神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

過去の統理による総長指名はどうだったのか

神社本庁統理による総長指名は形式的なものか?

神社本庁の役員改選にあたり、理事の多数が推挙する人物と統理の指名する人物がわかれたことにより、どっちが総長になるのかで紛糾し、総長不在の状態が続いています。

神社本庁庁規12条2文には「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」とある。そのため「議を経て」が

  ①役員会の決議に基づき形式的に統理が指名する

  ②役員会の協議に関係なく、統理の指名が優先される

のどっちの意味であるのかで裁判になっています。

 

役員会の協議結果に関係なく統理指名で総長が選任されていたとする説

『花菖蒲ノ會』会報第6号|自浄.jp

では『神社本庁の四十年』に掲載された金子安平氏が副総長に指名された時の回想「昭和四十九年五月二十五日、新館三階に於て新役員会が開かれたその席上、佐々木統理様から「総長に篠田康雄・副総長に金子安平」と指名された」を引用し、「これが神社本庁の伝統的な統理による総長の指名の形なのです」と結論付ける。

確かに役員会の議に関係なく、統理の指名があったと金子氏は回想していますが、他の総長の時にどうしていたかを確認しないと結論は出せません。

 

他の総長選任の記録を確認

神社本庁の総長を選ぶ役員会の議事録は公開されていませんので、どのように決めていたのかは外部の私にはわかりません。

しかし、神社の業界紙である「神社新報」の記事に過去の総長の選任方法を確認する手がかりがありました。

ケース①櫻井勝之進総長

役員会では初めに、十一日に帰幽した黒神総長に対して黙祷を行ったあと、徳川宗敬神社本庁統理を座長に議事が進められ、前例を踏まへてまづ、神社本庁理事代務者には東京都神社庁長猿渡盛文氏が選任された。また、新総長には副総長の桜井勝之進氏、新副総長には理事の白井永二氏が、それぞれ徳川統理より指名された。

(「神社新報」昭和62年5月25日1面)

【筆者註】在任中に逝去した黒神直久総長の残任期間の総長を決める会議だった点は留意する必要がありますし、書かれていないだけで誰を総長にするか議論もあったかもしれませんが、記事からは統理により指名されたことしか確認できません。

ケース②林栄治事務総長

神社本庁では九月二十八日理事会を開き、古屋事務総長の辞任に伴ふ補欠理事、及び事務総長の後任者選任の会議を開いた結果、先づ理事代務者として伊達巽氏を選び、ついで事務総長に林栄治氏を、事務副総長に阿部信氏を選び、それぞれ佐佐木統理から指名された。

(「神社新報」昭和41年10月8日1面)

【筆者註】神社本庁「総長」は昭和51年からの名称でそれ以前は「事務総長」でした。ここでは事務総長と事務副総長を「事務総長選任の会議」で「選び」、それぞれ統理から指名されたと記されています。

かねて病気療養中の神社本庁事務総長古屋新氏は、このほど佐佐木統理に対して事務総長ならびに本庁理事の辞表を提出。佐佐木統理は九月二十二日緊急理事会を招集して協議した結果、この辞表を受理することとなった。後任者については、次回九月二十八日の理事会で理事代務者を選任の上、改めて総長選衡の理事会を開く予定である。(九月二十四日記)

(「神社新報」昭和41年10月1日1面)

【筆者註】「総長選衡の理事会」という表現が気になります。

ケース③富岡盛彦事務総長

改選後初の役員会が廿七日午後一時からひらかれ、事務総長に富岡盛彦氏、副総長に竹島栄雄氏を推すこととし、互選の結果、常務理事に古屋新、篠田康雄の両氏を決定、また次回役員会を十九日に開くことに決めて二時半散会した。なほ、総代側理事には全国総代会副会長中野種一郎、出光佐三の両氏が推され、監事には大村直氏が会長より指名された。

(「神社新報」昭和34年6月6日2面)

【筆者註】役員会で「推す」という表現を用いています。

ケース④平田貫一事務総長

旧臘十二月九日吉田茂氏の逝去以来空席となってゐる神社本庁事務総長後任問題については去る十九日の同庁顧問会において顧問の意見をきくとともに廿一日の役員会において協議された結果事務総長の後任には近江神宮々司平田貫一氏、常務理事の補充として塩釜神社宮司河合繁樹氏が内定され、また責任役員の代務者には国学院大学理事田中喜芳氏が就任した。

 (「神社新報」昭和30年1月31日 1面)

【筆者註】役員会での協議が終了し、指名される前に「内定」という表現を用いています。

ケース⑤長谷外余男事務総長

理事会ではなほ今後も宮川総長の留任でやつてもらひたいとの要請の意見であつたが、宮川氏の勇退希望の意志切なるものあり、結局後任の選出は統理総長一任と云ふことになつた。

(「神社新報」昭和23年3月22日 1面)

【筆者註】理事会が実質的決定権を持っているのでなければ「統理総長一任」という表現は使わないですね。

歴史的に見ていくと

創設から昭和40年までの記録を見ると、「理事会で推挙される=内定」と認識されていたことが確認できます。

少なくとも、金子氏が述懐するような、いきなり統理から指名されるのは特殊なケースだったと言わざるを得ません。

 

事務総長と総長では選任方法が違うのか

事務総長から総長への名称変更に伴い、神社本庁の代表役員が統理から総長に変更されていますが、選任方法に関する規程は『花菖蒲ノ會』会報第6号|自浄.jpで指摘されているように同じです。

ちなみに代表役員だと裁判の当事者になりますので、統理を訴訟問題に巻き込まないようにするのがこの規則変更の目的です。

 

総長選任は選挙である

金子氏の事例は本当にイレギュラーだったのでしょうか?

金子氏が副総長に指名された時期の論説におもしろい記述があります。

論説から見えてくる役員選挙

だが、わづかな評議員会期中に新らしい顔ぶれもまじへた評議員会で、ただちに選挙といふわけには行かない。そこで従来から、各地区において予備的な話合ひがおこなはれてゐる。理事は全国区四名と各地区一名づつだが、慣例によれば、評議員会期中に設けられる選考委員会で候補者が選考され、その話合ひにもとづいて評議員会で選任されるのである。

すでに本年も各地区において庁長会あるいは地区評議員会などがもたれて、地区の人事構想がまとめられつつあるやうである。何といっても本庁行政の中枢であるだけに、事務総長、副総長、常務理事などに誰を推すかに関心が寄せられてゐるやうである。そこでこの機会に本庁、神社庁など神社界の役員選任と、その基礎と考へられてゐる選挙制度といったものを検討してみたい。

(「神社新報」昭和49年5月13日論説)

水面下での事前交渉が盛んに行われる極めて政治的なものだということがよくわかります。

金子氏の述懐の時代背景

神社本庁の四十年』は金子氏のプライベートな日記ではなく、神社本庁の関係者に配布することを前提とした冊子に寄稿したものであり、評議員会前に水面下で事前交渉が盛んに行われていたということを念頭において読む必要があるでしょう。

まとめ

史料を見る限り、少なくとも林栄治事務総長までは「総長は理事会の推挙に基づき統理が指名する」のが神社本庁の伝統的な事務総長選任方法だったといえるでしょう。

最終的に統理の指名によって確定することは明らかですが、同時に理事会における「総長に相応しいのは〇〇だ」という推挙も「内定」と評されるほど尊重されていたことも歴史的事実です。

【参照文献】

神社本庁調査部(1987).『神社本庁の四十年ー若木職舎に寄せて』.