神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神社本庁総長はどうやって決めるのか(花菖蒲ノ会の理論への疑義)

統理と総長

神社本庁というのは平たく言えば「全国神社組合」です。事務所は代々木の明治神宮の横にあります。ただし普通の組合と異なるのは、統理と総長という二人のトップがいるという特殊な体制です。

先日、令和4年が総長の改選期でしたが次の総長を決めるのに統理派と前総長(田中恆清氏)派で争い、総長が決まっていないという報道がなされました。

といってもどういう状況なのか、神職以外にはわからないと思います。そこで問題を整理しようと思います。

 

神社本庁の仕組み

評議員会=神社の国会

神社本庁には約8万の神社が加盟しています。8万社を管理する事務は膨大になるので、代々木の事務所が8万社を直接管理するのではなく、都道府県ごとに支部(〇〇県神社庁)をつくり、事務を分散させています。

また8万社の宮司が集まって会議することは不可能なので、国会のように各都道府県で代表(=評議員)を選び、評議員が集まって神社本庁の運営を決定しています。

評議員神職2名、総代1名の場合が多いですが、神社が多い都道府県は議席数が多いなど一票の格差が生まれないように調整しています。

役員会

何かを決める度に全国から評議員を集めるのは大変なので、執行部(=役員=宗教法人法の定める責任役員)を評議員会で選出し、執行部がまめに集まって代々木の事務所のスタッフ(本庁職員)に指示し、神社本庁を運営しています。

役員は理事17名で構成され、17名のなかから総長1名、副総長1名、常務理事2名を決めます。

さて本題となる総長の決め方は次のようになっています。

  1. 評議員会で選挙して理事17名を決める
  2. 総長は17名の理事が集まる「役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」(神社本庁庁規12条2文)
  3. 副総長は「総長の意見を聞いて、理事のうちから統理が指名する」(庁規12条3文)
  4. 常務理事は「役員が互選する」(庁規12条4文)

統理に関する規程

ここで統理という役職が出てきます。統理とは庁規第40条によれば

 

第40条 本庁に統理一人を置く。

統理は、評議員会に於て選任し、その任期は第十三条に規定する役員及び監事の例によるものとする。

統理は、神社本庁及び神社庁並びに神社の職員を統督する。

統理は、規程を布達し、懲戒を行ひ、及び総裁が欠けた場合において表彰を行ふ。

統理のすべての行為は、総長の補佐を得て行はれるものとし、その責任は、役員会が負ふ。                     

統理と総長の関係

統理と総長の関係は、天皇と総理大臣の関係に近いものがあります。特に庁規40条5文は憲法3条の「内閣の助言と承認」に似ています。

つまり宗教法人の事務的な(世俗的な)権限と責任は総長にあり、統理は神社本庁の象徴(宗教的な権威)として存在する。このように事務的(世俗的)なトップと宗教的権威を分担しているというのが神社本庁の仕組みの特徴です。

 

人事問題

役員会で意見がわかれる

今般の人事問題の発端は令和4年5月の評議員会で新しい理事が選挙で決まり、新しい理事が集まって役員会を開催したところ過半数以上が田中恆清前総長の続投を支持した。しかし、統理は田中氏を指名することを拒否し、別の人物を指名するとしました。

ここで庁規12条2文の「役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」の「議を経て」の意味が

 ①統理の意志より役員会の多数決が優先する

 ②役員会の多数決より統理の意志が優先する

のどちらかになるのかで意見がわかれ、裁判になりました。

総長が決まらないままだと業務が停止するため、庁規13条「但し、後任者が就任する時まで、なほ在任する」により暫定的に田中前総長が総長の地位に留まった状態にあります。

一般的な条文解釈

一般的な法律論としては②の方が優勢でしょう。似たような表現として「議を経て」、「議に基づき」、「議により」がありますが、この順番で拘束力が強くなります。

例えば「教授会の議を経て学長が決定する」という規則の場合、教授会で議論することが必要なだけで、教授会の決議よりも学長の判断が優先されます。

【参照】学校教育法及び国立大学法人法等の改正に関するQ&A:文部科学省

神社本庁の特質を考慮した条文解釈

ただし、今までどういう風に総長を決定していたか(過去の実績や慣習)、庁規の他の条文との整合性を見ながら総合的に判断しなければ結論は出ません。

特に総長の補佐を得て統理の全ての行為がなされるという条文から、統理の指名は形式的なもので実質的な総長の決定権は役員会にあるという解釈が導き出される可能性もあります。こればかりは裁判が確定しないとわかりませんが、法律学的にも興味深い判例になると思います。

花菖蒲ノ会の結成

執行部の混乱に対し、統理の指名に基づいた総長をもとに健全な神社本庁を進めるべきと主張する団体ができました。「花菖蒲ノ会」です。同団体の主張(会報)は自浄.jpに掲載されています。

 

種々の言説に対する批判

花菖蒲ノ会の運動そのものは否定しません。むしろ新しい代表のもと神社本庁のイメージ向上に努めた方が神社にとって有益と考えます。しかしながら花菖蒲の会の主張の論理には首を傾げざる点が多々あります。今は小さな論理の穴が将来、大きな問題となるといけないので指摘しておきます。

宮司と統理は別

現在の統理は伊勢神宮の大宮司を経て統理に選任されました。そのため花菖蒲の会では「統理様は御聴許を受けて大神宮にご就任になられてをります。「おほみこころ」のまにまに神宮祭祀をおつとめになられました。統理様を仰ぐといふことは、この「おほみこころ」を仰ぐことに他なりません」(花菖蒲ノ会会報第3号)と述べています。

この文章は尊皇の観点から見て問題のある表現だと言わざるを得ません。

まず天皇陛下の御聴許を得たのは大宮司の任のみであって、統理の任までは御聴許を得ていません。統理を選任したのは神社本庁評議員会です。そのため統理の任まで「おほみごころ」によるものであるかのように表現するのは論理の飛躍です。

何より天皇陛下以外の人物を「おほみごころ」そのものであるかのように称するのは「一君万民」から逸脱する畏れ多いことです。

神道にとって多数決は無意味なのか?

「神社や神道の根本理念にとって多数決はそもそも無意味です」(会報3号)という主張は、神社における宮座などの歴史から考えて間違いです。

歴代天皇のご事績を見ればよく群臣の進言や諫言を受け入れられたのであり、日本の皇室はヨーロッパに見られるような絶対的な専制君主ではありませんでした。五箇条の御誓文にも「万機公論に決すべし」とあります。

多数決が無意味なら統理を支持する花菖蒲ノ会の会員が増えることも無意味という理屈になります。

戦前、天皇が総理大臣候補者に組閣を命じる「大命降下」がありましたが、それですら元老や重臣の推挙を経ていたという点を踏まえて考えるべきでしょう。

職舎売却における背任と人事は別問題

花菖蒲の会は田中氏が総長になるべきではないという理由に、神社本庁の職舎売却での「背任的取引」(会報5号)を掲げています。

この問題が報道されてから数年が経ちますが、背任を裏付ける決定的な証拠は出ておりません。そのような状況で「背任行為があったから総長を引くべき」という雰囲気を作ってしまうと田中氏も引くに引けなくなります。

背任行為の認定は司法がすることであって、総長人事で決することではありません。

これらをごちゃまぜにするから、事態がややこしくなるのであり、わけて考える必要があります。

評議員会にて規則変更を

全く解決案を示さないのは卑怯だといわれますので、私なりの解決方法を提示します。

そもそも解釈でもめるような規則はよくありませんので、総長未定のまま次の評議員会で「議を経て」を「議決に基づき」に規則変更してはどうでしょうか。

理事の多数決なら田中氏の留任する見込みが高いと知りながら評議員が「議決に基づき」を承認するのであれば、それは田中氏を評議員が認めたということになりますし、否決するのであれば評議員は田中氏の留任を拒否したということになります。

統理も理事も評議員会で選出されるものですから、評議員会の議決を否定することはできないはずです。

裁判結果が確定するまで時間を要しますし、裁判という方法ではなく、本庁という教団内部の問題を内部で解決できなければ自浄能力がないと社会から見なされることになります。

 

本稿が問題理解の一助になれば幸いです。