神道研究室

在野の神道研究者が神社の問題に鋭く切り込みます

なぜ犬は境内に入ってはいけないのか

立札はあるけれど

「犬を連れて境内に入らないで下さい」という注意書きの看板や神職による口頭での注意をよく見かけます。

しかし、「なんで?」と神職に尋ねても「昔からのきまりですから」としか答えてもらえない。はっきり言ってしまうと、ほとんどの神職が「なぜ犬が入ってはいけないというきまりができたか」理由を知らないのです。ただ先輩神職から「犬を境内に入れてはいけない。それが昔からのきまりだから」というルールを教えられて、それを忠実に守っているにすぎません。

犬防ぎ

犬を境内に入れてはいけないというのは、新しいルールではありません。

1299年に伊勢神宮の外宮の神官である渡会行忠の書いた『古老口実伝』という本のなかに「犬具参事禁之」(犬をともなって参ることを禁ずる)とありますし、伊勢神宮石清水八幡宮などの神社に「犬防ぎ」という犬が境内に入って来ないようにする柵があったことが記録されています。

渡会行忠は伊勢神道の理論的指導者の一人であり、神道の歴史のなかでも影響力のあった著名な神主です。

このように犬の参拝を禁止するルールは鎌倉時代には確立していたことが確認できます。だから「昔からのきまり」という神職の説明は決して間違っている訳ではありません。

渡会行忠は犬が嫌い?

渡会行忠は「犬をともなって参拝してはいけない」とは言っていますが、それがなぜかという理由まで書いていません。このように結論だけ書いて詳しい理由は書かないというのは古文書によくあることです。

行忠は同じ書籍で「犬事不浄基、闘諍種也。更無其要者哉」とも述べています。おそらく犬が好きでなかったのでしょう。しかし、犬を忌む風習は渡会行忠だけではなく、他の神社や朝廷にも見られますから、個人的な好き嫌いで犬が参拝してはいけないルールができた訳ではないのは確かです。

鎌倉時代の犬は今の犬と違う

平安末期から鎌倉時代の犬は死体を食べたり、死体の一部を咥えて歩き回ったり、子どもを襲ったりしました。

当時はよくて土葬、埋めることなく、そのまま放置ということがなされていたので野犬が死体を食べるというのは日常茶飯事だった訳です。

死体の一部を咥えた犬が境内に入ってきて、それが原因で祭祀が中断したり、それによって祟りが発生したという事件が頻繁にあったから、渡会行忠は犬を「不浄基」としたと推測できます(森野宗明1987参照)。

現代の犬は境内に入れるか?

ここまでの話の読んで、現代日本の犬が死体を荒らすということはありませんので、「うちの犬は死体を食べないから境内に入らせろ」と主張する人もいるかもしれませんが、その神社の許可がないとダメです。

例えば「うちは日吉神社で、猿が神の使いだから犬は困る」など、犬が死体を食べる以外の理由もあるからです。

ただし、平安・鎌倉時代の犬と現代の犬では状況が違うことを踏まえて、神職側もきちんとした説明を考える必要があるとは思います。

おかげ犬はどこまで入れたのか

境内への犬の立ち入りを許可している神社であっても御殿には上がれないということもあります。「どこまで入れるか」は神社によって異なります。

江戸時代に犬が飼い主の代わりに参拝するという「おかげ犬」が流行しました。

【おかげ横丁】おかげ犬体験 | 公益社団法人 伊勢市観光協会

おかげ犬という現象が容認されたのは、江戸時代には犬が死体を食べることが少なくなったという時代背景があると思います。

ただ、おかげ犬がどこまで入れたかというのは確認が必要です。というのも江戸時代は御師の屋敷で祈祷をしていたので、宇治橋を渡らずとも飼い主の目的を達することはできたからです。

犬が入っていい限界までおかげ犬を誘導し(つまり宇治橋を渡らずに)拝礼と御札拝受をしたと考えるのが妥当です。

そのため、おかげ犬が犬を連れて宇治橋を渡ってよい前例にはならないと思いますし、現代の「おかげ犬」も伊勢神宮の神域に犬が自由に出入りしていいと言っている訳ではありません。

この点については、まだ判明していないことが多いので、当時の史料を調査する必要があると思います。

犬の喪中がある

よく「喪中は神社に参拝できない」ということが言われます。

厳密には「喪中」ではなくて「忌中」ですけど。

飼っている犬が亡くなった場合も忌中になります。犬が亡くなった場合は5日、犬が自宅で出産した場合は3日、参拝を控えるように『延喜式』(神祇式三 臨時祭)に規定があります。

【参照文献】

森野宗明(1987).「平安時代における触穢観と犬」『文藝言語研究 文藝篇』12号,pp.156-143.