神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

宗教法人規則と契約に関するコメント

法律論に関するコメント

過去の記事神社本庁憲章は規則か? - 神道研究室に対して以下のようなコメントをいただきました。文章から読み解くに、法律学を専攻された方と推測します。

宗教法人の規則は国家と法人の契約ではないです。 憲章と庁規の矛盾やそれぞれの過不足については確かに問題ですが、法律論として語るのであればもう少し法学的に適当な議論をなさるべきだと思います。

さて、ご指摘をいただいた私の文章は以下の通りです。

そもそも宗教団体が国家(所轄庁)に規則を提出し、その認証を受けることで宗教法人になります。そのため「宗教法人「神社本庁」庁規」は宗教団体神社本庁と国家と取り交わした一種の契約であり、神社本庁はこの契約に基づき宗教法人としての権利を許されているのです。

ここで「契約」の定義について確認しますと、「契約」とは「当事者間の合意により法律上の権利義務関係を生じさせるもの」です。契約は契約書ではなく、口頭でも成立します。そして宗教法人設立では以下のような合意が形成されています。

  1. (国)宗教法人法の条件を満たして認証をうければ宗教法人として認めますよ。
  2. (宗教団体A)うちの団体は宗教法人になりたいので条件を満たして申請します。
  3. (国)宗教団体Aは条件を満たしているので宗教団体として認めます。

この「合意」の結果、宗教団体Aには宗教法人としての権利と義務が発生し、国家には宗教法人Aの所轄庁という権利と義務が発生しています。このように合意の結果、法律関係が発生していますので、国と宗教団体Aの関係は上述の「契約」の定義に該当します。

このロジックにおける「契約」の考え方はきわめて原始的です。「契約」の定義に立ち返って世の中をみれば結婚も2人の合意により法律上の婚姻関係が発生する契約になりますし、国家制度そのものも契約で成り立っている(社会契約説)ことになります。突き詰めて考えれば、世の中のあらゆる法律関係は「契約」が根幹にあるといっても過言ではないでしょう。

法律学では、そこまで本質に戻って解説する必要もないので、宗教法人法に関する学説・概説書において「規則の認証」を「契約」を用いて解説したものは管見のかぎり見たことがありません。民法の定める「典型契約」の13類(贈与、売買、交換、消費貸借、使用貸借、賃貸借、雇用、請負、委任、寄託、組合、終身定期金、和解)にも該当しません。したがってコメントの「宗教法人の規則は国家と法人の契約ではないです」に対しては、法律学の通説としてはその通りでしょうし、私も厳密な法律論として(=法律学系の学会に対して)「宗教法人規則の認証は契約である」という主張をするつもりはありません。そのため私は「一種の契約」と「一種の」という前置きをわざわざしています。

加えて申し上げますと、時局問題を考えれば、すべての宗教法人は「規則は社会との契約だ」というレベルの認識で法令遵守に励むべきではないかという問題意識も根底にあります。

コメントの趣旨は「神道博士のロジックは法律系の学会で通用しないよ」というご忠告としてありがたく頂戴いたします。それは仰る通りですし、ご指摘には感謝します。ただ私の記事は、神社関係者に対して庁規と憲章の問題をわかりやすく解説することを目的としたものであり、私の文章における「契約」の定義は上述の通りです。今後は一般向けにもわかりやすく、かつ法律論としても成立するレベルに精進したいと思います。

あと法律学の見地から「憲章と庁規の矛盾やそれぞれの過不足については確かに問題」というコメントをいただいたことには感謝いたします。