神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

ある社家の教育

先日、知り合いの宮司から食事に誘われました。大学を卒業し、大きな神社で5年間修行して地元に帰ってきた息子さんを紹介されました。3人で食事をしているときに、会話が途切れそうになったので、私から「由緒ある社家の家に生まれて重圧を感じることもあったのではないですか?」と質問を投げかけました。

私は「家を継ぐのは大変ですが頑張ります」と言った回答を予想していたのですが、息子さんは「〇〇家の名前の御蔭で禰宜にもなれましたし、得したことの方が多かったですよ」とあっけらかんと答えました。この回答の詳細を私が尋ねる前に、宮司が「どういう意味だ?」と問いただしました。すると以下のようなことがわかりました。

息子さんは修行先の神社を退職する1か月前に権禰宜から禰宜に昇進させてもらったが、そのときに修行先の宮司から「うちで修行した神職は退職する前に餞別として昇進させる慣習がある。しかし、あまりに短期間であったり、奉仕の姿勢が褒められたものではない者は昇進させずに帰らせることもある。正直なところ私は君を禰宜にしたくはないのだが、お世話になっている〇〇家への礼儀として禰宜にする。その点を理解して実家で頑張りなさい」と言われたそうです。

短期間だけ昇進させるという慣習は、多くの神社で行われているものです。長年奉職して定年退職する神職に対し、最終経歴を禰宜とすることで年功に敬意を表する。修行に出した親にしてみれば、大きな神社で禰宜の肩書で地元に帰してもらえば、地元の氏子総代に対して「跡取りがちゃんと修行して帰ってきました」と胸を張って報告できる。退職者に花を持たせるやさしさからできた慣例であり、退職者が出たときのためにわざわざ禰宜の空席を1つ残しておく神社もあるそうです。

事情を聴いて父親はびっくりしていました。修行先で他の人々と同様に認めてもらって帰ってきたと思っていたからです。そして「同じ禰宜でも実力でなるのと、お情けでなるのでは全く違う。お前は〇〇神社(修行先)の人々からあいつはお情けで禰宜にしてもらったやつだと一生言われ続けることになるだろう。〇〇神社で禰宜にしてもらって本当にうれしかったが、家の名を犠牲にして禰宜にしてもらってもお父さんは全くうれしくない。」と涙ながらに言いました。急に泣き出した父親に驚く息子さんに対し、さらに「お前は私や先祖が築き上げてきた家名に泥を塗った。家の名を自身の保身や便宜を図ってもらうための道具にしていれば価値は下がっていく。先祖に恥ずかしいと思わないのか。お前を禰宜から出仕に降格させたいのが私の本心だ。しかし、そんなことをしたら〇〇神社(修行先)に対して失礼。だから禰宜のままにするが、明日からは社内では見習いとして扱うのでその覚悟でいなさい。また袴は白い袴とする。」と告げました。

修行先に失礼というのは、A神社の禰宜をB神社の権禰宜として任用することは「A神社よりB神社の方が格上だ」と言うイメージを第三者に与える可能性があるため、A神社に対して失礼にあたると神職は考えるようです。

その後も延々と「さすがは〇〇家と言われるように努力しろ」と説教が続き、食事の味を楽しむ雰囲気ではなくなりましたが、個人的には神社界の慣習や社家の考え方を知る上で大きく参考になった会食でした。なお後日、私がいることを忘れて激昂し不快な思いをさせて申し訳なかったと宮司より丁重なお詫びがありました。