神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神道人は言挙げせよ

言挙げしない国

古事記』、『日本書紀』、『万葉集』に「言挙」(ことあげ)という言葉がでてきます。意味は「自分の考えを言葉に出してはっきり言うこと」であり、いくつかの辞書では「古代ではことあげは不吉なものとされた」というような記述もあります。

そのため神道を信じる人は言挙げしないことを美徳と考え、議論を避ける傾向にあります。

言挙げは悪いことなの?

言挙げが不吉だとする例として、以下のようなものがあります。

  1. ヤマトタケル伊吹山において言挙げしたところ命を落とした
  2. 本居宣長の「直毘霊」

古への大御世には、道といふ言挙(ことあ)げもさらになかりき、故れ古語に、あしはらの水穂の国は、言挙げせぬ国といへり、其はただ物にゆく道こそ有りけれ

これだけを読むと「神道では言葉に出さない方がいいんだ。それが神様の教えなんだ」と思う人がいてもおかしくありません。しかしながらアマテラスが天の岩戸に隠れたときに八百万の神々は天の安河原に集まって「神議」しています。神様はがっつり議論をしているのです。

本居宣長の「直毘霊」も「昔の日本人は論語のように、こう生きるべきだという道徳を文字や言葉で残さなかっただけで、道徳は存在したのだ」という意味であって「言挙げ=悪」とは言っていません。宣長のスタンスは「議論しないで解決するのであればそれが最善だけど、言挙げしないといけない場合は言挙げするよ」というもので、それは「玉鉾百首」の次の歌に端的に示されています。

言挙せぬ国にはあれども枉説の言挙こちたみ言挙す吾は

「枉説」は「マガゴト」といい、「間違った説」という意味です。間違った学説に対する宣長の口撃は厳しいものがあり、藤貞幹の『衝口発』という書物に対し『鉗狂人』という過激なタイトルの書物を執筆して批判しています。

本居宣長だけではなく、平田篤胤吉田兼倶、渡会行忠など歴史に残る神道家・国学者は書物に自分の考えを書き残すという「言挙げ」をしたから歴史の名前を残したのです。

このように八百万の神々だって議論をしていますし、偉大な神道家や国学者だって言語で神道思想や理論を残しています。そもそも「言挙げ=悪」ならば祝詞だって悪になってしまいます。したがって「言挙げ=悪」なはずがありません。

悪い言挙げ

そのため「言挙げ」そのものは善でも悪でもなく、凶を招く「悪い言挙げ」と吉を招く「良い言挙げ」があると考えた方がよいでしょう。

「良い言挙げ」の最たるものが「祝詞」であり、他にも人への感謝の言葉など人を幸せにするような言霊の力はどんどん発した方がよいでしょう。

では「悪い言挙げ」とはどういったものでしょうか?まず心の問題があります。先ほどのヤマトタケルの例は、油断と驕りから猪または大蛇の姿で現れた伊吹山の神を使いと見誤り、相手を軽んじる発言です。言挙げしたから凶を招いたのではなく、言挙げをしたときの心が清く明く直き心でなかったから凶を招いたと考えるべきでしょう。このように言葉を発する際の心のあり方によって吉凶がわかれるのです。

つぎに「言」と「事」は同じ「こと」と読みます。これは靖國神社第3代宮司で賀茂百樹が重んじたことですが、神道において言葉は事実に基づいていなければなりません。事実と言葉が反しているウソや虚言、讒言などは「悪い言挙げ」です。ちなみに賀茂百樹は国学者としての才を認められて賀茂真淵家督を継承した人物で、戦前の理論派神道人の一人であり、彼も「私の安心立命」で言挙げすべきときは言挙げするのが神道人であると明言しています。

さらに「忌詞」など時と場所に適さない詞を発することも良き結果を生みません。

言挙げせずは達人の境地

また「言挙げせず」は「言葉にして発すると不吉だから気をつけろ」という訓戒でなく、神道を究めた人の境地を指した言葉と考えるべきです。言葉で討論せずとも互いに相手をおもんばかってwin-winの結果に自然と至ってしまう。実に理想的ですね。似たような概念に易経の「神武不殺」や剣術の「鞘の内」があります。

ここで注意しないといけないのは、そうした理想的な境地を実際にできるのは達人だけであって、達人の境地に至っていない大半の人々は正々堂々と勝負するしかないということです。

神道の達人しかできないのが「言挙げせず」の境地なのであって、だから「言挙げせず」のまえには「神ながら」がつけられることが多いのです。どれくらいの達人なら「言挙げせず」を体現できるかという問題ですが、それはもはや神や天皇の境地です。なにしろ吉田兼俱や本居宣長ですら討論するしかなかったのですから、普通の神職国学者は討論するのが当たり前と心得るべきでしょう。

なぜ議論を避けるのか

神道を究めた人は言葉にしなくてもトラブルが解決できる。それが理想だよね。そのような意味の「言挙げせず」が「神道は言葉で説明してはいけない」と誤用されてしまっている訳ですが、誤用がはじまったのはいつからでしょうか?

本居宣長の「玉鉾百首」から、江戸時代にはすでに「神道的には言挙げしないのが理想である」という風潮ができていたことがわかりますが、それでも国学者神道家はバチバチの論争をしていました。明治時代や大正時代の全国神職会の会報などを見ても、3月号のA神職の寄稿に対し、5号にB神職が「A氏の説に駁す」という批判を投稿するなど議論をしていた形跡があります。したがって江戸時代にはすでに誤解が広まっていたものの、戦前まではまだ「神道は言挙げせず」と言いながら論争する風土が神社界に残っていました。

そのため今の様に「神道は言挙げせずなんだから議論すべきではない」、「言葉で説明する必要はない」という誤った「言挙げせず」が確立されたのは昭和になってからではないかと推測します。具体的な証拠はないので断言はできないのですが、「言挙げせず」と言ってしまえば議論の土俵に立たずに済みますので、議論・苦情・質問から逃げたい人にすれば非常に都合の良い口実です。そうした都合の良い専門用語を利用して、本来は議論すべきときは議論するのが神道なのに、トラブルに真正面からぶつかりたくない一部の神道人が議論から逃げてきた面も否定できません。

議論や説明から逃げる悪影響

氏子から難しい質問を投げられた宮司が「言挙げせず」で逃げていて神社の発展はありません。神道は「言挙げせず」だから議論や理論的な説明は不要という誤った「言挙げせず」理解は神道の振興を妨げています。

氏子からの質問に何でも答えられるようにするには、神道の専門知識を身につけないといけない。相手にうまく自分の考えを伝えるための、論理や文章力を身につけないといけない。そういう努力をしてなくていい口実に「言挙げせず」を利用するのは、神職の資質向上になりません。いま、氏子が神職に求めている神職は、霊的な加護、神社について知りたいことにきちんと回答してくれる神道の知識、社会の精神的荒廃をどうにかしてくれる神道思想であって、政財界の人脈やゴルフの技術、宗教ビジネスとしての経営手腕ではありません。

また「言挙げせず」で議論を避ける風潮は神社本庁の運営にとってもよくありません。議論でものごとを決しなくなると、会議の場以外での根回しで決するようになります。根回しが悪いとはいいませんが、表向きは全員一致で賛成しておきながら、後になって裏で撤回を迫るようになるとやりすぎで、そのような対応をされると信用を失います。この神社界の悪習についてはすでに数十年前に葦津珍彦が「秘録」で厳しく批判しています。昨今の神社本庁の問題がここまでこじれた一因もそうした悪習にあると推測します。

議論から逃げずに、正面から堂々と議論することを基本にしていく。一般社会において言論人や思想家と言われる人たちとガチンコの討論ができる神道人が出現しなければ、神道は埋没していくだけです。本居宣長や賀茂百樹が言挙げした意味を吟味し、実践していかねば神社神道の振興はありません。