣

写真でわかりますように、鳥居、手水舎を備えており、家一軒とまではいかないものの乗用車3台くらいは余裕で駐車できるくらいの広さがあります。

この場所は西荻窪駅から徒歩4分の好立地の場所にあります。駐車場にしたら毎月それなりの収入が見込めるでしょう。さらに宗教法人になっていないので固定資産税がかかります。つまり地主さんはに西荻窪駅から徒歩4分にある乗用車3台を余裕で駐車できる敷地の固定資産税を納めて来たということです。

それに加えて社殿や鳥居、手水舎の建立費用、落ち葉の清掃などの維持管理の労力もありますので、地主さんがケヤキと祠を維持するお金も労力は相当なものになります。そうした地主さんの善意の負担の上に祠もケヤキも成り立っているのです。

地主の子孫が土地を手放した

三峯神社の紋が入った徳利が出土したことを「ありがたや」と思って祠を建立し、地域の人達も参拝できるように開放する。信心深く、郷土愛と行動力のある人物像が思い浮かびます。しかし、そんな地主さんの子孫は相続した土地を清水総合開発(株)に売却し、今回の伐採とマンション建設計画になりました。

だからといって相続した子孫を「信仰心、郷土愛や自然保護の精神がない」と責めるのは筋違いです。

報道によれば先代の地主が逝去されたのが2019年、「NO6」さんのブログでは2018年時点で神社はすでに閉鎖されていたのですから、相続の前に神社の開放はやめていたということがわかります。ではなぜ開放しなくなったのでしょうか?

ここで報道や署名運動において地主への感謝の言葉がないという点が気になります。地主さんは相当な負担をしながら善意で神社とケヤキを開放してきた。それを当たり前だと思って来た住民が相当数いたのではないでしょうか?

駐車場にすれば、それなりの収入が見込めるのにそれを諦め、固定資産税を納めて、維持管理の費用と労力を費やしているのにケヤキを鑑賞して楽しむ人、三峯神社を参拝する人たちからは感謝されない。そんな状態が続けば子孫が維持を嫌になってもしかたないのではないでしょうか?

人々は心の中で感謝していたと反論があるかもしれませんが、本当に感謝しているのであれば地主の負担を軽減する具体的な行動をしていたはずです。地域住民が氏子となり、神社を宗教法人にして、維持費や清掃はみなで負担することもできたのに、それをしなかった。

少なくとも地主は存命中から「三峯神社ケヤキは地域の共有物ではなく、個人の所有物である」という意志を閉鎖という態度によって地域住民に明確に示していたことは明白です。

自然保護というのであれば

今回の件といい、明治神宮外苑の件もそうですが、環境保護、温暖化対策のために樹木は伐採すべきではないと主張するのであれば、まず自らが私有地の緑化をはかるべきでしょう。持ち家であれば庭の片隅に樹木を植え、マンションであれば鉢植えやプランター栽培をする。「そんなスペースの余裕はない」、「育てるのが大変だ」と思うのであれば、他の人に対して「木を伐るな」と言う資格はありません。

また自然保護や温暖化対策などといった公共の問題を個人の負担にするのは不公平です。

なぜ募金を集めて清水総合開発(株)に「ケヤキのある土地を売ってほしい」と要望しないのでしょうか?

なぜ「ケヤキの維持管理の責任を負う」という申し出をしないのでしょうか?

大きなケヤキのある生活を享受したいのであれば、そのための負担と義務を負うべきです。「土地を買う」あるいは「維持管理の責任を負う契約をする」という態度を示して初めて土地所有者と交渉する資格をもつことができます。

信仰の保護

この三峯神社は地主の「屋敷神」です。屋敷神に関する一切の権限は地主にあります。したがって地主が土地を手放すに際して、新しい土地に遷座することもあれば、遷座先に同規模の敷地がなければ神棚に縮小するということもありますし、次の地主と相談して祠を譲渡することもありますし、屋敷神の祭祀の継続が難しいのであれば神職を招いて昇神するしかないこともあります。

いずれにせよ、屋敷神は個人宅の神棚を規模拡大したものですから、どうするかは地主の独断で決められることであり、地域住民の承諾も説明も不要です。

伐採反対運動のなかで「御神木」という表現がつかわれていますが、祠の保護については言及されていません。「祠はどうでもいいけど、ケヤキは保護したい」という考えなら「御神木」という表現は使用すべきではないでしょう。

伐採をやめさせたいのであれば

伐採・解体に伴う騒音などについては事業者として説明の義務はあるでしょうが、祠も樹木も土地所有者の私的財産であり、それを処分するのに周辺住民の承諾は必要ありません。

もし伐採を止めさせて、ケヤキを保護したいのであれば、有志でお金を集めて土地所有者からケヤキのある土地を買い取り、その後の管理を自分たちでやる姿勢を示さなければ、土地所有者に一方的かつ半永久的な経済的負担を強いるだけです。せめて固定資産税くらいは出してあげるべきでしょう。