神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神道とLGBTQ+

神道は「LGBTQ+」を否定しているのか?

神道政治連盟が同性愛に対し差別的な冊子を配布したと令和4年7月に報道されました。

多くの人が「神道って同性愛を否定しているの?」と疑問に思われたでしょうが、神道に同性愛を否定する教えはありません。

 

阿豆那比の罪

世の中には「神道は同性愛を否定している」と主張する人もいます。彼らが根拠として挙げるのは日本書紀に登場する「阿豆那比の罪」です。

日本書紀に登場する「阿豆那比の罪」がどういうものかというと

  • 小竹の祝という神主が亡くなった
  • 友人の天野の祝が後を追った
  • 2人を同じ場所に埋葬した(合葬)
  • 合葬したら昼が夜のように暗くなった
  • 地元の古老が「阿豆那比の罪」のせいだと訴えた
  • 改葬したら問題が解決した

というものです。

この箇所に同性愛または同性愛を想起させる表現はなく、「異なるムラの神主を同じ墓に合葬する罪」と解釈するのが通説です。

 

しかし、岡部東平(おかべ・はるひら)という江戸時代の学者が「2人は男色の関係にあり、阿豆那比の罪とは男色の罪である」と異説を発表しました。この説がなぜか広まってしまい、戦前の辞書にも採用されてしまいました。

そのため本来はトンデモ説なはずの「阿豆那比の罪=男色の罪」が有名になってしまったのです。

勿論、現在の学界では「阿豆那比の罪=合葬の罪」が通説です。

 

武士と男色

そもそも中世において男色は盛んでした。伊達政宗といった有名な武将が男色を嗜んだという記録も残っています。

では男色を嗜んだ武将の参拝を神社が拒否したかというと、そんな事実はない訳です。

むしろ男色を嗜んだ武将で、現在は神社の御祭神として祀られているケースも多い訳ですから、神道が男色をタブーとしていないことは明らかです。

男色が盛んだった日本において同性愛が批判的に認識されるようなったのは、いつからなのか、それはなぜなのかという原因について調査していく必要があるでしょう。

 

神道式の同性婚

そうすると、神道が同性愛を禁止している訳ではないのに、同性愛のカップルから神前結婚式の依頼を受けて断る神社があるのはなぜかという疑問が生じます。それには複数の理由が考えられます。

①誤解によるもの

岡部東平の説が未だに正しいと信じているケースというのは少なくありません。これは不勉強と言われればそれまでです。

②祭儀が確立されていない

現在の神前結婚式の次第や祝詞は、明治時代に男性と女性の結婚式を想定して考案されたものです。特に祝詞は御祭神に申し上げる言葉ですので、正確であることが要求されます。

例えば、神前結婚式の祝詞で「夫婦」(めおと)というフレーズは定番ですが、「夫婦」と言われて気分を害するLGBTQ+の人もいるんじゃないかという懸念があります。

そうすると今までの神前結婚式のやり方をそのまま流用するのではなく、LGBTQ+の人の要望や意見を聞きながら、同性婚に相応しい儀式や祝詞を一から作り上げる必要があります。

それには神社だけでできるものではなく、LGBTQ+の当事者の協力も必要です。

神職同調圧力

神職は全国に2万人しかおらず、大半が國學院大學皇學館大学を卒業するため非常に関係性が強い。それは協力連携が強いというメリットもありますが、同時に同調圧力も強いというデメリットもある。だから神職にとって新しいことや目立つことをして仲間外れにされることは非常に怖い訳です。

だから同性婚の奉仕を依頼された神職の脳裏に最初によぎるのは「よその神社がやっていないことを自分がやって、周囲の神職から仲間外れにされたらどうしよう」という恐怖感です。

このような状態だから、神社本庁同性婚を認める声明を出すのを待っているというのが全国の神職の本音でしょう。

 

要するに、同性婚という全く新しい祭儀を創出するために神社側とLGBTQ+当事者がじっくり話し合いをして行かないといけない状況です。

しかし、残念ながら双方ともに警戒しているのか話し合いの場が持たれていない。

 

神社本庁神道政治連盟の姿勢

神社本庁神道政治連盟はLGBTQ+に対して慎重です。

その理由について明確な声明はありません。

客観的に見る限り、神社本庁明治維新以降の神道神社神道)をベースとしており、「明治~終戦時までの家族観=神道的な家族観」と誤認しているのではないかと推測します。

もっと言ってしまうと、新しい価値観をよく確認せずに拒否反応を示しているだけにも見えます。

 

上述したように神道は同性愛を否定していないのですから、LGBTQ+について真摯に向き合い、新しい時代の神道を切り開くべきでしょう。

 

問題となった冊子は弘前大学教授の楊尚眞の講演録ですが、同氏はキリスト教学者であり、神道学の立場からの講演ではありません(なおキリスト教のなかでもLGBTQ+に対しては様々な意見があり、キリスト教が必ずしも反LGBTQ+ではない)。

LGBTQ+に反対している人たちの意見もじっくり聞いて、なぜ反対しているのかを知り、どうすれば理解し合えるのかを模索することは悪いことではないと思います。したがってどういう意図で講演に招き、どういう意図で講演録を配布したかが大事なのであって、神道政治連盟は講師選定理由と講演録の配布理由について明確に回答する必要があるでしょう。

 

本ブログでは研究者の立場から神道について論じています。

取り上げてほしいテーマなどがありましたらコメント下さい。