神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

外苑再開発問題は「貧すれば鈍す」の象徴だ

たしかに日本の「コモンズ」の危機ですよ

今回は多摩大学大学院経営情報学研究科の堀内勉教授の神宮外苑・再開発問題は「貧すれば鈍す」の象徴だ なぜ欧米では「私有地だから自由」が厳禁なのか | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンラインについて反論したいと思います。

「コモンズ」や「公共財」というのは簡単に言えば「みんなのもの」です。だから反対論者が「コモン」という概念をつかって言いたいことは「外苑はみんなのものだから勝手に再開発するな」ということです。でも残念ながら外苑はコモンズではありません。「みんなのもの」であるためには恩恵だけではなく、負担も共有しないといけません。では外苑の維持は誰がしていますか?

この議論で再開発反対論者が根本的に見落としているのが負担の面です。外苑は税金で維持している公園ではありません。明治神宮と言う一宗教法人の所有地であり、明治神宮が維持費を出して管理している土地の一部を善意で開放してくれているのが外苑です。

仮に外苑が「コモンズ」だったら多摩大学のキャンパスだって「コモンズ」です。多摩大学は私学ですが補助金を受けています。補助金をもらっていない明治神宮よりコモンズとしての性格は確実に強いでしょう。多摩大学で建て直しや樹木伐採をするときに学外から反対意見が出てきたら、堀内教授は「多摩大学キャンパスは多摩大学のものじゃない。コモンズなんだからみんなの意見を聞くべきだ」と学内を説得されるのでしょうか?

「コモンズ」について考えるとき「共有地の悲劇」や「フリーライダー」の問題も考えなければいけません。私は入会地や地域住民が共同管理する祠を実地調査してきましたが、負担の平等は「共有地」の現場ではかなりシビアです。一人だけ負担が軽かったり、一人だけ多く利益を得ようとしたり、一人だけ負担が多かったり、一人だけ利益が少なかったら、すぐにトラブルになるのが共有地の現場です。共有地の維持コストを負担していない人間が口出ししたら負担している人々から「あなたには口出しする資格はない」と一喝されるのが現場です。恩恵・負担の不平等が共有地を壊滅させかねない問題に発展しかねないのだから、共有地の現場に身を置いた人間は不平等に敏感にならざるを得ない。この頃「コモンズ」を論じる人々の多くが負担の不平等を軽視する傾向にあるのは現場よりも書物から得た知識だけで「コモンズ」を論じているからではなかろうかと推測する。

明治神宮をコモンズだと主張する人は明治神宮だけが外苑(内苑も)の維持にかかるコストを負担している現状についてどう考えているのでしょうか?

自分たちが維持コストを負担していないにも関わらず、負担者に一切の敬意を払わないどころか、それを「みんなのもの」だと言い張って権利を主張するのは、非常に利己的であり、自己中心的であり、「貧すれば鈍す」以外の何物でもありません。

反対派を批判する人って誰?

堀内氏は以下のように述べます。

反対派を批判する人の意見を聞くと、神宮外苑私有財産だから何をしてもいいはずだといった声が多いことに驚かされます。

これは具体的に誰の論に対する意見でしょうか?ストローマン論法的な抽象的な極論を論破することに意味はありません。

また以下のようにも述べています。

再開発反対を訴えている人たちを、単に遅れてきた共産主義者やリベラル左派が、「木を切るな」と言って情緒的に騒ぎ立てているといって非難すれば済むという単純な話ではありません

この文章から堀内教授は、反対派について「遅れてきた共産主義者やリベラル左派」という不当なレッテル貼りをされていると認識していることがわかります。しかしながら反対派に対して大手マスコミはそのような表現で批判していません。googleで「遅れてきた共産主義者」を完全一致検索しますと、一番最初に出てくるのは堀内教授の記事です。他は外苑再開発以外の問題について書き込まれた「2ちゃんねる」のコメントがヒットしました。この「遅れてきた共産主義者」というのはどこから出てきた表現なのでしょうか?疑問です。

土地所有制度が違います

堀内教授は「どの国でも、資本主義の本家本元であるイギリスでもアメリカでも、土地というのは公共的な観点から所有者が使用や処分の制限を受けるものです」と主張しますが、その前に「世界の先進国で、日本ほど土地について完全な所有権を認められている国は他にありません」とも主張しています。これは完全な自己矛盾です。

少し落ち着いて考えればわかることですが、この2つの文章は「日本の土地所有者が外国と比べて公共的な観点から使用や処分の制限を受けないのは、日本ほど土地について完全な所有権を認められている国は他にないからです」と結びつけるのが自然です。

堀内教授が例示するイギリスにおいて土地の最終的な所有権は政府にあります(イギリスの不動産関連情報 | 海外建設・不動産市場データベース | 国土交通省)。アメリカも州による差がありますが、日本とは土地所有制度が異なります(アメリカの不動産関連情報 | 海外建設・不動産市場データベース | 国土交通省 (mlit.go.jp))。議論の前提となる制度の比較をせずに、単純に「欧米はこうだ」と主張するのは強引な論理展開です。

本当に宗教法人に補助金は出せないの?

明治神宮が宗教法人であるために、国が資金支援をできないという問題もあるようですが、もし明治神宮に十分な資金がないのであれば、国や東京都が土地を借り上げて野球場やラグビー場を建てればいいだけの話です(あるいは改修という形でもいいですが)。おそらく、国や東京都にもその資金がないからこそ、民間事業者の力を借りたということなのでしょう。

この部分ですが、まず「宗教法人だから公的補助ができない」というのは誤りです。例えば、宗教法人が所有している重要文化財の修理に対して公的補助はできます。簡単に言ってしまえば、その宗教団体・宗教法人を依怙贔屓することがダメなのであって、たまたま公的補助をすべきものを宗教法人が所有している場合にそのものを保護するために公的補助を行うことは禁止されていません。すでに個人・私法人が善意で土地を開放した場合にそこに税制優遇をする制度がありますので、そこから一歩進んで外苑のように私法人が所有地を開放した場合に公的補助を受けられる制度を作ればいいだけの話です。多くの政治家が保全すべきと叫んでいながら、外苑に対して公的補助を可能とする具体的な仕組みを提案しない現状を見ますと「選挙のためのパフォーマンスなのかな」と落胆せざるをえません。

つぎに事業者側は、改修では施設を利用できない期間ができるので、その間の収入が止まり、外苑と内苑の維持費の捻出に支障が生じると説明していますので、「改修という形でもいいですが」という意見から事業者側の説明をよく読んでないことが指摘できます。

最後に公的補助もできない、東京都や国に資金がなく民間事業者の力を借りるしかないと公助のない状況を理解していながら、それでも外苑をコモンズだと言い張るのは無理です。

外苑はコモンズ?

「コモンズ」には定義があり、その定義にあてはまるものだけがコモンズです。学者が「これはコモンズだ」と言えばコモンズになる訳ではありません。だから堀内勉教授は「コモンズ」の定義を提示した上で、「外苑は〇〇という条件を満たすからコモンズだ」という証明をまずすべきです。堀内教授にかぎらず、外苑をコモンズだと主張する人はこの証明を怠っています。

私は「みんなものなら恩恵も負担も共有すべき」という小学生でもわかる単純明快な定義で、維持するための負担を共有していない外苑はコモンズではないと主張しています。

フリーライダーを称賛するようなコモンズは長続きしません。負担の不平等に気づけない浅薄なコモンズ論が横行している日本の現状に暗澹たる気持ちになります。自分たちが恩恵を受けているもののコストを負担してくれている人に敬意をもたないことこそ「貧すれば鈍す」です。

都心にとって内苑外苑の自然が重要だというのであれば、明治神宮の負担を共有する呼びかけこそすべきなのに、明治神宮に過剰な負担を負わせ続けようとするのはSDGsでも「コモンズ」を重んじる姿勢でもありません。