神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

役員会の議決が実質的に

国語のテスト

突然ですが国語の問題です。

括弧内の文章を読んで質問に答えなさい。

「太郎君は果物屋さんでリンゴを買いました。太郎君がお店に着いたときリンゴは残り1個でした。太郎君が帰った10分後に次郎君が果物屋さんに着きました。」

次郎君はその果物屋さんでリンゴを買うことができたでしょうか?

括弧内の文章に「次郎君はリンゴを買えなかった」とは書かれていません。しかしながら太郎君が残り1個のリンゴを買ってしまったので、次郎君が到着したときに、その果物屋さんのリンゴは売り切れになってしまっています。そのため次郎君はその果物屋さんでリンゴを買うことができません。

このように「次郎君は買うことができなかった」と直接的に書いていなくても、常識的な推理力があれば、その状況を容易に推測することはできます。そして「直接的に書かなくても(言わなくても)相手に伝わるだろう」と省略することは日常的に行われます。

例えば次郎君が帰宅して「リンゴは売り切れていた」と理由を伝えるだけで、親は「買えなかった」という結果まで理解することができます。「売り切れていたのはわかった。それで買えたの?」と聞く親はいません。

判決に書いてないけど・・・

なぜこんな話をしたかといいますと、以下のような質問をいただいたからです。

東京地裁・東京高裁の判決を読みましたが、「統理に拒否権はない」とか」「統理の指名は形式的」とは書かれていません。したがって神道博士の主張は判決の拡大解釈です。

この主張のロジックは、最初の国語の問題で「括弧内の文章で次郎君はリンゴを買うことができなかったと書かれていないからリンゴを買うことができた」と言い張るのと同じです。

直接的に書いていなくても、判決のなかに「役員会で議決された人物を統理は指名拒否できない」、「統理の指名は形式的なもの」とわかるようになっています。

それが東京地方裁判所の判決の以下の箇所です。

本件条項は、総長の選任に関し、統理による総長の指名という行為が必要であることを定めつつ、統理による当該指名について責任を負う役員会が総長を実質的に決定することを予定しており、その決定のための手続として、会議体である役員会の議決を経ることを予定している(すなわち、役員会の議決に基づいて統理が指名することが総長選任の効力発生要件となる旨を定めている)と解するのが相当である

実質的の対義語は?

まず判決の「役員会が総長を実質的に決定する」から「統理の指名は形式的なものである」ということがわかります。

今回の議論の争点は役員会の議決と統理の指名が不一致の場合に、どちらが総長を選任で優先されるかです。言い換えれば、「役員会の議決VS統理の指名」で、どちらが実質的に総長を決めるのかという議論です。

「実質的」の対義語は「形式的」ですから、「役員会の議決VS統理の指名」で勝った方が「実質的」、負けた方が「形式的」となります。そして裁判所は役員会の議決が実質的に総長を決めると判断しました。そのため統理の指名は形式的なものということになります。

拒否権もない

法律とか契約書とかはたった一字で大きく意味がかわり、それが大きな影響を及ぼします。そのため法律のプロで、文系で最高難易度の試験を突破した頭脳を持つ裁判官が、何の考えもなしに飾りで「実質的」の三文字を加えることはありません。

だから、もし役員会の議決を統理が拒否できるのであれば、言葉の選択に慎重な裁判官が「役員会が総長を実質的に決定する」とか「役員会の議決に基づいて統理が指名する」といった統理の指名が形式的なものにすぎないことを暗示する表現を用いるはずがないんですよ。

「役員会の議決に基づいて統理が指名する」を同じ東京地裁の判決文の

以上のような現行庁規の各規定の内容及びその解釈からすれば、本件条項については、統理の「指名」という行為についても、現行庁規 40条5項に基づき役員会が責任を負うことになる以上、その前提として、当該行為が実質的には役員会の判断で行われることを予定していると解される

という箇所と合わせて読めば、「指名」という行為に統理の個人的意見を主張する余地はないことは明らかです。指名という行為は実質的に役員会の判断で行われるとはっきり書かれているわけですから。

拡大解釈は

判決に「拒否権はある」という文言はない訳ですから、書かれていないことを主張するのが拡大解釈なら拒否権があると主張することも拡大解釈ということになりますね。

拒否権がないことは問題ですか?

衆議院を解散することは天皇の国事行為の一つですが、衆議院解散の実質的権限は内閣にあります。国事行為は内閣の助言と承認のもとに行われますから、内閣が決定した解散を天皇陛下が拒否することはできません。

天皇陛下に拒否権はありませんし、解散を実質的に決定するのは内閣で、天皇陛下による衆議院解散は形式的なものです。

統理のすべての行為は総長の補佐を必要とすると定められていますからよく似ていますね。決定権も拒否権もないけど、形式的にその方が行わないと人々が納得できない。それが本当の権威だと私は思いますがね。拒否権がないと統理の権威を損なうなんてことはありません。