神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神式同性婚はこれから

はじめに

神道がLGBTを否定していないことは過去に述べました。

神道とLGBTQ+ - 神道研究室

では、なぜ「神前同性婚」ができていないのか、今回はその点について検討します。

神前結婚式とは何か

この問題を考える上でまず「神前結婚式」とは何かについて考えなければなりません。

神社神道では宗教婚を採用していません。宗教婚とは宗教的儀式をもって法的拘束力のある結婚が成立したとする制度です。キリスト教の国などで見られます。宗教婚とは2人が夫婦であることを教会が神の名で認め、それが社会的・法的拘束力ももつという制度です。

これに対し、婚姻届を役所に提出するなど法律上の手続きをもって結婚が成立する制度を法律婚といい、日本は法律婚を採用しています。だから神社や教会で宗教的な儀式をしなくても、婚姻届だけで結婚が成立します。

婚姻届だけで結婚が成立するなら「神前結婚式」は不要なのかというと、そうではありません。神社が結婚を認めるのではないが、法律婚をすることを神様に報告し神様に保証人となってもらい誓いを交わすことによって法律婚を宗教的に祝福(補完)する意義が神前結婚式にはあります。

奉告祭

つまり我々が「神前結婚式」と呼んでいるものは「法律婚奉告祭」なのです。

奉告祭を行う上で最も注意すべきことは、神道にとって最大のタブーの一つが神様にウソをつくことだという点です。神様に奏上する祝詞に事実と異なる点があってはならないのです。

現状、国の制度として「同性婚」を「法律婚」として認めていません。そのため神社側がLGBTのパートナーシップを祝福したくとも、それを「神前結婚式」として奉仕するのは「法律婚ではないパートナーシップを法律婚奉告祭として奉仕するのは神様に対し事実と異なることを奏上することになるのではないか」というジレンマに陥る訳です。

「同性愛者で同棲しているんですけど二人が幸せに暮らせるように御祈祷をして下さい」とか「条例に基づきパートナーシップを結んだことの奉告祭をしてほしい」というのはジレンマのない依頼なのです。それが「神前結婚式(=法律婚奉告祭)」という名称になると一気にハードルが上がってしまうのです。

余談ですが、男女のカップルであっても事実と合致しない場合は神前結婚式はできません。例えば「不倫関係で結婚できないけど神前結婚式を挙げたい」という依頼を通常の神前結婚式の祝詞で奉仕するのは神様にウソをつくことになりますので「神前結婚式」ではなく、別の奉告祭として奉仕する必要があります。もっとも道徳的観点から本来のパートナーを傷つける「道ならぬ恋」を支援するような祭儀は奉仕したくないと拒否する神職がほとんどだとは思いますが。

LGBTに寄り添った祝詞

現状の神前結婚式の祝詞をそのままLGBTのカップルに流用するのは、LGBT当事者に対しても礼を欠くと思います。

神前結婚式の祝詞では「夫婦の道」とか「イザナギイザナミのように」とか男女の夫婦を前提にした文言が使われています。男性同士・女性同士なのに「イザナギイザナミのように」と祈るのが最善なのでしょうか?

同性愛の理想的なカップルを例示して「この人たちのように自分たちも幸せになりたい」と祈った方が神様に対して正確な奉告になりますし、当事者の意向を汲むことになるのではないでしょうか?

このように今までの「法律婚奉告祭」の祝詞の流用ではなく、LGBTのカップルのための祝詞をつくった方が、神様に対して正確な奉告になりますし、祈願主であるLGBTの人々に対しても誠意ある対応だと思います。そもそも祈願主の想いを上手く神様へのメッセージとしてまとめたものが祝詞であり、祝詞神道のルール(神様にウソはいけないetc)や文法を守りながら祈願主に寄り添わねばなりません。

この作文はケース・バイ・ケースになると思います。なぜならば同じ男性同士のカップルでも、男性として男性が好きというケースと、体は男性だが心が女性で男性が好きというケースでは相違があるはずです。だから「LGBT」「男性同士」「女性同士」と一括りにしないで、ケース・バイ・ケースでそれぞれのカップルの想いに寄りそってゼロから祝詞を作文するのが丁寧だと思います。

だからよりよい奉告祭にするためには、当事者2人と神社側で「どういうパートナーシップを理想としているのか」という打合せが必要となります。しかも前例が少ないので祝詞が完成するまで試行錯誤を繰り返すことになると思います。LGBTのパートナーシップに関する祝詞は今がまさに草創期であり、これから奉告祭を行う人々はパイオニアなのであり、将来の人々が参考にする前例なのです。

LGBTの方々に

神道はLGBTを否定しません。しかし、LGBTに関する祭儀は草創期であり、すでにノウハウが確立された「法律婚奉告祭」よりもどうしても準備に時間も手間もかかります。神職は前例を重んじます。言い換えれば前例がないことに対応するのは神職がもっとも苦手とすることです。前例のない祭儀に対して神職は「どうしたらいいの?」と困惑しています。

また神社の神職のなかにも「神道とLGBTは相いれない」と誤解している人がいます。そういう誤解が生まれた理由については前にブログで解説しました(また西洋医学の影響も考慮すべきかと思います)。こうした誤解を払拭するにはある程度の時間がかかります。

神社側に受け入れる体勢ができていないのは事実です。しかしながら、それは困惑であったり、誤解や知識不足で的確な対応ができないだけのことであって、祝福する意思がないのではありません。

神社側の「はじめての経験に対する戸惑い」を容認し、新しい祭儀を神職とともに作り上げていくというスタンスで臨んでいただければ、この問題はゆっくりかもしれませんが、確実に前進すると思います。

神社側の対応マニュアル(案)

もし神社にLGBTの人々から「同性婚」に関する依頼があった場合は次の手順で進めるといいかと思います。

  1. 神道はLGBTを否定しているという誤った認識を捨てる
  2. 依頼に戸惑うかもしれないが、最後まで依頼内容をきちんと聞く
  3. 神社庁に電話し、LGBTに関する祭儀について前例を問い合わせる
  4. 神社本庁に電話し、LGBTに関する祭儀について前例を問い合わせる
  5. 当事者と入念に打合せをする
  6. 神社側で前例を参照しつつ、御祭神に事実と異なることを奏上することなく、当事者の意向・事情を組んだ祝詞を作文する
  7. 祝詞の文案を説明し、神社側の意向も伝え、要望も聞きながら、祝詞の文意について双方が合意する
  8. 実際に奉仕する
  9. 他の神社の参考のため祝詞や状況を神社庁神社本庁へ伝える

新しい祭儀を創り出すためには、話し合う、智慧を出す、経験を共有することが肝要だと思います。

これから

LGBTのカップルを祝福する神道の祭儀はこれから創られていくのであり、今は双方が新しいものに困惑し、お互いに警戒している状況にあります。ここで一方が「こっちを理解してくれない相手を排除しよう」という運動に走ってしまえば、未来永劫、新たな祭儀は創出されません。

法律が整備され、どういう祝詞がいいのか知識の蓄積ができてきたときに「神式同性婚」は定着するものと思います。

それを実現するにはLGBT当事者と神社の共同作業、両者の歩み寄りが不可欠です。本ブログがその一助になれば幸いです。