神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

上げ馬神事という文化

へライザー総統の批判

YouTuberの「へライザー総統」氏が三重県の多度大社の上げ馬神事に対し批判的な動画を発信していますが、いくつか誤認がみられるので、その点を指摘したいと思います。

上げ馬神事 に 批判殺到 !上げ馬 反対 多度大社【メルズーガ Twitter炎上 上げ馬反対の声】 - YouTube

まず氏は本物の猫を投げていた「イーペルの猫祭り」がぬいぐるみに替えたことを見習うべきと主張しますが、猫を投げる儀式がぬいぐるみに変わったのではなく、1817年まで生きた猫を投げる習俗があった町で1938年にぬいぐるみの猫を投げるイベントがはじめられたというのが正しいです。

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つまり生きた猫を投げる習俗(猫の水曜日)は元ネタであり、いま行われている「イーペルの猫祭り」とは連続していません。

加えて、その元ネタである猫の水曜日は教会の主導する宗教儀礼ではなく、「おまじない」的な習俗です。これに対し、上げ馬神事は信仰集団による宗教儀礼です。

宗教や信仰の度合いの異なる、猫祭りと上げ馬神事を比較することは、節分の恵方巻きと葬式を比較するようなものです。

無神論は自由だが

また「へライザー総統」氏は神を信じるのは馬鹿であり、賢い人間が導いてやらねばならないと主張しています。

神を信じないのも自由ですし、それを表現するのも自由です。しかし神を信じるのも自由です。自分以外の人が神を信じていても、信じていなくてもどうでもいいじゃないですか?

人類史をふりかえれば「未開で野蛮な部族を啓蒙する」という大義名分で植民地化や文化破壊は行われましたし、無理に信仰させようとして宗教戦争も行われました。

自分は賢く、愚かな人々を導いてやらねばならないという考え方は不幸な結果に終わることが多いです。

廃止論ではない

さて「へライザー総統」氏以外のネット上の意見として、「昔は馬をひいて町内を練り歩くものだったのに最近になって坂を登るものになった」という意見も散見されますが、江戸時代後期には坂を登る形態だったことは史料により確認されています。

上げ馬神事に対する批判について歴史的にみていくと、その主流は廃止論ではなく、リスク軽減論でした。つまり「こんな祭りやめろ」ではなく、「安全な形にしようよ」という提案です。

独語5 馬① 上げ馬神事(長文御免) | 青木犬猫病院 AOKI PET'S CLINIC

ちなみに馬術の障害は高さ160㎝で、上げ馬神事の壁は約200㎝です。しかも上げ馬神事は平地ではなく、坂を登った上に壁があるから難易度が高い。だから現代の馬術の安全基準に合わせて難易度を下げるという提案は一理あります。

有志による「こうすれば馬と騎手にリスクのない形で上げ馬神事ができるよ」という地道な説得が続けられているのですから、それを見守るのが一番でしょう。

「こうすれば安全にできるよ」と「でもこの形でずっとやってきたのだし」で話し合いしているときに、横から「やめてしまえ」と廃止論を叫ぶのは地元住民の態度を硬直化させ、地道な説得を無にするだけでしょう。

先祖から受け継いできたもの

もともと神社は各氏族が祀っていました。だから「氏神」や「氏子」といいます。もともとは血縁による一族だったのが、他の一族と共同でムラを形成するようになり、地縁と信仰で結びついた集団になっていきました。そのため氏子集団とはその地域に住み、その地域の神社を信仰し、文化を共有する人々だということができます。

そのような文化の異なるたくさんの集団が日本各地あり、天皇陛下のもと日本人として統合されているというのが神道的な日本人観だといえるでしょう。

多度大社の氏子集団にもその土地で育まれた文化を持っており、それの代表が上げ馬神事です。難易度の高い坂と壁も多度の人々が長い年月の中で培ってきた大切な文化なのです。

上げ馬神事の起源は武家の奉納にあります。従って、上げ馬神事の難易度の高い坂は「この坂を登れるくらい馬術を修練せよ」という先祖の遺志なのであり、そうした先祖の遺志や受け継いできた地域の文化を「伝統」として守ろうとする地元住民の心情を思いやることなく、「野蛮だ」と改変や廃止を迫るのは信仰文化への侵略行為です。

多度の馬術文化

上げ馬神事は多度の地に優れた馬術があったことの証拠です。

武士たちは「あの坂を登れるくらい馬術を修練し、馬を大事に養おう」と考えていたことでしょう。ここで大事なのは上げ馬神事の本質は、馬術を磨きそれを神に奉納することだということです。

しかし、現状は馬術の訓練は少なく、登ることだけを考えてしまっている。だから馬を無理に興奮させて登らせるような事件も発生してしまっています。

いまの形での上げ馬神事を継続するのであれば、武士のように馬術を磨き、馬を養うことを地域を挙げて取り組むべきでしょう。それが難しいのであれば、難易度を下げる検討をした方がよいでしょう。

ただし、難易度を下げるにしても、現状の坂は多度の優れた馬術文化の史跡として保存し、新しく難易度の低い坂をつくる方がよいと思います。

上から目線で「野蛮だからやめろ」という批判が散見されますが、そうではなく「上げ馬神事を今後も伝えるために安全対策を再考しませんか」と寄り添い話し合うことが多様性のある平和な社会にとって大事なのではないでしょうか。