神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

倒木リスクを考えよう

樹木が車を破壊する

2014年、富山県南砺市国道156号線で倒木がトヨタ2000GT」に直撃するという事故が発生しました。幸い運転手は無事でしたが、車は大破してしまい、運転手は木が倒れたのは道路管理者の県の責任だとして約3900万円の損害賠償請求を起こしました。そして2018年に約1700万円で和解が成立しました。

この事故からわかる通り樹木が倒れて人や物に被害を与えたら土地所有者の責任になります。

相次ぐ倒木

倒木は珍しい現象ではなく、各地で起こっています。

目の前でメキメキ…”間一髪”神社の境内で松の大木がポッキリ その瞬間を目撃(島根・出雲市)(TSKさんいん中央テレビ) - Yahoo!ニュース

大木倒れ女性けが 鳥取東照宮の鳥居近く 樹齢150年以上、車に直撃も(日本海新聞) - Yahoo!ニュース

枝も危険

2014年には神奈川県川崎市の商業施設の管理するケヤキの枝(といっても20キロ)が落下、女児が重傷を負うという痛ましい事故も発生しています。幸いに救急搬送されて命に別状はなかったとのことですが、枝が自然と落下する「落枝(らくし)」も重大事故につながることがあると認識を改めないといけません。

このような事故が二度とおこらないようにするためには、まず樹木は放置していれば自然と適切な状態に維持され、人に害を与えることはないという幻想を捨てる意識改革からはじめるべきです。

大木のリスクについては神戸大学大学院農学研究科の黒田慶子教授も専門的見地から鋭い指摘をしています。神戸大学 黒田慶子 Kuroda, Keiko

和歌山県の神社でおきた事故

倒木や落枝の事故をなくし、安全な社会を実現するためには土地所有者に管理を徹底させないといけません。しかし、土地所有者が倒木の危険性を察知し、伐採しようとしても周囲がそれに待ったをかけるというケースもあります。

2023年8月9日、和歌山県田辺市の神社にある大木が倒れて境内社を破壊しました。総代長が「人がいない時間帯でよかった」とコメントしているように、幹回りが1.3メートル、高さが8メートルもある樹木が人に直撃していたら大惨事になっていました。県文化財の社叢の木倒れる 和歌山県田辺市鮎川の住吉神社、ほこら上部を破壊(紀伊民報) - Yahoo!ニュース

この事故で問題なのは去年の段階で樹木医に倒木の可能性を指摘されていたことです。去年の時点でさっさと伐採していれば、倒木は防げたのであり、境内社も破壊されずに済んだのです。

しかし、この神社の宮司や総代を怠慢と責めることはできません。なぜならば倒れたシイの木は県の天然記念物に指定されており、神社の独断で伐採できなかったからです。神社側は倒木のリスクを市を通じて県に伝えており、伐採に向けて調整していました。だから和歌山県にも責任の一端があります。

樹木を持たない方がお得

山村とは異なり、都市部の環境では40年以上経過すると病気による倒木のリスクが高まります。“植え過ぎた街路樹”対応に追われる…8年連続で倒木が年間10件以上の名古屋市 4万本超が40年以上経過 | 東海テレビNEWS

40年以上は危険だということは、外苑再開発や西荻窪の伐採は近隣住民を倒木や落枝の事故から守るというリスクマネジメントとして正しい判断ということになります。それなのに伐採しようとしたら、自然破壊、温暖化と批判を受ける。伐採反対運動をしている人々は倒木・落枝のリスクについてどのようにお考えなのでしょうか?

「自然保護のために樹木は伐るな。でも事故が発生したら土地所有者が責任をとれ」というのは不公平ではないでしょうか?杉並区の条例など「樹木を持つ者に伐らせない」という現在主流の自然保護の方法は一見正しいように思えますが、管理者として伐採する権限を奪われながら責任とコスト負担だけは半永久的に負わされるというのは、土地所有者だけが不利なやり方です。そんな状態で「我が家の庭に樹木を植えよう」と思いますか?

木を植えたら伐れない。大木になって事故がおきたら責任をとらないといけない。そんな土地は売れない。このように経済的合理性を追求すれば樹木を持つことにはリスクとコストしかなく、今のような「樹木を持つ者に伐らせない」というやり方では、むしろ所有者に「伐りたい」「植えたくない」と思わせるだけです。

所有者には禁止ではなく支援を

本当に都心のみどりを増やしたいのであれば、樹木を持っている人を支援する政策をすべきです。しかし、いま日本社会は樹木の所有者だけにリスクとコストを負担させることをしています。この方法では自然は増えません。

維持面積から考えれば、私人・私法人で都内随一の自然保護の功労者は明治神宮であることは疑いようがありません。西荻窪三峯神社も個人がケヤキを維持し、それを公開してくれていたのです。そういう自然を自費で保護してくれていた人々に対して「今までありがとう。これからは社会みんなで自然を守っていこう」と姿勢で向き合い、リスクとコストを社会で分かち合いながら自然を増やしていく。そうしないと自然保護は実現しません。

友人とキャンプに行って、自分だけが準備させられたら二度とその友人とキャンプにいかないでしょう。それと同じことで、自然のある生活の楽しさだけではなく、リスクもコストも共有していかないと持続的な社会は実現しません。