神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神主の苦言に苦言を返す

コメントへの回答

西荻窪の三峯神社 - 神道研究室に対して、「神主の苦言」として「あなた自身も斬り込まれる心構えは持っていらっしゃいますか?」とコメントが寄せられました。

今回はこのコメントに対して回答したいと思います。

まず「斬り込まれる」には次の2種類が想定されます。

  1. 議論として「斬り込む」
  2. 物理的に「斬り込む」

どっちの意味かによって対応がまったく異なりますので、それぞれ回答いたします。

議論として斬りこむ

斬り込むには「問い詰める」とか「追及する」という意味があります。はてなブログの上部に「ブログのひとこと説明」という欄があります。私はそこに「在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます」と掲げています。この「切り込み」は「論及する」という意味です。今回、寄せられたコメントは「ひとこと説明」に対して「だったら神道博士も自身の論に対して鋭い批評を加えられる心構えはあるんでしょうね?」という意図で寄せられたものだと推測します。

それに対する回答はすでに2023年1月の時点で「批判はご自由に」とブログに提示してあります。コメントについて - 神道研究室

そのため異論がありましたら前置きは不要ですので、ご自身のブログなり、SNSなりでご批評ください。ただし私はインターネットを巡視している訳でもありませんので、異論を見るとはかぎりません。異論に対する私のリアクションをお求めであれば、コメントにURLを添付して教えて下さい。確認してリアクションをとります。

そもそも研究者にとって異論は自分の学説の弱点を再確認するチャンスであり、異論や論争が怖くて学者は務まりません。

物理的に斬り込む

「斬り込む」には「刃物で切る」、「相手方に攻め込む」といった物理的攻撃の意味もあります。コメントがこちらの意味の場合、投稿者は私に対して危害を加える意図があり、それを事前に告知したということになります。

若い人はそんなのは妄想だと笑うでしょうが、私のように思想対立が言論を超えて闘争まで発展した時代を知る人間からすれば、決して非現実なことではありません。安保闘争、出版社や言論人に対する脅迫、要人が襲撃される事件もありました。近年でも悲惨な事件がおきています。神社界だって思想的な理由で神社本庁に爆弾を投げ込まれた経験があります。

そのため「斬り込む」が物理的攻撃である可能性はゼロではありません。私が匿名でブログをしている理由の一つは、世の中には思想の異なる相手に物理的な攻撃をしかけてくる人がいるということを実際に見て来たからです。

こちらへの対応について、我が国は法治国家ですので私闘は禁止されています。物理的攻撃を意図しているのであれば、法に則り対処いたします。

戦後史を学びましょう

コメントの投稿者やこの記事を読んだ神職で「そんな大げさな」と思うのであれば戦後神道史を学び直すことをお勧めします。平和的な記録が前面にでてきますが、よく調べれば神社本庁爆破事件や大嘗祭をめぐる裁判や放火事件など神社神道を守るのは決して容易ではなかったことがわかるはずです。

そうした戦いの矢面に立ったのは主に葦津珍彦や神道学者、神社本庁職員といった日常的に笏を持たない神道人でした。そして彼らを矢面に立たせておきながら、自分たちは安全なところで賽銭勘定と神社界のポストをめぐる政争に熱中していた現場の神職も少なくなかった。これが残念ながら戦後神道史の一面です。現任神職だけで戦後の神道の歴史が紡がれてきた訳ではない。神道を守る論陣を張って戦った葦津珍彦ら、神道の研究と教育に人生を捧げた教員、地味な事務仕事に励んだ本庁職員、募財のために走り回った総代、そうした社頭以外での奮闘があって今の神社界があるということを現場の神職は肝に銘じるべきでしょう。

社頭を守っている神職の奉仕に敬意を表しますが、神道を守るための論争をリードしてきたのは現場の神職ではなく、神道学者です。論陣をはってきた神道学者に対し論戦の覚悟を問う資格は銃後で守られてきた神職にはありません。

言葉は丁寧につかいましょう

コメントをくれた人を私は知りません。知らない相手にいきなり「斬り込まれる心構え」と解釈次第では脅迫とも受け取れる言葉をぶつけるのは礼にかなっているとは思いません。

コメントに実名を書き込まれるのは、こちらも迷惑ですのでやめていただきたいですが、「神職をしています」とか個人情報を晒さない自己紹介の仕方もあるでしょう。

また私の「切り込む」に対し、「斬り込む」と異なる漢字を用いていることに意味はありますか?言霊、祝詞国学など神職は国語の教師が務まるくらい日本語のプロであるべき職です。脅迫と思われるような不注意はすべきではないし、私が不快感を覚えることをよしとするなら宗教者の心構えとして問題です。

要するに今回のコメントは「神主」の発する文章として適切とはいえません。

老婆心ですが

もし私が強盗や通り魔にあい、その犯人が逃亡したら投稿者は容疑者として疑われる可能性大です。このように「斬り込まれる心構え」という誤解を招くコメントは投稿者にとっても有害なのです。

私に対する害意がないのであれば「自身も批評される覚悟があるかという意味です」など追加コメントすることをお勧めします。

以上、コメントに回答いたします。