神職の論争
平成の大嘗祭に際し、折口信夫の真床襲衾(まどこおふすま)をめぐって論争が発生しました。
大嘗祭の殿内に寝座が設置されています。
儀式を行う部屋のなかに布団が用意されているのだとイメージして下さい。
当然、「この布団はどうやって使うの?」という疑問を誰もが抱きます。
この問題について昭和初期に折口信夫は次のような説を唱えました。
これは神話にでてくる「真床襲衾」を再現したもので、この布団に新しい天皇が包まることで歴代天皇の霊力(天皇霊)が新しい天皇に宿り、真の天皇になるのである。
この説は「まさに天皇陛下一代一度の儀式である」、「さすが折口先生」と多くの神職に歓迎されました。
しかし、大嘗祭は秘儀であり、折口は現場を見た訳ではなく、昭和初期に公開されていた史料をもとに仮説を述べたにすぎません。
令和の御代替のときも大嘗祭反対の運動や訴訟が発生しましたが、戦後初となる平成の大嘗祭の前にはそれより激しい反対運動がおこり、なかには「大嘗祭は怪しい儀式ではないのか」という誹謗もありました。
また一般国民も「大嘗祭ってどんなおまつりなの?」という疑問を抱いたので、政府や神道関係者は説明を求められました。
その頃に公開・新発見された史料を研究者が調査したところ、布団は置いてあるだけで包まるという所作がないことがわかりました。
この調査結果を発表すると、神職から「偉大な折口先生の意見を否定するとは何事か!」とか「大嘗祭の神聖さを否定するのか」といった的外れな批判が寄せられました。
儀式の次第を記した古文書を読めば寝座を用いる所作がないことは明らかであり、研究者は寝座を使用しないことを指摘しただけで、大嘗祭が神聖ではないとは一言も言っていません。折口も仮説であると認識していました。本来ならば大嘗祭について誤った説を正したのですから、むしろ敬神尊皇の立場からは称賛されるべき業績のはずが、なぜか批判されるという不思議な状況が発生したのです。
多くの神職にとっては事実よりも「布団に包まれて天皇霊が宿る」という自分たちが美しいと感じるストーリーが優先であり、そのストーリーを否定した研究者を根拠なく批判したのです。
このように神職には事実よりも自分たちが信じたいストーリーを優先するという確証バイアス、折口信夫という泰斗が述べているのだから正しいという対人論証の傾向があることが指摘できます。
【参考文献】
「派」でわける癖
同時に神職には、自分たちと同じストーリーや主張を共有できる派とそれを否定する派といったように議論が発生したときに個ではなく「派」でまとまる癖があります。
例えば、祭神論争のときの伊勢派と出雲派、近年では男系護持派と女系容認派、さらに昨今ニュースとなっている統理支持派と田中派が良い例でしょう。
派でわける癖は神職が狭い業界なのと関係しているように思います。
ただでさえ2万人と人数が少ない上に、資格を取得できる養成機関も限られるので、良く言えば横のつながりが強い、悪く言えば同調圧力が強く狭い業界になってしまいます。
余談ですがこの同調圧力の強さも神社の発展を阻害する要素です。
同調圧力が強いので神職は無意識に他の神職から批判されることを非常に恐れる。周りの目が怖いので他から突出することをためらうし、意見も当たり障りのないものになる。
一般社会でオンライン化やキャッシュレス化が進んでいるのに、多くの神職は「うちの参拝者はSUICA利用者が多いからキャッシュレス賽銭をはじめてみよう」とは思わずに、「キャッシュレスで賽銭してもいいの?」と周りの神社の顔色を窺ってしまう。
これでは新しいものを採り入れたり、活発な議論などできません。
さて、本題に戻りますと確証バイアスと対人論証の強い集団同士が議論しても「〇〇派は信用できない」という水掛け論に終始することは目に見えています。もっと言えば、「派」に籠って議論すらしないこともあります。
例えば、女系天皇の問題については、多くの神職は男系護持こそ皇室の正しい伝統だと思い込んでいるので、女系天皇を主張する高森明勅の著書を読んだり、講師に招いたりはしていません。一度、男系護持派・女系容認派といった「派」を取り払って意見交換した方が良いでしょう。
神社本庁問題における「派」
昨今の神社本庁をめぐる問題も「派」に陥ってしまっています。
争点はいくつかありますが、主たるものは次の2つでしょう。
- 職舎売却をめぐり不正があったか
- 神社本庁庁規第12条第2文「総長は、役員会の議を経て、理事の裡から統理が指名する」の「議を経て」の解釈
まず裁判などにおける有罪無罪は多数決で決めるものではなく、法律と証拠に基づき審議するものですから、職舎売却をめぐり不正があったかどうかは田中派と統理支持派の数で決めるものではありません。不正があったと主張したいのであれば派を増やすのではなく、証拠を探すことです。
同様に「議を経て」の解釈もすでに地位保全事件として裁判所の判断を仰いでいるので支持者の数で決めるものではありません。
この問題もいろいろな立場が想定できます。「不正行為はなかったが、議を経ては統理支持派の解釈が正しい」、「基本的に統理支持だが、不正行為に関してのみ確証がないので不正はなかったと信じている」、「もともと神社本庁に距離をとっているのでどちらの派にも入らない」など単純に田中派と統理支持派で全国の神職を二分化できません。
したがって統理支持派を増加させることに熱狂し、支持派に加入しない神職を田中派だといって糾弾したところで事態は好転しませんし、田中派・統理支持派と単純化してしまうことで問題を矮小化し、対立を深めるだけです。
「派」を取り払って、個々の神職が先入観を捨てて証拠や論拠をもとにじっくり話し合わうことが肝要でしょう。
この数年、神社新報などで「本庁創設の理念」という抽象的な言葉が多用されていますが、結論部分で「本庁創設の理念」とは何なのか具体的に示さず抽象論に終わっているものも多いです。特に近現代神道史の研究者が抽象論に走るのはいただけません。
私個人の見解としては、本庁創設は神道指令という未曽有の事態への緊急防衛策であったのであり、葦津と折口の方向性の相違に象徴されるように、全ての神社関係者が共有する「本庁創設の理念」など存在しなかったと思います。強いて挙げるなら「神道指令にどうするか」くらいしか共有できず、「同床異夢」だったと考えるべきでしょう。
そのような創設に携わったことのない世代の唱える「本庁創設の理念」という抽象論を追い求めるより、今現実に起こっている事実を見極め、ファクトに基づき将来を見据えて議論をしていくべきだと私は考えます。