神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

地元とトラブった神主は悪か?

記録に残しにくいテーマ

他所から来た神主が地元住民とトラブルになるということは今も昔もあります。

「今まで問題なくやってきたのに、他所から来た神主がひっかきまわして困る」と地元住民が証言している場合、その主張を鵜呑みにしていいのでしょうか?

今回はこのテーマについて戦前の事例を挙げながら切り込んでみたいと思います。ただ戦前だと言っても子孫は同じ地域に生きていますので固有名詞は伏せます。

社殿修造のために派遣される

昭和10年代の話、とある地方に由緒も氏子数もあり、また近くに神主常駐の神社がないことから祈祷も多い神社がありました。

この神社が修造をすることになったので、別の神社で社殿建て直しの実績のあったベテラン神職が派遣されることになりました。仮にA神主としましょう。

このように解決すべき問題がある神社に実務能力の高い神職を派遣するというケースはよくありました。適材適所の合理的判断ともいえますが、派遣される神職にとっては役所の都合で転任させられるのでたまったものではないという負の面もありました。それにより有能な社家が代々奉仕する神社から転任させられて帰れないという事例も生じました。

さて、赴任したA神主は、まずは積立金の状況を確認しようとしますが、総代人(今でいう総代、戦前は総代人という名称だった)は「前任者からは見せろと言われたことがない」と拒否します。

前任の神職経理にはノータッチだったのです。当時は法律的に神職経理上の権限が明確化されておらず、総代人だけで帳簿や現任を管理している事例が多数存在していたこと、神社本庁によって宮司(代表役員)の経理上の権限が明確化されたことは河村忠伸氏が考証しています。

規則上、宮司が代表役員と定められたことで経理上の権限と責任が明確化されたのは事実です。しかし、フィールドワークをすると、戦後も総代が実質的なオーナーで、宮司は言われるままに決算書類に判子を押す雇われ宮司は存在しました。

ベテラン神職の処世術

普通なら「私には経理を把握する義務がある」と総代人と喧嘩になるところですが、A神主はさすがにベテランなだけあって「すべて今まで通りにしますので諸事お願いします」と総代人の主張をすべて認めて様子を見ることにしました。

1年間かけて次のような経営実態がわかりました。

  • 境内の一部を総代人が田畑として使用している
  • 総代人に高額な手当が支出されている
  • 日用品などは総代人やその親類の商店から通常価格より高額で購入している
  • 買い替え前の装束や備品がない
  • 樹木の無断伐採
  • 貯蓄はほとんどない

この神社は参拝者も多くて社入金もそれなりにありましたが、総代人によって私物化されて放漫な経営が続いたことにより全く貯金がないという状態だったのです。

A神主の改革と抵抗

A神主はこのままでは社殿の修理もできないばかりか、神社の維持基盤が崩壊すると考えて改革に乗り出します。

総代人が無断使用している土地の返還、総代人と家族の手当は日当で計算する、物品購入は正規料金に変更する、樹木の伐採は法令に基づき実施する、修造に向けて積み立てをする。

総代を集めて、このままでは修理ができないことを説明し、当たり前の経営に戻すことを宣言しました。

この改革で既得権益を失う総代人や地元関係者は「今まで問題なかったのによそ者がひっかきまわす」と猛反発します。その動きは激しくなり、A家族に対する村八分にも似た嫌がらせが行われるようになりました。神主Aを罷免しろとでっち上げの悪事を書き連ねた怪文書がばらまかれたり、屈強な若者が神主Aの社宅(社務所)に乗り込んでAの妻に怒鳴り散らすということもありました。

戦前の神社は公法人なので自治体に助けを求めようにも、自治体の職員は地元出身者ばかりで総代人の味方でした。

中央からの支援

神主Aは地元の氏子から悪人扱いをされた訳です。普通の神職であれば、ここで屈していましたがAは老巧でした。彼は1年の間に不正会計の証拠をつかみ、それを内務省神社局や影響力のある神主へ報告していました。そうした中央からの支援を受けて改革は断行されました。

その改革の目途がついた段階でAは別の神社に転任を命じられます。このように有能だったが故にたらいまわしにされた神道人もいたのです。

「地元=善」なのか?

たしかに外部から来た人間がその地域の良い慣習を破壊するということはあります。しかし、外部から来た人間がその地域の悪い慣習を破壊して是正するというケースもあります。したがって地元と外部から来た人間がトラブルになったときによそ者が100%悪いというのは偏見でしかありません。だから、どっちに非があるのかはケース・バイ・ケースで調べてみないとわからない。一方の主張だけを鵜呑みにするのは危険です。

裁判官のように双方の意見を聞いて、証拠を見ないと是非は判断できません。

また「神社制度調査会」の議事録には、神職子弟に「親父の跡を継ぎたいなら飲み屋で接待しろ」と要求するような横暴な総代人も相当数いたという証言が残っています。そのため氏子や総代と神職がトラブったら神職が悪いというのも偏見でしかありません。

 

【参照文献】

河村忠伸(2020).「近代神社法制度と神社本庁」.國學院大學研究開発推進センター編『近代の神社と社会』.弘文堂.