神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

神社連盟から総長指名を考える

神社連盟と神社教

神社本庁を創設する前に組織の形態として「神社連盟」案と「神社教」案がありました。神社関係者の間で激しい議論になりましたが、神社連盟案を吉田茂と宮川宗徳が支持したことから両案を折衷して「財団法人全国神社連盟を設立する」(『神社本庁史稿』25p)という方向で進みました。

その後に宗教法人令が公布されたことから財団法人ではなく宗教法人として神社本庁が創設されることになりました。

このように神社本庁のベースは「神社連盟」案です。

さて花菖蒲ノ會が主張するような統理に総長指名の権限があるという考え方は本来の神社本庁の組織形態、つまり神社連盟に則した考え方なのでしょうか?

今回はその点について考えていきたいと思います。

神社連盟案と神社教案

まず両案の特徴を見ていきましょう。

神社連盟

記述の如く今後の神社の在り方について最初に提案したのは、葦津氏であった。神社連盟の構想であり、その組織は ①各神社は相集うて各府県毎に各府県神社連盟を組織し、各神社崇敬者より選出せられた会長以下の役員を置く ②各府県神社連盟より代表を選出して中央連盟評議会を構成し、評議会において会長を選任する。 中央評議会は連盟の最高決議機関とする ③総会に於て特別委員を選出して常時重要問題の処理を委任する ④会長はその任期中連盟を主宰し、中央本部の人事機構、日常事務一切は会長の権限に一任せられる ⑤会長の上に総裁を推戴し、一定資格の神社には特に総裁より神饌幣帛供進使を差遣する ⑥首席神職の任免は、崇敬者の選挙によって決定することを原則とし、中央連盟又は府県連盟会長の承認を求める。その他の一般神職の任免は、原則的には首席神職の権限とする、以上の如き構想であった。

神社教

仏基両教等の宗派と同様な宗教団体を志向するものであり、①教義を定め ②選挙に基づく管長が、教義の正否を裁決し、別格社以上の宮司の進退を決する ③各府県に支部を置き、支部長は協議員の選出したものを管長が命ずる、等のほか、管長の権限が極めて強いものであった。

【出典】神社本庁総合研究所(2022).『神社本庁史稿』.神社新報社,pp.24.

神社連盟会長の選出方法

当初案(葦津珍彦の神社連盟構想)には統理や事務総長という役職はありませんでした。

議論を進めていく過程で役職名や職掌が変化していって最終的に統理と総長という役職が生まれた訳です。

そこで神社連盟案と神社本庁庁規を比較しますと、日常事務の一切を取り仕切るという点が共通する「会長」と「総長」は名前は違いますが同じ役職と見てよいでしょう。

神社連盟会長の選出方法は各府県代表による選挙であり、上位者の総裁から指名されるものではありません。このことは葦津珍彦の案にも「連盟ノ会長ハ全ク下カラノ選出ニヨリテ決セラレル」と明記してあります。

【出典】神社新報政教研究室(1988).『近代神社神道史』.神社新報社,pp.239.

その上で現在の総長選出を見ていきますと「評議員会で理事を選出→理事の互選→統理による形式的指名」は選挙の回数が1回多いですが、「下カラノ選出」になっています。

これに対し花菖蒲ノ會が主張する統理による総長指名は上から下です。神社連盟案とは真逆です。

神社教案について詳細な組織構想を示す史料を見たことがありませんが、管長のトップダウン的な組織であることがうかがえますので、花菖蒲ノ會の主張する「上からの指名」は神社連盟よりも神社教に近いものと言えるでしょう。

少なくとも上からの指名は葦津の案に則った考え方ではありません。

一切の責任を負わないとは

設立当初の神社本庁は神宮大宮司を統理に招きたくともできませんでした。

このことは同時に神社本庁統理に神宮大宮司に推戴したいといふ願望にもなったが、これについては、勅裁を得て就任する神宮大宮司を軽々に一民間団体の代表者(統理)に推すわけにはゆかぬとする宮内省の考へ方から実現をみなかった。宮内省当局では、将来どうなるかも分らぬとして神社本庁といふ新団体を信頼し得なかったといふのが実情だったらう。

【出典】『神社本庁史稿』26p

神宮大宮司経験者にご就任いただけるような団体に神社本庁がなったことは神社本庁関係者にとって喜ばしいことでしょう。それゆえに「統理」が裁判の被告や責任追及の対象にならないように万全を期さねばなりません。

統理が一切の責任を負わないためには、一切の権限を持たないことが求められます。なぜならば責任と権限は一体のものだからです。企業でもCEOを「最高経営責任者」と訳し、「最高経営権限者」とは訳しません。強い権限はあるが責任を負わないという役職は一般的にありえないのです。

このように考えますと、統理に指名権がないとした裁判所の判断は法理として妥当なものですし、神社本庁の成り立ちから考えても妥当です。

なにより統理の人事権が形式的なものであることは『神社本庁史稿』に書いてあります。

統理の権限も形式的人事権は持つものの各神社の主体性を認めるものであったし、勿論管長の如き教義の決裁権は持たぬものであった

【出典】『神社本庁史稿』26p

指名権がないのは問題ですか?

統理に総長の指名権がないと判断した判決を受けて、統理より総長を上位とするのかと憤る意見もネットで見られました。

果たしてそうでしょうか?

天台宗のトップは天台座主です。しかし、代表役員は天台座主ではなく、宗務総長です。宗務総長は選挙で撰ばれ、天台座主が指名する訳ではありません。

つまり天台座主神社本庁統理と同様に代表役員を指名する権限はありませんが、天台宗で最も尊貴な方、宗務総長より上位であることは万人が認めています。

したがって指名権がないからといって統理より総長が偉いという理屈にはなりません。

まとめ

神社本庁は原点に立ち返れ」と言いつつ「総長の指名権は統理にある」と主張するのは矛盾しています。

統理によるトップダウン式の改革を進めたいのであれば、「神社教にしていこう」を看板にすべきでしょう。