神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

一君万民という尊皇の基本

その表現おかしくないですか?

花菖蒲ノ會やその支持者のネット投稿を見ると

  • 統理に臣下が異見するとはなにごとだ
  • 統理の指示に承詔必謹せよ

などの言説を見かけます。これらは尊皇の基本である一君万民から明らかに反しています。そこで今回は尊皇の基本である一君万民について説明します。

統理も臣民である

一君万民は難しい理論ではありません。

文字通り、天皇陛下はただお一人という意味です。

ということは皇族以外はすべて「臣」です。

皇族と縁戚関係にあり、人格識見に優れていても臣は臣です。君ではありません。

摂関家征夷大将軍も臣です。庶民よりも君の近くでお仕えし、徳や権力をもっていても臣です。

したがって統理は臣です。臣の筆頭格として君(皇族)を支えてきたお家柄ではありますが、君ではありません。だから「統理に臣下が異見をするのは恐れ多い」という論理破綻した投稿を見ると「統理も臣なんやけど」とツッコミたくなります。

摂関家に対し異見するのは恐れ多い」であれば、まだ論理破綻していませんが、家柄で是非を決するのは万機公論の精神に反しています。

天皇陛下にのみ許された表現

天皇陛下のみに使用が許された言葉があります。「行幸」「大御心」「詔勅」など。

これらの表現を天皇陛下以外に使用するのは君臣の分別がついていない不適切な表現です。

「統理の指示に承詔必謹せよ」は天皇陛下以外の指示を「詔」と表現しているのですから不適切です。

比喩だとしても、尊皇を鼓吹すべき神道人が用いるべきではないでしょう。

尊敬のあまり

神宮大宮司をおつとめになられた統理に神社関係者が敬慕の念を抱くのは当然のことと理解できますが、それでも君であるかのように論じ、あるいは天皇陛下のみに許される表現を使用するのは「君臣の別」の観点から推奨されることではありません。