神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

大学受験用 神道の歴史

はじめに

大学受験(日本史)で必要となる神道の知識を要約してみました。覚えた方がいい専門用語・固有名詞は太字にしています。

神道の歴史

神道(しんとう)は日本独自の古い信仰である。あらゆるものに霊魂が宿ると考える信仰をアニミズムというが、神道アニミズムを特徴とする原始的な宗教である。教典はなく、教祖もいない。信仰のもとになっているのは各地の神話・伝承であり、奈良時代天皇太安万侶(おおのやすまろ)に伝承をまとめさせた古事記や歴史書である日本書紀に記載された神話をベースとして理論を構築している。

奈良時代に仏教が伝来すると神道習合した。習合とは重なるように合体することである。異なる二つの宗教が合体することができたのは「日本の神様は仏教を守護する存在だ」(護法善神)、「日本の神様も仏教により悟りを開きたいと願っている」(神身離脱説)、「日本の神様は仏教の仏や菩薩が民衆を助けるために仮の姿で出現したものだ」(本地垂迹説・ほんちすいじゃくせつ)といった仏教側の理論が基になっている。神社に付属する神宮寺(じんぐうじ)を建立するようになったのは神身離脱説による。3つの説のうち本地垂迹説が最終形態で、日本人の宗教観(神仏習合)に大きな影響を与えた。

これらの理屈は「神道より仏教の方が偉い」という発想でつくられているので、鎌倉時代伊勢神宮の外宮の神官であった渡会家行、渡会行忠らは「伊勢神宮は仏教の下ではない」と反論をした。渡会氏は理論派の神職でたくさんの本を書き残した。渡会氏が唱えた神道理論を伊勢神道といい、南北朝時代北畠親房などに影響を与えた。

室町時代になると、京都の吉田神社の神主だった吉田兼倶(よしだかねとも)が「樹木にたとえるなばら神道が根っこで、仏教や儒教は枝や花であって、根っこの神道の方が偉い」という反本地垂迹説を主張しはじめた。吉田兼倶とその子孫は足利将軍や徳川将軍らに気に入られて、江戸時代には神職の資格を発行する権限を与えられる。吉田家が唱えた神道理論を吉田神道または唯一神道と呼ぶ。

江戸時代になると幕府は「諸社禰宜神主法度」によって全国の神職を統制するようになった。そのときに家元みたいな地位を与えられたのが吉田家である。江戸時代の前半は吉田家が全国の神社に強い影響力を持っていたが、公家の白川家から免状をもらってもよいことになり、また吉田神道を否定する神道理論も生まれた。それが復古神道である。現代人が江戸時代の文書が読めないように、江戸時代の人も奈良時代の『古事記』を読めなくなっていた。これはまずいということで、『万葉集』や『古事記』を読めるようにしようと研究をはじめたのが、契沖(けいちゅう)、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)であり、真淵の弟子の本居宣長(もとおりのりなが)が注釈書の『古事記伝』を発表したことで『古事記』の意味がわかるようになった。奈良時代の古典を読んで吉田神道の理論を見るとおかしい点があることがわかったので、平田篤胤(ひらたあつたね)らによって「古代の神道に戻すべき」と復古神道(ふっこしんとう)が唱えられた。

復古神道以外にも江戸時代にはいろいろな神道理論の学派が生まれた。まず吉田神道からわかれた吉川惟足吉川神道朱子学神道を融合させた山崎闇斎(やまざきあんさい)の垂加神道(すいかしんとう)。ちなみに幕府が儒教の一派である朱子学を推奨したので、朱子学は武士の必修科目だった。白川家の伯家神道天台宗系の山王一実神道真言宗系の両部神道などである。

復古神道などにより「古代は天皇が統治していたのに、徳川将軍が政治の実権をにぎっているのはなぜ?」という疑問を抱くようになった国民と幕府に対する不満が合体して、幕府を倒して天皇が政治を行えば国がよくなるんじゃないかというムーブメントが幕末に起こり、明治維新へとつながる。明治維新のときに神社と寺院を区別する神仏分離を政府は命じた。このときに民衆の一部が暴走し、寺院を破壊する「廃仏毀釈」運動が起こった。また徳川幕府は特定の寺院で葬式をすることを原則(檀家制度)としていたが、これを廃止して、神道を優遇する政策をとった。そうして「天皇が統治する神国日本は優れた国だ」と考える「国家神道」が生まれて、国家神道が暴走した結果、太平洋戦争になって、日本は敗北した。

日本と戦争したアメリカをはじめとする連合国軍は「日本兵が死を恐れずに突撃してくるのは国家神道が原因だ」と考えて、日本が降伏したあとに神道指令を出して国家神道を解体した。戦後は国家から切り離された神社神道、もともと国家神道に組み込まれていなかった宗教としての教派神道、新しく生まれた神道新宗教がある。

おまけ

上で述べた神道の歴史は日本史の教科書を要約したものです。歴史学は常に進歩しており、昔の大先生の説が後輩に否定されることも珍しくありません。例えば、昔の日本史の教科書で足利尊氏だ教えられていた肖像画が、今では高師直ではないかと言われています。今の日本史の教科書の神道に関する記述は約50年前の学説をベースにしており、最新の研究にアップロードされていません。そのため大学の卒業論文神道について書く時に、このページでまとめた神道の歴史をベースに書くと「最新の研究が参考されていない」、「間違っている」と担当教授から指導されることになるでしょう。

しかしながら大学受験というのは高校で教える教科書の内容をきちんとインプット・アウトプットできるかを試すものです。最新の学説を回答する人間は不合格になり、50年前の古くて間違っている教科書通りの回答をした人間が合格するルールです。なので受験生は歴史学と受験勉強は別問題と割り切って、教科書をマスターして合格することに専念してください。これは神道に限らず、他の歴史分野についても同様のことが言えます。

教科書の内容を頭脳にインプットし、的確にアウトプットできるようにするのが高校生の勉強です。これに対して教科書に書かれた内容を正しいと信じて丸暗記するのではなく、教科書の内容に疑問をもち、本当に正しいのかを自分で確認するのが大学生の学術研究です。

広く考えていただきたいこと

公立の学校が特定の宗教・思想を布教するのは勿論ダメですが、教養として多種多様な宗教・思想を知り、その上で自身の思想信条を構築していくことは教育の一環として認められるべきものだと思います。その観点から現在の日本史教育における神道の解説は不十分かつ誤りの多いものであり、日本文化や神道愛する人々はもっと声を挙げるべきだと思います。

戦国時代の宗教観がわからないと戦国武将の心情を理解するなど不可能です。宗教に関する教養がないと歴史学は味気ないものになってしまいます。そういう意味でも教養としての神道・仏教・修験道はもっと学ばれていいものだと思います。