折口信夫の神職批判
民俗学者の折口信夫は神職を養成する國學院大學の教授であるため、基本的に神職の理解者であり協力者でしたが、神職の仲間ではありませんでした。どこか学者として一線を画し、冷静な目で神職を見ていたところがあります。
その点が決定的に示されたのが「神道の史的価値」という随筆です。この随筆を一言で評すると「神職の不勉強を痛烈に批判したもの」です。
【概略】
江戸時代の神職は一郷の精神的指導者だった。しかし、明治20年代以降の氏子が神職に求めたのは指導者ではなく、氏子の言う通りに神社を管理する「宮守」だった。そのため今(大正時代)の神職は神道に関する専門知識に乏しく、事務能力や処世術にばかり長じているので、「これは神社として正しいのか」を判断することができない。神職は世間通になるよりも神道をきちんと学ぶべきだ。
【参考文献】
折口信夫(1922).「神道の史的価値」.『皇国』第279号
折口のすごいところ
この随筆のすごいところは『皇国』という全国神職会の会報に寄稿したということです。内容は手厳しい批判ですが、神職に対する親愛の情は文章全体から伝わってきます。神職を友と思うからこそ、厳しい忠告もする。そういう折口の神職に対するスタンスがよく表れている一篇でしょう。
そして、そんな自分たちに対する痛烈な批判を掲載した全国神職会も度量がありました。
折口の批判は現代にも通じる
残念なことに折口信夫の忠告は忘れ去られてしまっています。
いま各地で行われる神職(特に若い世代が主催の場合)の研修を見ると、実業家の成功談、マーケティング、政治など神道以外のテーマが多い。
どの神職も「神社を守っていく」という問題意識で研修を開催・参加しています。
しかし、「神社の維持が難しくなっているのは、「いまの社会制度や社会風潮が日本の伝統を大切にしていないのが悪い」と思っているから政治がテーマになり、「成功している企業のように優れた経営理論や宣伝戦略を導入すれば神社が賑わう」と思うから実業家を講師に招く。
折口が今の神職を見たら、「神職は経営者である前に奉仕者であり、思想家である。神社を発展させたいのであれば、まず神職が神道の専門的知識を身につけなさい」と一刀両断するでしょう。
このように述べれば、「神道について真剣に勉強し、だからこそ神職資格を授与されたんだ」と反論が来るでしょうが、大学の4年間で学び尽くせるほど神道は浅いものではありませんし、神道に関する研究論文は毎年発表されていて、神道学は常に進歩しています。
例えば最新医療の勉強会に熱心に参加している医師と、医学よりも経営戦略に熱心な医師のどちらに手術してほしいかと思うでしょうか?
参拝者だって神道のプロに祈祷してもらいたいはずです。
神職が神道学を疎かにすることは、医者が医学を疎かにするようなもので、神道学に力を入れずに神社が発展するはずがありません。
折口の苦言は当時の実情に対して述べたものですが、現代の神職にも通用する不易な内容です。